本日、2月7日は「北方領土の日」です。
みなさん、意識していましたか?
「北方領土の日」の由来は、1855年2月7日(太陽暦換算)に、伊豆の下田で日露和親条約が締結されたことによります。この条約によって、択捉(えとろふ)島・国後(くなしり)島・歯舞(はぼまい)諸島・色丹(しこたん)島は、日本に帰属することが決定。同時に樺太は、日本とロシア間で国境は定めずに共同で統治することが決定されました。
その後、1875年に樺太・千島交換条約が両国間で結ばれ、千島列島全部が日本に帰属する代わりに、樺太は全域ロシアの領土とすることが決まりました。
1904年、日露戦争が勃発。翌年、日本が優勢のまま、アメリカ合衆国の仲介により講和条約(ポーツマス条約)に持ち込まれ、賠償金請求放棄と引き換えに、樺太の南半分を日本が譲り受けました。
ロシアはやがて共産主義革命によりソヴィエト連邦と名を変え、第二次世界大戦と運命の1945年がやってきます。
8月9日、長崎に原爆が投下される僅か数時間前、アメリカによる広島への原爆(人類最初の核兵器)投下に焦りを抱いたスターリン率いるソヴィエト連邦が、まだ有効であった不戦条約を一方的に破棄して、満州国や日本へ侵攻して来ました。
(1945(昭和20)年、ソヴィエト連邦の火事場泥棒図解)……クリックで拡大表示
我々日本人は、学校で「終戦日は8月15日である。」と教えられますよね。
確かに、ポツダム宣言を受諾したのは8月14日であり、15日には国民に知らされましたし、それを受けてアメリカ合衆国をはじめ各方面の連合軍も、この日をもって攻撃命令を中止していました。
では、上の図解を見ても、本当にそう思いますか?
千島列島の最果て、占守(しむしゅ)島に駐留していた日本の小部隊が、孤立無援の状態にもかかわらず果敢にソヴィエト連邦軍の奇襲攻撃を防ぎきらなければ、今頃、北海道の一部は確実にロシアの領土となっていました。現に、北方四島は、アメリカ軍の到着が遅かったために、一旦はためらったソヴィエト軍が、ほくそ笑んで不法占拠に踏み切ったからです。
ちなみに、北方四島と簡単に言いますが、択捉島は本州・北海道・九州・四国に次ぐ日本で5番目に大きな島であり、国後島は同じく日本で6番目に大きな島なんです。沖縄や佐渡島より大きい島ですし、海の幸の宝庫です。
ソヴィエト連邦は冷戦終結直後の1991年に崩壊し、母体であったロシアが復活しました。しかし、島は依然として還らぬままです。
少なくとも北方領土問題は、今の政治家が目先の刹那主義的な利害だけで決着するには、余りに根深い過去を背負っていることだけは、忘れてはならないはずです。
(合掌)
