1980年、僕は大学に合格し長野県から上京しアパートで一人暮らしを始めた。

入学式を終え、オリエンテーションに参加した後、

その年に履修する講義をマークシートに記入し、次の日大学の教学部に持って行った。

今とは違いパソコンもスマホどころか携帯もない時代だった。

僕は教学部の長い列に並び漸く自分のマークシート用紙を提出することが出来た。


教学部のある建物を出ると、いろんなサークルが新入生を勧誘していた。

僕は旅行のサークルに入りたかったので、旅行のサークルを3つお邪魔し説明を聞いたが、何故かしっくりと来なかった。

その日はそのまま帰ろうと思って歩いていると、僕の目の前に、サークル旅という看板が見えた。

僕はシンプルなその名前が気に入り説明を受け、そのサークルに入ることを決めた。


その1週間後、大学の近くの喫茶店の2階を貸し切って、サークル旅の先輩方と新入生の交流会が行われた

その中に、小柄なのだがスタイルの良い(後で知ったのだがジャスダンスを習っていた)そして目力のある女の人がいた。

ベージュ系のジャケットとパンツ姿だった。

それが何故か凄く似合っていた。

これが茉莉子さんとの出会いだった。


その時の茉莉子さんはショートカットヘアで可愛いシーガレットケースから煙草を取り出し火をつけて吸っていた。

新入生の方からひとりひとり自己紹介をしていった。

茉莉子さんの順番になった。 

茉莉子さんはすっと立つと

教育学部4年 斉藤茉莉子です、よろしく。

とだけ言って椅子に座った。

その後、夕方6時から新入生歓迎コンパが行われた。

1年生の男は、そのサークル恒例の丼ビールを飲まなくてはいけなかった。

僕は飲み切ったが、少しすると酔いが回って来て、

今でもその後のことはよく覚えていない。


僕のアパートは三田線の板橋区役所前駅にあった。

ここは東武東上線の大山駅も利用可能だった。

大山駅には長い商店街があった。板橋区役所側にも

仲宿商店街があった。 

僕はその日、仲宿商店街で日用品の買い物をしていた

仲宿商店街を歩いていると書店から茉莉子さんが出て来た。


「こんにちは、サークル旅の新入生の鈴原です。

斉藤先輩はこの近くに住んでいるんですか?」

「私は板橋区役所の近く。それより、鈴原と言ったよね? みんな私のことを斉藤と名字では呼んでないのよ。

みんな茉莉子さんって名前で呼んでるから。」

「分かりました。茉莉子先輩。」 

「茉莉子さんでいい。それより鈴原、お前、お昼ご飯はもう食べた?」

「まだです。」

「ついておいで。私がお昼ご飯ご馳走してあげるから。遠慮しなくていいよ。お前は後輩なんだし、それに昨日バイト代が入ったから。」


茉莉子さんは僕を仲宿商店街の出口の近くにある定食屋さんに連れて行ってくれた。

ここの豚肉の生姜焼き定食が美味しいからと頼んでくれた。

その豚肉の生姜焼きはタレがスープの様にお皿全体に浸されていて、千切りキャベツはドレッシングをかけずに食べられると亜希子さんは言った。

そして、こんなにご飯を食べられないから、と言って

丼に盛られたご飯を半分僕の丼のご飯の上に箸でのせてくれた。


「美味しいだろう?」

「はい、凄い美味しいです。」

「鈴原は大学を卒業したら就職はどうするの?」

「僕はヨーロッパに行く仕事に就くのが目標だし夢なんです。旅行会社でも普通の企業の海外営業でも、とにかくヨーロッパに行きたいんです。」 

「そうなんだ。」


そう言うと亜希子さんは優しく微笑んだ。


「男はそれくらいの大きな夢を持ってるべきだと思うよ。今、自分の夢を話した鈴原の目は輝いていたよ」

「亜希子さんは教育学部だから、卒業したら教師になるんですよね?」

「私は女子校の世界史と倫社の教師になりたいの。」

「どうして女子校なんですか?」

「鈴原も知っていると思うけど、今は大学を卒業して就職しても、女は結婚への足掛けで就職するからと言って、責任のある仕事もやりたい仕事もさせてもらえないどころか、その仕事に挑戦する機会も与えてもらえない。この悔しさが男のお前に分かるか?鈴原。

