水曜日(3日)の朝に、大叔母の訃報が舞い込んで下関市へ向かいました。


母親、私と、2代にわたってお世話になった方。


祖母の兄弟姉妹で、特に仲の良かった下の三姉妹は、いつからか『三婆』と まとめて呼ばれていました。


私の祖母は本家のお嫁さんとして、従兄弟にあたる祖父と強制的に結婚したのもあり、祖父母の血縁者が仲がよく、また地元に残っているので、冠婚葬祭は なかなかに大人数になります。


今回亡くなったのは、祖母の一番下の妹さん。


けれど、『三婆』は いつも揃って行動していたのもあり。

私や母親にとって、大叔母達は『第二、第三の祖母、母親』的な存在で。


また、大叔母の旦那さん達にも同様に可愛がってもらってて。


祖母の七回忌を、今年の6月に行った際、大叔母はまだ元気そうだったのに。

あれから半年。

風邪かな?と受診したら、持病の数値は良いのに肺に少し水が溜まってるとのことで、即日入院。

その後、本人は それなりに元気なのに、血液検査が日に日に悪化していき。

入院して1週間で旅立ちました。


下関市までは、車で早くて5時間弱。

私一人の運転だと負担が大きいので、ダーリンと交代交代で運転したので、かなり助かりました。


そうして、葬儀が終わり帰宅した2日後に、今度は恩師の訃報が舞い込み。


9月に施設へお見舞いへ行った時に、『来月また来るね!』と約束するも、前々日あたりに都合が悪くなったと連絡を受け。

私も不妊治療のタイミングやらで、そのまま行きそびれてしまっていました。


ちゃんと後悔しないように、行かなきゃと思っていたのに。

約束をキチンと果たせないままのお別れになりました。


お通夜だけでも伺いたかったのですが、娘さんから丁寧に断られ。

弔電も断られ。


仕方なく、ラジオドラマのメンバーに、恩師の訃報の連絡をしました。


ラジオドラマメンバーで、自他共に認める仲の良かった私と恩師。

お付き合いの年月は12~3年と思いますが、コロナ禍以降は特に、かなり濃密な関係になっていきました。


大叔母が亡くなった事よりも、恩師が亡くなった事がショックで、涙が止まりません。


恩師のラジオネームは 中山達磨(たつま)さん。

亡くなる前まで、ラジオドラマが大好きで、高校教諭時代は放送部を熱心に指導され。

広島県の放送部を育てた方。


RCC元局長の丸田さんは、先生の教え子であり、丸田さんの積極的な行動のおかげで、RCC福山 ラジオドラマグループが発足。地元の新聞にも載った事があります。


RCC 福山ラジオドラマグループ


先生は ずっと『ワシは教師じゃったけぇのぉ』が口癖でした。

男性なら多少のエッチな事も考えない事はないけれど、思ってしまうのは仕方ないけど、教師だったから行動には うつさない。

また、教師だったから人を差別しない、不公平にならないよう あまり深入りしない…と、ずっと人付き合いには人一倍気をつけておられました。


生まれて間もなく、実母が亡くなり、養子に出され、養母 養父の厳しいしつけの元で育ってきたのもあるかもしれません。


また、奥さんも教員免許を持っておられるし、お花や、洋裁の先生もしていたりで、先生の お行儀の悪い態度は、ちょこちょこ注意されてました。


9月に最後会った時に『今度の誕生日で、ワシは自分のお父さんの年を越えてしまうんじゃ』と話していたのに。

同じ年齢で旅立ってしまった…。


来世でも、先生とはご縁がありますように…