その日、僕は深夜のバイトを終え、アパートに帰る途中、銭湯に寄った。
夏場のバイトは汗まみれになった。
僕は広い湯船にゆっくりと入った。朝6時前だというのに銭湯は混んでいた。一番風呂に入る人は意外と多いということを知った。

僕は湯船から出ると空いてる所に座り、シャワーを出して髪を洗う準備をした。すると隣りのおじさんが、

隣りのおじさん
「兄ちゃん、シャンプー忘れちまったんだ、悪いが
貸してもらえねえか?」

隣りのおじさんを見ると、肩から背中や胸にかけて
見事な遠山桜がプリントされていた。
*遠山桜とは、昭和の人気テレビ時代劇、遠山の金さんの肩から胸や背中に彫られた見事な桜吹雪の刺青のことです。
僕は絶句してしまい、やっとの思いで声を出した。

「はいどうぞ。お好きなだけお使いください。」
遠山桜
「おお、兄ちゃん、ありがとよ。」

僕は少し反対側に寄った。すると、またおじさんが座った。ふと見ると、背中に巨大な蜘蛛のプリント物があった。しかもスキンヘッドで眉毛も剃っていた。
こっちの方がもっと怖い・・
僕は下手に立ち去ると余計ヤバい気がして、遠山桜から戻って来たシャンプーで泡が決して両側に飛び散らない様に慎重に髪を洗った。
さっとだが慎重に体も洗い湯船に浸かって出た。

脱衣場で着替えていると、

遠山桜
「兄ちゃん、さっきはシャンプー悪かったな。これ
飲んでくれ。」

そう言うと遠山桜は僕によく冷えた瓶牛乳をくれた。

「ご丁寧にすみません。ありがとうございます。
頂きます。」
遠山桜
「兄ちゃん、最近の若けえ奴にしては礼儀正しいな。
いい事だ、遠慮せず飲んでくれ。」

牛乳を飲み終わると、目の前にスパイダーマンがいた

スパイダーマン
「兄ちゃん、学生か?」
「はい! 大学1年です。」
スパイダーマン
「そうか、兄ちゃん、悪いが煙草持ってたら1本くれねえか? ちょうど終っちまってな。」

僕が煙草を取り出して渡すと、

スパイダーマン
「兄ちゃん、エコー吸ってんのか、偉えぞ!
学生の分際で親の脛齧って、LARKだの洋煙吸うなんざ、とんでもねえ話しだ。兄ちゃん、その心がけ、
忘れるんじゃねえぞ!」
「はい、わかりました。卒業するまでエコーを吸い続けます。」

僕はこの時、松田優作さんが私生活ではエコーを吸っているのを知って真似していただけなのだが、これが功を奏した。

大学のお昼時間、学食で片桐、松本、岡村の3人で
カレーの大盛りを食べていた。
この頃、僕たちと仲の良かった椿本が学食でバイトをしていて、カレーの担当だった。
僕たちがカレーの大盛りを頼むと、椿本は誰にも見られない様に、カレーの皿にご飯を薄く盛り、カツを1枚載せてご飯で隠し、カレーのルーをたくさんかけてくれた。
つまり僕たちは、カレーの大盛りの金額でカツカレーの大盛りを食べていた。

松本
「なんや鈴原お前、銭湯の一番風呂にはそういう方たちが入りにくるのを知らんかったのか?」
片桐
「鈴原、お前、無事で良かったなぁ〜。」
岡村
「どんなに早くても、朝の7時前には銭湯には行かん方がよか。」
片桐
「でも、ああいう方々は堅気には手を出さねえっていうから。」
岡村
「それでも止めた方がよか。」
松本
「それよりも、鈴原、昨日、お前のサークルの土田先輩に銭湯で会ってもうたで。」

僕のサークルの3年生に土田先輩がいた。後輩の面倒見の良い優しい先輩だったのだが、銭湯で湯船につかると必ず大声で歌い出すのが難点だった。
しかも土田先輩は自分の歌声が、およげたいやきくんでお馴染みの子門真人さんに似ていると思い込んでいた。僕が銭湯で初めて土田先輩と会った時、土田先輩は湯船につかると、子門真人さんの代表曲の1つである仮面ライダー(初代)のテーマ曲を歌った。

