仙台から長岡へは東北道を南下、本宮JCTから磐越道に入り、新潟から北陸道というルートで向かいました。
その日は7月13日。
新潟は朝から大雨でした。磐越道に入り、会津若松を過ぎたところで通行止めの表示。
仕方なく一般道に下りるとそこも通行止め。迂回路はない。
山越えをあきらめ、再び東北道へ戻ってさらに南下。途中で高速を降り、一般道で関越自動車道に向かい、関越道を飛ばして長岡に着いたのは18時でした。
その日の宿は燕三条駅前のビジネスホテル。
そのとき見た三条市内の光景は一面湖のようでした。
『7.13水害』
記録的な集中豪雨が大きな被害をもたらしました。
これから始まる新潟の生活に波乱の予感・・・
すぐさま店を引き継ぐことになり、引越しもできぬまま長岡での業務が始まりました。
豪雨の新潟に行ってから1ヶ月の間に新潟と仙台を車で行ったりきたり、何往復したでしょうか・・・
その間もあの問題を引きずっていました。
仙台に戻るたびに別れ話とお金の話。
「別れるのはイヤ」
「青森にも帰りたくない」
「仙台には住むところもない」
「お金もない」
でも、マンションを引き払う日はせまっていました。
最後は強引に彼女の荷物を彼女の車に載せ、30万円入った封筒を渡し、部屋を出ました。
泣き叫ぶ彼女に後ろめたさを感じながらも、ボクには彼女を救ってあげることはできない。
振り返らずに仙台をあとにしました。
その頃長岡では市場に大きな変化が起きていました。
同業のライバル会社が不正行為をして閉店。
それが追い風になり、業績はうなぎのぼり。
長岡の店がオープンして以来出したことのないような記録的な売り上げを連発していました。
スタッフの士気も向上し、ボクもどんどん自信を取り戻していました。
ところが・・・
その頃から、別れた彼女からの電話やメールが1日に何十回と来るようになりました。
電話やメールは着信拒否をしても番号を変えてまたかけてくる。
家に帰ると、ポストには手紙の山。
恐怖を感じるほどでした。
転勤族のボクは電話番号を変えると、連絡がつかなくなってしまう人がいるので、携帯は家に置いて別の携帯を購入ました。
店にまでは来ることはありませんでしたが、度重なるストーカー行為に疲れていました。
それでも仕事をしているときは救われる。
業績も絶好調で充実していました。
長岡に来て3ヶ月が過ぎたある日、悪夢が・・・
つづく・・・