さてさて、世界のウェブサイトを整理整頓して検索可能にするには大規模なデータセンターが必要なんです。
そのために多額の投資資金が必要なんです。現在、その資金余剰が比較的多くあるのがMS及びグーグルなんです。

では、
ヤフー株式会社(Yahoo Japan Corporation)は米Googleとの検索サービスにおける業務提携を発表。今回は資本提携には踏み込んでいない。内容は検索エンジンを従来の米ヤフー製からグーグル製に切り替えること。結果、日本におけるネット検索シェアはグーグルが実質シェア9割を達成し首位になる。提携前はヤフーが53%、グーグルが37%。検索世界最大手のグーグルにとって中国と日本は首位に立てない数少ない市場であったが、これで巨大市場中国を残すのみとなった。
ヤフージャパンは、米ヤフーとソフトバンクの合弁会社として1996年に設立。米ヤフーの最先端ネットサービスをいち早く日本に取り込み市場を席巻してきた。09年7月、米ヤフーが多額の投資が必要な検索エンジンの自社開発を断念しMS製に切り替えることで合意。一方のヤフージャパンはMS製に日本語の対応の遅れがあったことを指摘、グーグル製の方が検索精度及び速度において優れているために今回の採用に至った。現在は米ヤフーから34.8%の出資を受けているが、今回の提携で更に業務上の関係が薄れる。広告分野においてヤフージャパンとグーグルは広告主や広告データを完全分離して保持、営業面では引き続き競争関係を維持する。今回の業務提携で利用者がグーグルに流れポータルサイトとしての収益力低下につながる可能性もある。

Idea
グーグルがすげぇ。そもそも、グーグルはどうやって儲けているのか。それは「検索サービス」と「広告配信」。グーグルの高精度な検索結果に対応した広告において安価に広告主に提供し、得た多大な利益をもとにして更なるプログラム開発及び事業拡大に着手する。その+のスパイラルは世界を覆う勢い。
共同創設者ラリー ペイジは、「完璧な検索エンジン」とは、「ユーザーの意図を正確に把握し、ユーザーのニーズにぴったり一致するものを返す」ものであると定義している。だれしもが求めるできるだけ安価で、かつできるだけ質の高いもの。ネット検索においての「できるだけ」に関して大衆の予想を超えるサービスをグーグルは提供している。グーグルの「ぴったり」は人々の想像する「“できるだけ”ぴったり」を超える。予想を超えるサービスは多くの人が利用する、それが利益を生み、費用対効果を最大化していく。
予想を超える結果・サービスは何から生み出されるのか、それは頭脳(知的生産)だと思う。グーグルのサービスを支えている数々のプログラマーたちは今日も開発を続けている。経営者たちは次の戦略について頭に汗をかいている。「Google の技術革新は、すべての社員がアイデアや意見を自由に交換できる環境から生まれます。」まずはグーグルの中で、予想を超えるアイデアがいつも生み出されているのだろう。
一番うまいビール。




