なつかしの摩耶山をゆく | hyogosizenkanのブログ

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2014に訪問した、神戸の摩耶山です。

摩耶山は六甲山系の中央部に位置し、標高702m。

山上の天上寺は真言宗の寺で、そこに空海(弘法大師)が

釈迦の生母・摩耶夫人の像を安置したのが山名の由来です。

 

 

 

摩耶山-1

ここは下駅、摩耶ケーブルは全長964m、

高低差は312mで、車両は一両編成。

 

 


摩耶山-14

子供は筆者、左が父、右が伯母です。

昭和35年(1960年)の下駅の風景をご覧ください。

 

 


摩耶山-2

車内からの展望。

車両に動力はなく、上駅の“巻き上げ機”が

鋼鉄のケーブルでゴンドラを引き上げます。

 

 


摩耶山-15

昭和35年の車内風景、

左が母、右が伯母です。

 

 


摩耶山-3

単線で、中間地点で行き違います。

 

 


摩耶山-4

色違いの対向車が下りてきました。

下り車両と上り車両は、巻き上げ機を通る一本のケーブルで

つながり、片方が下がれば同じ距離だけもう片方が上ります。

下り車両と上り車両とは同じ重量で釣り合った状態なので、

意外と小さな力で動かすことが可能です。

 

 


摩耶山-5

中間地点を過ぎると、

急勾配になってきました。

 

 


摩耶山-6

ケーブル上駅からの展望です。

画面左の人工島が六甲アイランド、

右端はポートアイランド、中央が摩耶埠頭。

 

 


摩耶山-7

駅のすぐ下には摩耶観光ホテル、通称“軍艦ホテル”の廃墟。

建物が軍艦の艦橋のように見えるので、この名があります。

戦前は、六甲山よりも摩耶山の方がにぎやかでした。

 

 


摩耶山-19
摩耶山-20
摩耶山-8
摩耶山-21

ケーブル上駅からはロープウェイが接続しており、山上へ。

ロープウェイ終点は掬星台(きくせいだい)という展望台で、

標高は690m、ここからの展望は雄大です。

上の写真4枚は2015.10.03(土)撮影。

 

 

 

上の写真4枚は、2017.05.27(土)撮影、

午前4時から5時の間、夜景と夜明けを

両方楽しめるこの時刻、かなり冷えました。

 

 


摩耶山-9
摩耶山-10
摩耶山-11

掬星台から10分ほど歩くと、国民宿舎があります。

昔の名前は“神戸摩耶ロッジ”ですが、震災で一時閉店、

ホテル風に改装して“オテル・ド・摩耶”となりました。

宿泊だけでなく、食事や喫茶のみの利用も可能です。

 

 


摩耶山-22

ヒツジが一匹、ヒツジが二匹.....木陰にもいますね。

六甲山へ通じる奥摩耶ドライブウェイ沿いには六甲山牧場も。

この写真も2015.10.03(土)の撮影。

 

 


摩耶山-16

天上寺は国民宿舎近くにありますが、以前はもう少し

下にあったのです。昭和51年、賽銭泥棒の放火で焼失、

その後、便利な車道沿いの現地点に移転しました。

写真は昭和35年、旧天上寺境内。

 

 


摩耶山-12

上と同じ場所の平成27年(2015年)の写真です。

建物の基礎と石畳のみが焼け残り、歴史公園となりました。

写真右奥の白い塔は、掬星台の横にあるサンテレビの電波塔。

市街地間近の摩耶山には、多くの放送局の中継所があります。

 

 


摩耶山-17

昭和35年の天上寺“奥の院”です。

 

 


摩耶山-13

上と同じ場所の平成27年の写真ですが、

石の部分のみが残っています。

 



摩耶山-18

昭和35年、奥の院の手前の“親子杉”です。

今でもこの杉はありますが、幹が焦げて黒くなっています。

 

ところで、摩耶といえば、

神戸川崎造船所で竣工、太平洋戦争のレイテ沖海戦で

フィリピン海域に沈んだ重巡洋艦・摩耶が連想されますが、

旧天上寺跡よりも上、オテルド摩耶の近くに移転している

現在の天上寺の境内には、この摩耶の慰霊碑があります。

下の3枚は2016.09.03(土)の撮影。
摩耶山-23
摩耶山-24
摩耶山-25

大日本帝国海軍では、巡洋艦に山の名前をつけていたのですが、

“摩耶”はあっても“六甲”という巡洋艦はなく、当時の摩耶山の

知名度が高かったことを物語っています。


旧天上寺には、最盛期3000人もの僧がおり、

摂津一の大寺でした。まさに、つわものどもが夢の跡ですね。

最後の写真は現在の天上寺の様子で、2016.09.03(土)の撮影。摩耶山-26