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人間というのはみんなエゴイストなんだと思います。
というかある意味でそういうものじゃないかな、と。
例えば、誰かに親切にしてやる。それは「思いやり」かもしれない。
でも、それはその人によくしてやることで好かれたいからという理由が
あるわけです。
別に自分に利益があるとかないとか考えて、打算的に動いたわけじゃ
ない、と君は言う。
でも、その人が「いいこと」だと思ってやったことが必ずしも相手にとって
「いいこと」だとは限らない。
もちろん、なんていうか、相手が嫌がるわけがない、誰にとっても
「いいこと」というのはありそうです。
でも、それがあることは証明できません。
・・・なぜならば、それを「いいこと」だと思わない人が絶対にいない
ということを証明できないからです。
つまるところ、あらゆる親切は結果論でしかない、ということです。
それが、偽善者だといわれても仕方ない理由です。
もちろん、僕は親切にされたらうれしいけど。
(僕達は各々別の言語を使っている。僕の言葉はあくまで僕を超えて
通用しない。他の人のそれとは少なからずズレがあるわけです。)
多文化主義はあらゆる文化、宗教を皮肉な目で見ながらも
形の上では容認しています。
でも、スタンスとしてはやはり否定的です。
なぜならば真理は一つで、まだ見つかっていないからです。
だって、見つかってたらもうみんな幸せなはずです。
で、僕含め日本人の多くはこの新しい多文化主義という立場に
立っていると思うんですが、このままでいいのだろうか、という疑念が
当然出てきます。
ま、言ってみたら答えは見つかってないけど、もう解こうともしてない
みたいな感じでしょうか。
さっそく答えですが、僕はこのままでいい!と思っています。
なんていうか、こういうところで矛盾というものは絶対に生じるし、
まず解決の手段が見つかっていない。
この答えというのはこれから先も見つからないんじゃないかと思います。
僕は神を信じないけど、神がいないことを証明できないから。
同様に、神がいることも証明できない。
そして真理があることも、ないことも。
・・・だったら、もっとずるくなればいいと思う。
認めないと心の中では思ってるくせに表面的には認めているフリを
している。
そして、認めていないからこそ、
自衛力というものが必要なんじゃないかなというわけです。
表面的には認めている姿を見せているけれど
しかし、それを超えることは絶対にないんだということを態度で示す
しかない。
僕達は僕達の想像力を守るために武器をとる。
ただし、それは相手が武器を見せてきたときだけです。
目には目を。口には口を、というわけです。
これが、幻想でしかないかもしれないけれど平和への
唯一の道なんじゃないかなと思うんだ。
僕は危険なやつだろうか?
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こんばんわ、ひょろです。
I believe only my Imagination. というわけです。
倫理の宿題、忘れてない?
近代、近代、・・・近代って結局なんだったんだろうね?
オプーナと世界樹と地理と英語と青チャートとアニメの消化とアーチ係
としての葛藤と本屋めぐり行けないし、本、漫画の消化してない、と
とっっっっっっっっっっっても忙しいひょろです。
オプーナは結構進めたので、そのうちまた感想でも書きます。
まだブログに書きたいこともあるしなあ。
そと出てる暇がないです><
とりあえず、アニメでも観よう。そうしよう ノシ