キリンなんだろうか。サントリーなのか。それともアサヒなのか。




いやいやドイツのなんたらビールがうまいと聞いたこともある。




中国で飲んだチンタオビールは絶品だった。





10歳年上の人は奥さんに注いでもらったビールが一番うまいと言う。







ビールを飲むときの気分、共に飲む人、時間、これらの要素によってビールはうまくもまずくもなるだろう。





その背景によって、「一番」いや、すべての解釈は変化する。






唯一の基準で物事を推し量ったり、決めたりするのは、ばかげている。








経済にせよ、政治にせよ、スポーツにせよ、いやはや人生にせよ。








夢見ようが、想像しようが、そんな世界は存在しない。させることはできるかもしれないけど。







リアリストになることこそが、ばかげた世界から抜け出す第一歩なんだと思いました。







うまいビールは本当に存在するのか。
donaiyanenna自身、12年間サッカーを続け、大学でも強豪校でサッカーをしてました。

まぁ、サッカープレーヤーとして全く花開くことはなかったですが、そんな選手もこんなこと考えてたくらいでとらえちゃってください。



以下、「サッカー好きが、サッカーの上達を考えてみた。」




サッカーがうまくなりたい、上達したい、レベルアップしたい。



いずれもよく聞く言葉ではあるが、当該発言をした本人が「サッカーの上達」という言葉の真の意味を理解しているのかは疑問である。




「サッカー」(世界中で競技者人口が最も多いメジャースポーツであり、日本国でも多くの少年がプロ選手として将来活躍することを願ってやまない人気種目である。)における「上達」に焦点を当て、ドリブルの技術やトラップの技術などしょうもない枝葉の「上達」におさまらない真の意味での上達を考えてみる。




サッカーにおける上達とは何だろうか。それを明確にするにはまずは「サッカー」の定義が必要である。




サッカー:1チーム11人からなる二組みが、ゴールキーパー以外は手を使わず、主として足でボールを扱いながら相手のゴールにボールを入れて得点を競い合う競技。蹴球(しゅうきゅう)。ア式蹴球。(大辞泉)




また、一一人でチームを構成し、ゴールキーパー以外は手を使えず、ボールを手以外の足から頭までを使って扱い相手のゴールに入れてその点数を争う競技。アソシエーション-フットボール。蹴球(しゆうきゆう)。ア式蹴球。(大辞林)



上記のサッカー定義からして、「サッカーが上達したい」などという言葉は非常に抽象度の高い言葉であり、そんな質問を投げかけること自体に「私は分かっていません。」と主張しているのと同じである。


つまり、サッカー=・・・・・+n+αの公式なくらい複雑なスポーツであり、自身のサッカーをN個に分解し、その要素たちが形作る様相を吟味し、発展させなくてはならないのである。



さて、何事においても上達という言葉をよく聞くが、大辞林では以下のように定義されている。


上達:技芸が上手になること。


上手:技術が優れている。手際がいいこと。


ここでいう技術とは、まさにサッカーにおける技術である。


サッカーの技術が、優れていて、手際がいいのである。


つまり、量、質、内容において他者(過去もしくは現在の自分)を超えること、かつスピードの向上、「速さ」を求めることが上達するということである。


「スピード」が速くならなければうまくなったことにはならない。







では、サッカーにおいて「スピード」が速くなるのはどんなものだろう。


パス?ドリブル?ダッシュ?フェイント?

重要なのは「思考するスピード」だということを私は主張したい。





サッカーは「頭脳ゲーム」である。


上記のサッカーの定義においてどこにドリブルが巧い人を競うと書いてあったか、どこにパスがうまい人を競うと書いてあったか、どこに足が速い人を競うと書いてあったか。もちろんどこにも書いていない。


「どうやって、ゴールを奪うのか、ゴールを守るのか」から、「どうやってこの状況を突破するのか、どうやって相手からボールを奪うのか」、これらの答えを導くことのできる「頭脳」、その「思考」こそがサッカーにおける技術の基礎なのである。





上述の、自分のサッカーをN個に分解すること。それはサッカーのパターン化でもある。

サッカーはあくまでカオスであり、完全な再現は存在しない。


けれども、自分のプレー、いや、観戦しているときでさえ「こんな感じのプレー見たことあるな。」、「このパターンか。」を感じるプレーは多いだろう。


それこそがサッカーのフラクタルである。


N個のプレーの中には自分の得意なプレーもあるだろう。


サッカーの変化し続ける様相から、その得意なプレーである1/N をどのように作りだすのか。



思考し続け、思考のスピードを高め、監督の思考をゲームに反映し、チームメイトの思考を読み、シナジーを生み出し、相手選手の思考を読み、阻害する。


そして思考の向う先は常にゴールがあるべきなのである。


つまり、A+B+…+N=ゴール。




上記の方程式を誰よりも素早く、正確に、何度でも作り出せる個人。



その個人を目指すことこそがサッカーにおける「上達」であると考える。



暇な時に再考してきたいと思ってんす。