1980年12月8日、僕は茉莉子さんの部屋で2人でテレビを見ていた。
すると突然、テレビ画面に訃報が流れた。
元ビートルズのメンバーの1人ジョンレノンがダコタハウスの前で凶弾に倒れて亡くなった、というものだった。享年40歳だった。
茉莉子さんは、
どうしてジョンレノンが死ななくちゃいけないのよ〜
と言って泣き崩れた。

その時、ドアをノックする音が聞こえた。僕がドアを開けると愛弓さんだった。

愛弓
「たい焼き買ってきたよ。鈴原くんも好きでしょ?
あれ? 茉莉子さん・・ 鈴原くん、茉莉子さんと喧嘩したの?」
「違うんだよ。テレビを見て。」

愛弓さんはテレビを見て目を丸くして驚いた。
そして、

愛弓
「嘘でしょ〜? ジョンレノンが死んじゃったの〜?」

そう言うと愛弓さんは持っていたたい焼きを落とし、
そのまま座り込んでしまった。
僕は茉莉子さんと出会った当時、茉莉子さんに週刊誌に掲載されたジョンレノンの写真を見せてもらった。
その写真は、ジョンレノンが産まれたばかりの息子さんのショーンレノンくんを、日本製のおんぶ紐を使って抱っこし、両手に買い物袋を持って歩いている写真だった。そして、その隣りを奥様のオノヨーコさんが
幸せそうな微笑みを浮かべて歩いていた。
この写真が撮られたのは1970年代後半だった。
日本では男女不平等どころか男尊女卑がまかり通っていた時代だった。
そんな時代に、一般の人ではなくスーパースターの
ジョンレノンが男女平等を実践していたこの写真は 当時の僕の大学の男女平等を訴える女性たちの精神的支柱のひとつになっていた。

茉莉子さんはこの写真を僕に見せながら、
鈴原、これからの男はこうじゃなきゃいけない。
鈴原、ジョンレノンの様な男になりな。
そうしないと、お前は幸せになれないどころか、女に
本気で好きになってもらえないよ、
と言った。

しばらくして愛弓さんが、茉莉子さん、たい焼き買って来たから食べませんか? と言った。

茉莉子
「愛弓、鈴原、私を1人にさせて。」 

茉莉子さんは泣き続けていた。

茉莉子さんのアパートを出ると

愛弓
「鈴原くんの部屋でたい焼きを食べようと思ったけれど、今日は止める。
もし鈴原くんの部屋で何かあったらいけないから。
茉莉子さんが、あんなに苦しんでいる時に、そういうことは出来ない。
またにする。
鈴原くんに たい焼き全部あげるから食べて。
私もショックで食欲が出ないの。」

愛弓さんは僕にたい焼きを袋ごと渡すと、板橋区役所前駅に向かって走って行った。
僕は自分の部屋に戻るとお茶を淹れ、たい焼きを食べながらテレビを見た。
世界中の人がジョンレノンのために献花していた。
そして何処でもジョンレノンの名曲が流れていた。
奥様のオノヨーコさんは悲しみのあまり、
最初のファンの方々へのメッセージを
ジョンにたくさんのお花をありがとう 
としか出すことが出来なかった。

僕はテレビを消しジョンレノンの最後のアルバム
ダブルファンタジーのレコードをかけた。
ジャケットはジョンレノンと奥様のオノヨーコさんがキスしている写真で、篠山紀信さんが撮った写真だった。
WOMANという曲になった。
この曲はジョンレノンの最後のシングルカットされた曲になった。
奥様オノヨーコさんへのラブソングとも言われていた

ジョンレノンの最後の曲は、長年自分を支え続けてくれた奥様オノヨーコさんへのラブソングだった。

この日を境に茉莉子さんは少し変わってしまった。
前よりも厳しさが増した、という感じになった。
愛弓さんも同じことを言っていた。

12月19日、大学の学食で茉莉子さんに会うと、
茉莉子さんは大きめのバッグを持っていた。

茉莉子
「鈴原、私、今日実家に戻ることにした。鈴原、私は女子高の教師になったら、日本を男女平等社会にするために全力で努力することにした。
何時だったか話した、私が就職する女子高の数学の教師の人から、今週末に私の地元の高校の教師が集まって男女平等についての討論会が行われることを聞いたの。私も参加する。
鈴原、クリスマスイブを一緒に過ごす、という約束が守れなくなっちゃったけど許して。
私は日本を男女平等社会にすることを決して諦めない
鈴原、愛弓と一緒に私が卒業しても、私たちの大学に男女平等を広め続けて。」

茉莉子さんはそう言うと、大きめのバッグを持って
地下鉄の駅に向かって歩いて行った。
僕は学食に入り、本日のランチメニューのミートボール定食を食べた。
食べ終わり自販機で珈琲を買っていると、

愛弓
「あれ? 鈴原くん、茉莉子さん居なかった?」
「今、地元に帰省すると言って行きました。」
愛弓
「だから、鈴原くん、敬語使わないで。
そうなんだ。じゃあクリスマスイブは鈴原くんと過ごさない、ということね。
鈴原くん、私とクリスマスイブを過ごそうよ。
私がクリスマス料理を作るから。
私、鈴原くんとクリスマスイブの秘密を作りたい。
茉莉子さんだって、きっと数学の先生とクリスマスイブを過ごすんだから。ダメかなぁ?」
「いいですよ。」
愛弓
「だから、敬語使っちゃダメ。それが鈴原くんのいいところなんだけどね。
ねえ、クリスマスプレゼントはお互いに安くて良い物にしよう。私はプレゼントは気持ちだと思ってるから
より安くてより良い物をプレゼントした方が勝ち、ということで勝負しようよ。
負けた方は物ではないものをプレゼントする。」 
僕 
「物ではないもの?」
愛弓
「私はもう考えてあるんだ。鈴原くんも考えておいて
大学も明日から年末年始のお休みだから、24日の
11時に板橋区役所前駅に迎えに来て。待ってるからね。クリスマスプレゼント勝負、私、自信あるんだ。
鈴原くんのクリスマスプレゼント、期待しているからね。」

そう言うと愛弓さんは、午後の講義の時間だから、
と言って教室に向かって歩いて行った。

僕は午後の講義が終わると、新宿駅に行き特急あずさ
に載って実家のある諏訪市に向かった。
翌朝早く、僕は実家から上諏訪駅に向かった。
そこでバスに乗り、和田峠の頂上に行った。 
愛弓さんへのクリスマスプレゼント、地元で
黒のダイヤモンドとも呼ばれている、川に流れながら
削られて、自然にダイヤモンドの形になった黒曜石を
探すためだった。

その年は幸いなことに、まだ初雪が降っていなかった
僕は防寒具に身を包み、子供の頃の記憶を頼りに、
ダイヤモンド形の黒曜石のある川を見つけた。


つづく