ギャンブルとの接点

母子家庭の私たち兄弟は私立高校に通えるだけの余裕はなく私は学年で最低成績で引っ掛かることができ、なんとか高校に進学できました


弟の方は同じ学校を受験しましたが、受からず定時制高校に進み中卒で働きはじめました


入学と同時にハンドボール部に入部しましたが、その年の冬休みに部活のメンバー数名とスーパーのバイトをしました


バイトはそれなりに楽しく社員の方からも良くしていただき収入も小遣いとしては十分過ぎるくらいもらえたので短期間で辞めるのがもったいなくなり、社員の方と喋っていると“それなら是非続けて来てほしい“と言われ高校には家庭事情の為と許可を得て部活は退部しバイトを続けました


在庫管理他一部の仕事を任され多くの社員の方や大学生のバイトの方からも優しくされるうえに高校生としては多過ぎるくらいの収入がありました


一部は母親に渡していましたが、好みの服は遠慮なく買えるし帰り道は馴染になった喫茶店に行ったり社員の方に連れられ居酒屋に連れて行ってもらったりとどっぷりバイトにハマりました


学業はこれまで以上に疎かになり早退してまでもバイト優先になりました


夏や冬の休みの時期の収入は多い時は45年前でも十数万円にもなり、この頃からお金の魔力に取り憑かれていたのかもしれません


卒業前に生活指導の教師から単位が足らないからもう一年通うようにと言われましたが、頼み込んで皆んなが休みに入ってからも補習を受けなんとか卒業にこぎつけました


他のクラスメイトは早々に進路が決まる中、卒業が危ぶまれた私は就職試験も同時期には受けられず、募集人員を満たしていなかった企業の三時試験でこの時もかろうじて就職できました


当時の月々の手取りは高卒で10万少々だったように記憶してます

5万円は家に入れ残りが自分の小遣い

昼飯代にタバコ代、呑み代他楽ではなかったけど、それなりにやり繰りはできていました‥結構自由にやっていました


勤務先のギャンブル事情はよく覚えていません


何日かに一度、呑んで歌って過ごす時間が楽しくギャンブルにはそんなに興味を持ちませんでした

営業マンの二人ほどに使い込みが発覚したことがあり今思えば多分ギャンブルの影響だったかもしれません


その頃も父親に対しての想いは変わっておらず、ギャンブルに手を出すことはないと思い込んでいました


それから丸6年が過ぎ転職の機会が訪れました


この転職が私にとって大きな影響をもたらすことになります


当時バブルがはじける前で高価なモノが当たり前のように売れてた時期


転職先は贅沢品目を扱う小売店


二代目のオーナー社長はほぼ一人(一代)の力で会社を伸ばし地元ではそれなりに有名な店でした


機嫌によって態度が急変するし逆らえる社員もいなかったので、そばに居るだけで窮屈でストレスが溜まるような人でした


転職後、半年目からかなり給料を上げてもらい金銭的には生活は安定しました


しかし自分にとっての問題はここからがスタートでした


大方の社員がそれなりに良い給料をもらっているからか、遊び方が派手だったんです


その上使い込みなどの問題も1〜2年に一度は発覚していました


ギャンブル好きはとにかく多かった


しばらくは遠巻きで見てましたが、数年後にはそこに混ざって一緒に話題を楽しんでいました

あれだけギャンブルはしないと決めていたのに‥


転職後ニ年ほどして支店勤務の妻と付き合いが始まり後に結婚

一年半後には長男が誕生しました


妻は堅実派


妻も共稼ぎしながら贅沢もせず家計をやり繰りしてくれていました


結婚当初から弁当持参の小遣いは月々2万


もちろん必要な時は別で出してくれていました


独身時代は貯金もしないかわりに小遣いに困ることもなく楽しんでいました


当然のことながら結婚と同時にお金がかかる贅沢な遊びはしにくくなった

一度呑みに出かけたら5千〜1万、それ以上に使ってしまう

ゴルフもラウンドに参加すれば2〜3万以上とびました


再三お金の要求は…


そんな時期にギャンブルの話題に入るようになりました



そしてこの行動がその後の自分がギャンブル依存症者となるきっかけとなりました