「あれ?」
「どうしたの?」
「全然混んでない。」

ベルギーGPのサーキットに到着したのだが、
日本の例えば鈴鹿サーキットでもそうだが、駐車場は
満杯で前の晩から並んでいたりする。
車がない訳ではなかったが、普通に車が並んでいる程度だった。

「ねえ、ベルギーではF1って人気ないの?」
「そんなことはないよ。」
「日本人みたいにあくせく並んだりしないんじゃないの?」
「そうかもしれないね。」

僕たちはサーキットの観覧席の方に行った。
入場口でお金を払い席の番号を聞くと、意味が分からないと言った。

「ねえ、何処で観ても良いってことじゃない?」
「そうなんだ・・」
「ねえ、それより入場料、日本円にすると8万円位じゃなかった? そんなに高いの?私、自分の分を出すわ。」
「ボーナス出たばかりだから大丈夫だよ。それに、ふたりで8万円って安い方だよ。日本で良い席で見ようと思ったら、1人でそれ位かかるよ。それに、何処で見ていてもいいみたいだから。」
「ただ車が走っているのを見ているだけで8万円ね、私には理解出来ないわ。シビックで文句言ってごめんなさい。」
「そうだ、グランドスタンドの席に行ってみよう。」

僕はF1マシンがスタートしゴールする目の前の席に行った。
空いてる席があったので座った。日本では考えられないことだ。誰かが自分たちの席だと言ったら移動すればいい、という結論になってそこに座った。 
僕は持って来た折りたたみ式の携帯の双眼鏡を1つ
亜希子に渡した。

「あそこの赤いジャケットを着たスリムでカッコいいレーサーを見て、音速の貴公子アイルトン・セナだよ。ブラジルの星と言われてるんだ。」
「素敵な人。」
「セナの首を見て、体型に対して凄い太いだろ?」
「そうね。」
「身体を鍛えている証拠だよ。F1マシンは最高300km以上、平均時速250km以上で走る。物凄い重量がかかるんだ。急ブレーキを踏むと余りの重力で普通の人なら気絶してしまう。だから、身体を鍛えていないとF1マシンは運転出来ない。
あっ、プロストだ。僕はプロストのファンなんだ。」

亜希子も僕に言われてプロストを見た。
「ねえ、どうしてあんな人相の悪いおじさんのファンなの?」
「人相が悪いとは失礼な。」
「だって、誰が見たって、セナは正義の味方、プロストは悪役よ。そう言えばユウキ、来る時、車の中でテニスの話をした時、私がビヨン・ボルグが好き、と言ったらマッケンローが好きって言ったわよね? 
どうして、ああいう問題児が好きなの?
バスケの話をした時も、私がマイケル・ジョーダンが好きって言ったら、ロッドマンが好き、って言ったわよね?どうして、あんなオレンジ色に髪を染めた変態男が好きなの?」
「僕とは正反対だからだよ。勿論セナの様にもなれないけどね。プロストはセナに次ぐF1ドライバーで、
セナの1番のライバル。でも虎視眈々とトップを狙っているプロストが好きなんだ。
マッケンローはエレキギターの名手でもあるんだ。
カルロス・サンタナの名曲哀愁のヨーロッパを、ステージの上でしかも彼の隣りで見事に弾いて、サンタナを感動させた。
ロッドマンはリバンドの天才なんだ。彼の髪の色は
エイズオレンジなんだ。ロッドマンは髪をエイズカラーに染めることで、HIVの人たちへの偏見を失くそうと訴えているんだよ。」
「そうなのね。」

F1ドライバーがマシンに乗り込むと物凄い爆音が鳴り響いた。僕は胸が踊った。

「ねえ、鼓膜が破れそう。」 

そして、大爆音とともにF1マシンは一斉にスタートした。

「ちょっとユウキ、私、爆弾が爆発したかと思った。」
「全マシンが一斉にスタートしたからね。」

セナがトップで最終コーナーを曲がってグランドスタンドの前の直前コースに入った。

「亜希子、セナのマシンが来たよ。」
「ねえユウキ、私、見えなかったんだけど、今、本当に通ったの。」
「時速300kmは出てるから一瞬の内に通り過ぎるんだよ。この次は注意して見ていて。」

プロストがセナを抜いて最終コーナーを曲がった。

「亜希子、プロストがトップで入って来る。」
「ねえユウキ、私、また見えなかった。私、動体視力が悪いのかしら、もっとゆっくり走る所はないの?」
「コーナーの近くに行って見よう。」

僕たちはゆっくりと最終コーナーの方に向かって歩いた。すると爆音が響いた。

「ユウキ、何があったの?」
「最終コーナーの手前で2台クラッシュしてる。 
亜希子、破片とか飛んで来なかった?」
「大丈夫よ。それよりマシンから煙が出てる。
ねえ、どうしてあのドライバーの人、ハンドルを持って逃げてくの?」
「ハンドルだけは使い慣れた物がいいから、ドライバーの人たちはハンドルを持って逃げるんだよ。ハンドルは簡単に取り外し出来る様になってるんだ。」
「ねえ、皆どうして事故現場の方に走って行くの?
危ないでしょ。」
「F1マシンの欠片を拾いに行くんだよ。自分の好きなドライバーのF1マシンの欠片は滅多に手に入らないからね。僕もプロストのF1マシンの欠片が欲しいよ。もしその欠片にプロストの名前が入っていたらプレミア物だよ。」
「そういうことなんだ・・
あら、あの車、故障したのかしら?コースから外れて中に入ってく。」
「タイヤ交換のためだよ。F1マシンのタイヤには普通の車のタイヤの様な溝が余りない。スピードを出すためなんだけれど。こんな高速で走っていると、当然タイヤが摩耗して来る。だから、どのマシンもタイヤ交換が必要なんだ。いつタイヤ交換するかも、レースの駆け引きなんだ。タイヤ交換と言っても早いよ。
見ていて。」
「ホントだ。次々とタイヤを換えて行く。」
「何時の時点でタイヤ交換するかもレースの駆け引きなんだ。あっ、プロストがタイヤ交換に入った。
セナは走り続けてる。」
「私、何だか、だんだん面白くなって来た。
セナー!悪人顔に負けるなー!
ユウキもセナを応援しなさい!ウルトラマン好きだったでしょ?」
「ウルトラマンと一緒にしないで欲しいな〜。それと悪人顔も止めて欲しいな、ワイルドとか、そういう言葉を使えないかな・・」
「貴公子を応援しない貴方がいけないのよ。」 

結局、残り2周の所で、最後尾の車の事故でセナとプロストが減速した時に、他の車が抜いて行って、セナもプロストも優勝しなかった。

「なんかスッキリしない結果だったなぁ。」
「いいじゃないの。喧嘩にならなくて。」
「そうだ、急いで帰らないと、CAのメーティングに間に合わない。」
「ミーティングは明日の早朝に変更になったの。ユウキは眠っていてね。」
「そうなんだ。じゃあベルギーで夕御飯を食べて行こう。お昼を食べてないからお腹が空いちゃった。牛肉のビール煮が美味しいみたいだよ。」
「私、それにする。」

僕たちは駐車場に向かって歩き出した。

「ユウキが音速の貴公子じゃなくて良かった。」
「安全運転ってこと?」
「鈍いわね、違うわよ。夜の営みのことよ。」

そう言って亜希子は笑った。
僕も笑った。

この約5年後、アイルトン・セナはイタリアのサーキットでレース中の事故により亡くなった。
ブラジルを始め世界中のセナのファンが涙を流した。
その時、人類はまた1人の天才を失った。


つづく