女である、というだけで格下に思われ、結婚したら

家の中にいて家事をこなし子育てをしろ。

私は子どもが好きだから子育ては嫌いじゃない。

でも、子どもは女が産むものなのよ。

子どもを産むから、という理由で自分がやりたい仕事に挑戦もさせてもらえない、なんておかしい!

女がいるから子孫が残せるのよ。男だって女がいなきゃ困るでしょ?

どうして男が子育てを手伝わなくていいの?

自分の子どもでしょ?

社会も女がいなければ子孫が残せない、そんな大切な役割を担っている。それを理由に社会で活躍させないというのは間違っている。

世の中には女にしか出来ないことがある。

女の方が上手くやれることもある。

そういった意味でも男と女は平等よ。

男が家事を手伝って何がいけないの?

男子厨房に入らずって、どういうこと?

男は見た目じゃなくて中身だ、ってどういうこと?

男は女を見ためで判断して良くて、女は男を見ためで判断してはいけない、とはどういうこと?

女は綺麗でスタイルが良ければ、中身なんてどうでもいいの?

こんな理不尽なことってある?

鈴原、男のお前には、この悔しさが分からないだろう。」


茉莉子さんはそう言うと大粒の涙をポロポロとこぼした。

僕は、こんな女性に初めて出逢ったと思った。

今までに出逢ったことのない人、そして、こんなに真剣に生きている女の人には今まで出逢ったことがなかったとも思った。


「鈴原、私が1番悲しいのはね、これからの社会を担っていく若い女の子たちが、日本に男女平等社会を作るなんて無理だ、と諦めてしまっていることなの。

だから私は男女平等はまず教育からだと思う。

私は女子校の教師になり、授業をしながら、男女平等社会がどんなに大切で、どんなに若い女の子たちの将来のためになるかを教えたいの。

私が生きている内に、日本は男女平等社会にならないかもしれない。

でも私の教え子たちが、日本に男女平等社会を作ってくれると信じてる。」


僕は、こんなに真っ直ぐに生きている女性に初めて出逢った、と思った。

茉莉子さんは、スタイルが良くてファッションセンスもあるが、美人という人でも、特別可愛いという人でもなかった。

でも、何故か僕を惹きつける魅力に溢れていた。

店を出て板橋区役所前の交差点を渡った。


「茉莉子さん、僕はこの先のアパートですから、ここで失礼します。」

「鈴原、ちょっと待って。お前のアパート、どれだか教えて。」


僕はそのまま茉莉子さんと一緒に50メートルほど歩き、ここです、と言った。

茉莉子さんは、鈴原はこのアパートに住んでたの?

私と一緒に来て。と言った。

来た道を戻り、交差点の手前の細い道を50メートルほど歩くと、ここが私のアパートだよ、と茉莉子さんは言った。


「こんなに近くに住んでいたなんて、私たち、縁があるのかもしれない。鈴原は明日の日曜日は予定があるの?」

「いえ、ありません。」

「私、小さなカラーボックスを何個も使っていて使いづらくなっちゃったから、大きなカラーボックスを買ったの。昨日、宅配便で届いたんだけれど、私、カラーボックスを組み立てたりするの苦手なのよ。

明日の午前の10時に来て、205号室だから。

お土産は持って来ないで、私たちのサークルの決まりなの。後輩が遠慮なく先輩の家に遊びに行けるようにってね。待ってるから。」

「茉莉子さんはドライバーを持っていますか?」

「1つ持ってるけど小さ過ぎるかも。」

「分かりました。ドライバーセットを持って行きます。」


僕はそう言って自分のアパートに戻った。

これが茉莉子さんとの出逢いだった。



つづく