うさぎだった頃の思い出 | 明るすぎる闘病日誌

明るすぎる闘病日誌

40歳代で乳がんと大腸がんを経験して感じたこと



過不足ない生き方
Too much spoils, too little doesn't satisfy.

大学生の頃いろんなバイトをしてたなぁと急に思い出して

どんなバイトを経験したか書き出してみたら

結構懐かしくなったので共有~ウインク

 

まず大学生だから定番のアルバイト

  • 家庭教師鉛筆
  • 塾講師ダルマ
ちょっとイヤな思い出もあるけどまぁ
教えるって大変な仕事だなって実感しましたメモ
 
そして東大に進学した同級生の家庭教師時給が破格でびっくりしたのも思い出したびっくり
このお友達は高校の物理、
私が3点だったテストで93点とってた
(0点を取ったことないのが自慢ですもぐもぐ
 
そして割が良くて長く続けていたのは
  • デパートのクレカ受付
  • モデル/コンパニオン
  • エキストラ
などですかね、
制服が華美なデザインのスーツだったのでスカート
デパートガールとよく勘違いされて
店内の売り場について尋ねてこられるお客様がとても多く
あらゆる売り場を熟知してましたねにやり
月のお給料も今よりもらってたんじゃないかな
(その頃が多かったのか今が少ないのかっていう笑い泣き謎)
 
モデルや展示会のコンパニオンもまぁまぁ割が良かったですね
今はどれくらいの時給なのでしょう
展示会もコロナ禍でオンライン開催が急速に進みましたねぇ
 
あまり長期間続けた記憶がないのがこちら
  • イタリアンレストラン(ホール)
  • アパレルショップスタッフ
  • バニーガール
イタリアンは店長がたまたま大学の先輩で親近感はわきましたし
オープニングスタッフだったので人間関係のしがらみもなかったけど
ランチ時間帯のあまりの多忙っぷりと
たまに夜のシフトに入ったときの暇さの落差(時給は同じ)に不条理を禁じ得なくて
辞めましたパスタロゼワイン
 
アパレルは
正社員で入ってきた沖縄出身の女の子が
女子禁制の彼氏の寮に忍び込んだ話なんかを聞かされながら
そして沖縄の台風がSUGEEEEって話を聞きながら
店長の女の子(年下)がチャラチャラしてる見た目の割にしっかりしてたりして
沖縄の正社員の素行をたしなめたりしてるのをみて
なんかこの職場合わないなってドレス
 
そんでバニーガールは
有名な会員制クラブのバニーガールだったので
バニーコートがものすっごくしっかりした作りのものでしたウサギ
よくあるコスチュームのペラペラしたものでなく、
かなり厚みがあってハードなバニーコートで
胸の形もきれいに決まりますし
ベージュの厚手ストッキングにバックシームの網タイツを重ねて
両サイド(脚の付け値の高い位置)に付いている長めの紐を
ちょうちょ結びにするんだけどこれがまた特徴的な結び方で
垂らす部分のリボンをとてもとても長く作るんですね、
これがまたカワイイふんわりリボン
で、大きな丸い尻尾うさぎをお尻につけて
11cmヒール履いてホールに出るわけですハイヒール
 
会員制ですからイヤなお客様などなく
ご家族連れでいらっしゃる富裕層の方などもあったり
単に給仕をする女性のユニフォームがバニーコートだっていうだけの
職場環境としては決して悪くないお店でした
 
あ、そういえば胸元に常にライターを携えておいて
お客様が煙草を吸われる際にさっと差し出すんですけど、
胸元で温まってるから火の勢いがすごくて危なかったな炎
 
そこの店長も偶然に大学の先輩でしたね
なんか急激にイヤになって辞めましたね
何かあった気もするけど忘れちゃったウサギ
 
 
 
需要あるかわかんないけど
一応載せときますねお願い
 
 
こんなことばっかり書いてると変な人だと思われちゃう
もう思われてるか、、
 
大腸がんの経過観察については先月書きましたが
乳がんの経過観察は来月の予約を取りました
最終的には3月に検査結果が出るスケジュールで進める予定です
 
一応来いと言われるから検査には行きますけど、
たとえ再発や転移が見つかっても
積極的な治療には臨むつもりがないと主治医には伝えていますとかげ
 
粛々と
粛々と日々を過ごしていくしかないのですけど
その中にもいい日もありますし
苦しい日もあるって感じです
今は苦しい日が多いですけどね
 
やりたいことをするのでなく
すべきことをするのが人生
元気ですよ、
がんであろうとなかろうと