はじめに
昨年2023年、ビートルズが新曲を発表しました。 
曲名はNOW AND THENです。
1980年代後半、ジョンレノン亡き後、奥様のオノヨーコさんがジョンレノンの未発表のデモテープを見つけポールマッカートニーに渡したことから、この曲の
完成作業が始まりました。
まだ存命中だったジョージハリスンがギターを担当しましたが、当時の技術ではジョンレノンが弾くピアノの音で殆ど聞き取れないジョンレノンの歌声を抽出することが出来ませんでした。
昨年、AIの技術でジョンレノンの歌声の抽出に成功し
この曲が完成しました。
30代後半と思われるジョンレノンの歌声とピアノの音、まだ存命中だったジョージハリスンのギターの音そして、現在81歳のポールマッカートニーの弾くベースと彼の歌声がハモリます。そしてドラムは、現在83歳のリンゴスターのものです。そして曲の最後にGood one(いい曲だ。)と言うリンゴスターの声が入ります。
欧米では大ヒットし名曲だと言われています。

NOW AND THEN とは時々という意味です。
時々にはSometimesという言葉がありますが、
Sometimesは定期的な時々
彼は時々テニスの練習をします、みたいな時に使われます。
NOW AND THEN は不定期な時々
僕は時々こんなことを思い出すんだ
みたいな時に使います。
機会があったら是非聴いてみてください。
僕も名曲だと思います。
今書いている忘れられない恋物語は、ちょうどジョンレノンがNOW AND THENを書いた頃の話しです。


茉莉子さんが見せてくれた雑誌の写真のなかでジョンレノンはおんぶ紐で息子さんのショーン君をおんぶし買い物袋を持って歩いていた。その後ろを奥様のオノヨーコさんが微笑みを浮かべて歩いていた。

「茉莉子さん、僕が住む長野県には軽井沢という避暑地があるんだけど、ジョンレノンは奥様のオノヨーコさんと息子さんのショーン君と一緒に夏に軽井沢によく避暑に来ていたんだよ。」
「ホント?」
「ジョンレノンはいつも軽井沢の名門ホテルの万平ホテルに宿泊していて、毎朝ママチャリに乗って旧軽井沢銀座にあるフランスベーカリーというパン屋さんに行ってフランスパンを必ず2個買って帰り朝食に食べていたんだよ。ジョンレノンはこの店のフランスパンが大好きだったみたい。
僕も高校生の時に軽井沢に行って、このパン屋さんにも行って来た。ジョンレノンが愛したフランスパンとして売っていた。
美味しいフランスパンだったよ。」
「そうなんだ。私、食べてみたい。
鈴原、ジョンレノンの様になりなよ。ミュージシャンになれ、って言ってるんじゃないのよ。
これから女性が必要とするのはジョンレノンの様な男だよ。
自ら進んで子育てに参加し家事も分担する。
これからの理想の彼だよ。」
「茉莉子さん、僕は男女平等のことはよく分かっていない。サークルの先輩から茉莉子さん達が男女平等を訴えてデモをしたりしていると聞いた。
生意気なことを言うかもしれない。でもジョンレノンは愛と平和を訴えてデモをしていた。でも途中から
ジョンレノンはデモをしなくなった。
ジョンレノンは自分の作品を愛と平和を前提に作り始めた。
名曲Imagineはその代表作だと思う。
ジョンレノンは自らの作品を発信することで、より多くの人の心を愛と平和を願う心に変えて行こうとしたんだと思う。
奥様のオノヨーコさんは、表舞台に出るとよく
夢は全ての人が願えば現実となります
と言っている。
世界中の人が愛と平和を願う心を持てば平和な世界になると思っているんだと思う。
僕は茉莉子さん達がやっていることが間違っているとは思っていない。
でも、ジョンレノンとオノヨーコさんがやっていることの方が着実な気もする。」
「鈴原、Imagine、聴いてみたい。」

僕はImagineを録音したカセットテープをカセットデッキに入れて流した。
茉莉子さんは静かに聴いていた。

「なんか天国に登って行くような感じがする曲ね。
歌詞はどんな意味なの?」


Imagine 作詞作曲 ジョンレノン オノヨーコ

想像してごらん
天国なんてないんだと 
やってみれば簡単なことだよ
僕たちの下には地獄もないんだ
僕たちの上には空があるだけ
想像してごらん
全ての人たちが ただ今日を生きていると

想像してごらん
国なんてないんだと
難しいことじゃないよ
殺すことも死ぬこともない
そして宗教さえもない 
想像してごらん
全ての人たちが平和なかに生きていると

君は僕のことを夢想家と言うかもしれない
でも それは僕だけじゃない
君もいつか僕たちの仲間になって
世界が一つになってくれたらと思う

想像してごらん
何も所有しないということを
君にも出来るも思うよ
欲張ったり飢えたりする必要もない
人は みんな兄弟なんだって
想像してごらん
全ての人たちが世界を分かち合っていると

君は僕のことを夢想家と言うかもしれない
ても それは僕だけじゃない
君もいつか僕たちの仲間になって
世界が一つになってくれたらと思う


「鈴原は自分の夢に向かって、ちゃんと英語の勉強をしてるんだね。見直したよ。」

そう言うと茉莉子さんは微笑んだ。

21世紀になり、20世紀の1番の名曲は何だろう、
と選ばれたのが、
作曲部門では 
ポールマッカートニーがビートルズ時代に作曲した
ヘイジュード
作詞部門では
ジョンレノンのImagineだった。

茉莉子さんとImagineの話しをした後、1980年の冬
僕は茉莉子さんの部屋にいた。
その日は12月8日だった。
僕は茉莉子さんとテレビでジョンレノンの訃報を知ることになる。
その日、ジョンレノンは住居のダコタハウスの近くで
凶弾に倒れて亡くなった。
享年40歳だった。
世界中のファンが悲しみに暮れ涙を流した。
奥様のオノヨーコさんは悲しみのあまり
ファンの人たちへ
ジョンにたくさんのお花をありがとう
というメッセージしか出せなかった。
この時のことは、この忘れられない恋物語のシリーズの後半に書こうと思っています。


つづく