ID:いいGorilla | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで



今日、パーマンと話してて気づいたことがある。


数学ができる人はゴリラである、ということだ。


より正確にいうならば彼らには一様にゴリラ的要素の

持ち合わせがある。


それは、B型である、とか

バナナが異様に好きだ、とか

毛皮をもつ、とか

骨格がゴリラだ、とか

機嫌が顕著に顔色に表れる、とか

ウホウホッ!ウホ?ウッホウッホウホ。



そして、より優秀な数学者であればあるほど、

驚くべきことにゴリラ指数は右肩上がりである。


おそらくは、ピタゴラスも、えっと・・・他に思いつかないけど

歴史上の偉大な数学者達はみんなゴリラだったに違いない。



もう、ここまで来ると「数学」よりも「ゴリラ学」の方が適切では

ないかとすら思えてくる。


しかし、これはまだ僕の仮説にすぎないのだが、数学という行為は

むしろ「ゴリラからの脱却」を目指した精神活動なのでは無いだろうか?

それにもかかわらず彼らが未だにゴリラのままでいるのは

ゴリラからの逃走行為が逆に彼らをゴリラたらしめているという

逆説が働いているに違いない。


頭で考えてはいけないのだ。


僕たちは理性を、感性を働かせないうちにゴリラや数学のことを

正確に把握する(感じ取るというのが最も近い表現だろう)必要がある。


頭を働かせる前に数式を展開し、バナナの皮をむき、

ジャイアントスイングをため始め、ウホウホ雄たけびをあげるのが

我々に課せられた課題である。


バナナ最強説を盲信し、群れ一番の強者の証である「シルバーバック」

になることを夢見る・・・。

それが無限の可能性を秘めた、みずみずしい若いゴリラの正しい姿だ。


僕たちは輝かしい理想を追求し、ゴリラとしての自覚を持つべきなのだ。



そんなわけで僕たちは今日も数学の教科書とにらめっこしながら

バナナをほうばるのであった。



めでたしめでたし