7年ぶりの家族との再会も最悪の結末。
かすかに描いていた感動もなく、むなしさだけが残った。
とはいえ何とか保証人にもなってもらい昇進を果たす。
副業を続けるほど時間的な余裕もなくなり、本業に専念。
仕事はやりがいもあって、毎日充実していました。
ある日上司のジョニーに声をかけられ・・・
「右手どないした?」
一瞬凍りついた。
会社には右手が不自由なことを秘密にしていた。
気が付けば、右手の麻痺は進行していた。
周りの人も毎日仕事でかかわっていれば、そりゃ違和感に気づくだろう。
正直に打ち明けた。
入社するときの履歴書には健康状態良好と記載して偽っていたこと。
入社前から右手はほとんど動かなかったこと。
病院でさじを投げられたこと。
退社も覚悟した。
ところが上司のジョニーは言った。
「もういっぺん別の病院にいって来い。よう貢献してくれてるし進退のことなどなんも気にせんでえぇ」
ジョニーの言葉に従い病院へ。
そして検査入院。
検査の結果は・・・
『屈曲性脊髄症』
あれ?前に大学病院で告げられた診断結果は『若年性一側上肢筋萎縮症』
しかも悪いのは手ではなく『首』
つまり『頚椎』が悪いと。
さらに先生は
「何でこんなになるまで放っておいたの?」
放っておいたせいで首が動くたびに神経がやせて麻痺が進行したのだと。
前の大学病院はナニ?
放っておくとどんどん進行してしまうので、なるべく早く手術をするということで、退院後、1ヶ月ほどで再入院。
なにやら大掛かりな手術らしい。
「家族の方に承諾書を書いてもらいたいので呼んでください」と先生。
しぶしぶ実家に電話。![]()
・・・
・・・誰も電話に出ない。![]()
「連絡がつかないので恨みっこなしでやっちゃってください。」
先生困る。![]()
結局手術して成功。
私の首にはデカいチタンプレートが入りました。
約1週間の絶対安静&家族以外面会謝絶。
手術後の激痛に耐えながら孤独との闘い。
後で聞いたら家族でハワイ旅行
をしていたらしい。
手術から1ヵ月後、首に見たこともないような、アゴや高等部を支えるコルセットを巻いて退院。
仕事の復帰はさらに1ヶ月はかかると。
一人身のボクは不自由な右手と首に爆弾を抱えながらリハビリ生活。
ようやく出歩けるようになって、会社へ。
そしてジョニー店長と面談。
会社に右手のことが知られてしまった以上、みんなに気を遣われながら働くのは、自分が惨めになると思い辞意を表明。
ところがジョニーは予想外のリアクション。
涙を流しながら
「ナニを言うとるんや?さらに昇進してしまえば現場で右手を使わんでもええようになるやんけ!今うちの会社にはお前が必要なんや!」
「こんなカラダで昇進なんかでいるんですか!?」
「できる、できないちゃうやろ!やるかやらんかや!
」
激しいトークバトルの末、ジョニーの熱い気持ちに打たれ、仕事に復帰。
実に3ヶ月ぶりだった。
つづく・・・