土田先輩
「せまる〜 ショッカー!地獄のぐ〜んだん!」

また、土田先輩は銭湯中に響き渡る大声で歌っていたので、その銭湯では有名人になっていて、ある意味
楽しみにしているお客さんまでいた。

松本
「昨日はマジンガーZを歌いよったで。」
土田先輩
「やあ、鈴原くんの友達の松本くんじゃないか、
久しぶりだね、元気だったかい?
空にそびえるくろがねの城〜 スーパーロボット〜
マジンガーZ〜 無敵の力は僕らのために〜
正義の心を パイルダーオ〜ン!」
松本
「パイルダーオンの所で力みすぎて咽よったで。」

岡村
「マジンガーZならまだよか。俺の時はキャンディーキャンディー歌ったけん。」
片桐、松本、僕
「キャンディーキャンディー?」
土田先輩
「やあ岡村くん、この間は実家から送られて来た
辛子蓮根を分けてくれてありがとう。僕は実家が静岡だから、緑茶が送られて来たら分けてあげるよ。
なきべそなんて きにしないわ〜
そばかす だってだって お気に入り
オテンバいたずら 大好き
かけっこスキップ 大好き
わたしは わたしは わたしはキャンディー〜!
ひとりぽっちでいると ちょっぴりさみしい〜
そんな時 こう言うの 鏡を見つめて〜
わらって〜 わらって〜 わらってキャンディー〜!
なきべそなんて さよなら ね!
キャンディー キャンディー〜!」
岡村
「俺、キャンディーキャンディーのフルコーラス
初めて聞いたけん。」
片桐、松本、僕、絶句。

片桐
「俺の時はビートルズ歌ったべ。」
松本
「ビートルズならええやんか。」
片桐
「それがな、ヘイジュードを歌ったんだかな・・」
土田先輩
「やあ、片桐くん、久しぶりだね〜。
ヘイ〜ジュード! ド・レ・ミ・ファ〜。」
松本、岡村、僕、大爆笑。
松本
「鈴原、土田先輩、何とかせい!」
「何とかしろっていわれてもなぁ〜。」

アパートに帰ると茉莉子さんが来ていた。
茉莉子さんは巻き寿司といなり寿司と御吸物を作ってくれていた。
夕飯を食べながら、僕は土田先輩のことを話した。

茉莉子
「確かに土田は後輩の面倒見の良い、いいヤツなんだけどね。私も1回だけ銭湯で男湯から土田の歌声が聞こえて来たことがあったのよ。何を歌ったと思う?
アタックNo.1だったのよ。」

アタックNo.1
苦しくたって 悲しくたって
コートのなかでは 平気なの
ボールがうなると 胸がはずむわ
レシーブ トス スパイク
ワンツー ワンツー アタック
だけど涙がでちゃう 女の子だもん
涙も汗も 若いファイトで
青空に遠く 叫びたい  
アタック アタックNo.1
アタック アタックNo.1

茉莉子
「男湯ではウケてたみたいだけど、男が歌うアタックNo.1を女が聞くと、これほど気持ち悪いものはないのよ。女湯ではみんな、ちょっと誰あれ〜って言っていたの。私、恥ずかしいから、ずっと他人のフリをしていたわよ。」

その3日後、僕は銭湯で土田先輩に会った。
土田先輩は湯船につかると、高倉健さん主演で、
薬師丸ひろ子さんのデビュー作、野性の証明のテーマ曲である、町田義人さんが歌う、戦士の休息を歌い始めた。ところが、めちゃくちゃ上手かった。

男は誰もみな 無口な兵士
笑って死ねる人生 それさえあればいい
あゝ まぶたを開くな
あゝ 美しい人よ
無理に向ける この背中を見られたくないないから
生まれて初めて辛い こんなにも別れが

銭湯にいた人たちは、みんな土田先輩の歌う戦士の休息を黙って聞いていた。
そして、土田先輩が歌い終わると拍手喝采となった。
土田先輩は、手ぬぐいで大事なところを隠し、
すっと湯船のなかで立ち上がると
右手を少し挙げ、その喝采に答えていた。
その時の土田先輩はかっこ良く見えた。


つづく