アムステルダム滞在3週間目の週末、僕は亜希子とふたりで夕食を食べた。

「ユウキ、私、ユウキのことをお父さんとお母さんに話してもいい?」
「いいよ。僕も日本に帰ったら親父とお袋に話すよ。」
「ホント?反対されたら駆け落ちしようね。」

アムステルダム出張最終の週末、金曜日の夜、僕は亜希子とホテルの部屋のなかにいた。

「ユウキ、私のお父さんは金型職人で自分で金型工場を持っていて兄に自分の職人技を教え続けて来たの。
一昨年、兄が病気で亡くなってしまった。お父さんは自分の金型工場と会社を自分の代で終わりにするつもりでいた。
私は知らなかったんだけど、半年位前に知り合いの息子さんが2人いる金型職人さんが、次男の方を養子に出してもいいと言ってくれたらしいの。
本当に私、知らなかったの。
ユウキの話しをしたら、その男の人と別れてその人と結婚して、自分の金型工場と会社を守って欲しいと、
泣いて頼まれた。
父は頑固一徹で決して人前で涙を見せる様な人じゃなかった。自分の父親が亡くなった時も、母親が亡くなった時も、1人で泣いていたかもしれないけれど、人前では決して泣かなかった。兄が亡くなった時も目に涙を浮かべていたけれど、決して泣かなかった。
そんな父が初めて私の前で泣いた。それも涙をポロポロ流しながら、お前に辛い思いをさせてすまない、許してくれ、と言って泣いた。
ユウキ、ごめんなさい。私、断れなかった。」

僕は突然のことに何も言えないでいた。

「これだけは信じて欲しい。私は本当にこのことを知らなかった。ユウキ、私の言っていることを信じているという証拠に私を抱きしめて。」

僕は亜希子を抱きしめた。

「ユウキ、私のベルギーでのキスの味は?」
「チョコレート。」
「ユウキ、チョコレート、好きよね?
チョコレートを食べるたびに私を思い出して。」

亜希子は僕の胸で泣き続けていた。

「ユウキ、これからの人生で、私以外のCAにコースターを貰っても絶対に会わないで。これ、私だけがやってるんじゃないの。
ただ、その場でコースターを突き返してしまうと、
ずっと気不味い思いをして飛行機に乗っていなくてはならないから、一旦貰っておいて、空港のゴミ箱に捨てて欲しいの。
これだけはお願い。」
「分かった。約束する。」

亜希子は自分からキスして来た。

「ユウキ、ここに座って。
鈴原様、これより離陸体制に入りますのでシートベルトを着用ください。離陸後、安定飛行に入るまでシートベルトの着用をお願い致します。
ユウキ、私の心は貴方のもの。
それだけは信じ続けていて。」

そう言うと亜希子は涙を浮かべ、ドアを開けて走って行った。

僕は1ヶ月間のオランダ出張の日程を済ませた。
予定より1日早く業務を済ませたが、オランダ観光をするつもりはなかった。
僕は総務の女性にお願いして、日本以外の航空会社の飛行機を予約してもらった。

次の日、僕が乗った飛行機はスキポール空港を離陸した。窓の下に見えるアムステルダムの街並みを見ていた。
安定飛行に入り1時間程するとディナーが運ばれて来た。食後、CAの女性が片付けに来た。

すると、そのCAの女性が、

「Mr.Suzuhara, please keep this.」
(鈴原さん、これ持ってて。)

と言ってコースターを置いていった。
僕はえっ?と思ってコースターの裏側を見ると
そのCAの女性の名前と成田のビジネスホテルの名前が書いてあった。

もしかして、これって万国共通?

僕は亜希子に言われた通り、そのコースターを貰い 
成田空港のゴミ箱に捨てた。

その約3年後、
僕は出張で東京に来ていた。お客様との打ち合わせが早めに終わり、予約していた特急あずさの出発時間まで2時間以上あった。
駅に向かう途中、美術館でフェルメール展をやっていた。僕は懐かしく思い見学した。

真珠の耳飾りの少女の絵があった。

その時、
私、ユウキのお嫁さんだと思われた
と言った亜希子の声が聞こえた気がした。

END

次回より
忘れられない恋物語 茉莉子 男女平等に青春を捧げた女性たち、をスタートします。