翌朝7時半少し前にロビーに行った。亜希子はまだ来ていないみたいだった。僕がソファーに座ろうとした時、後ろから亜希子の声がした。

「ユウキ、おはよう。私、ずっといたのに気づかないんだから。」
「えっ?亜希子?」
「これが普段の私なの。CAの仕事をしている時はピンで髪をピッタリと止めているけど、仕事を離れると、いつもこんな風なの。」

亜希子は少し短めのセミロングヘアに少しウエーブの
かかった髪型をしていた。
CAの制服姿とは違い。ベージュ系の色のジャケットとパンツ姿だった。
ジャケットの内側の白いシャツの上の首のところには
趣味の良いネックレスがあった。

「僕はCA姿の亜希子よりも今の亜希子の方が好きかもしれない。」
「ありがとう。でもCA姿の私にも自信があるんだけどな。」

と言って亜希子は少しすねた顔を見せたが、直ぐに
優しい微笑みを浮かべた。
レストランの朝食はビュッフェスタイルだった。
生のニシンを発酵させたハーリングが僕は好きで取ったが亜希子は苦手だと言った。
オランダ人はチョコレートが大好きで朝からチョコレートを食べる。僕はオランダ流に小さめの食パンのようなパンにバターを塗りチョコレートのトッピングをした。それを2枚作って取った。
ふたりでテーブルにつき朝食を食べ始めた。

「ユウキは甘いものが好きなの?」
「そう。」
「朝からチョコレートを美味しそうに食べる男の人って少ないと思う。私も甘いものが好きだから嬉しいけど。ねえ、オランダと聞いて何を思い浮かべる?」
「みんな風車とかチューリップって言うけど、僕は
オランダを救った1人の少年の話し。」
「私もその話しは知ってる。オランダは海抜0メートルの国。国が堤防で覆われている。ある日1人の少年が堤防に空いた穴から水が漏れているのを見つける。
その少年は自分の手をその堤防の穴に入れて水を止めた。その少年はそのまま気を失ってしまう。通りがかった人がその少年を見つけ助けを呼ぶ。オランダの人たちはその少年をオランダを救った英雄とした。
ねえ、これ本当にあった話しで、その少年が手で水を塞いだところが残っているのよ。見てみたい?」
「見てみたい。」
「朝食を食べたら行きましょう。」

僕たちはタクシーに乗って向かった。タクシーのドライバーさんに行き先を告げると、

「お客様、日本の人でしょ?日本の人がこの話しを知ってるなんて嬉しいよ。俺も日本のことを知ってるよサコク、日本は昔、サコクをしていたけど、長崎のデジマでオランダとは通商していた。
サコクとデジマ、オランダ人は皆、この日本語を知ってるよ。」

少年が手を堤防の穴に入れ、水を防いだ箇所だけ、
堤防のコンクリートの色が少し違っていた。
ここで少年は気を失ってもオランダを救い続けたんだと思った。
僕が色の違うコンクリートを見つめていると亜希子が
僕の背中から僕を柔らかく抱きしめて、

「ふたりでオランダのモナリザが見たい。」

と言った。

「オランダのモナリザ?」
「私もまだ本物は見たことないの、デン・ハーグの
マウリッツハイス美術館にあるの。」

僕たちはタクシーでアムステルダム駅に行き、電車に乗ってデン・ハーグに向かった。
車内で買って来たサンドイッチとクロケットをジュースを飲みながら食べた。
クロケットは日本のコロッケの源となったもの。
卵のような楕円の形をしていて、日本のコロッケよりもスパイシーな味がした。
僕は美味しいと思ったが、亜希子は、私は普通かな、
と言った。

デン・ハーグ駅に着き、マウリッツハイス美術館に行った。
館内に入りオランダのモナリザの絵の前に行った。

「オランダのモナリザって、この絵のことだったんだ。」
「そうよ、フェルメールの真珠の耳飾りの少女よ。」

青いターバンを巻いた少女が振り返っている有名な絵だ。その少女は微笑んでいるようにも見えるし、話しかけて来るようにも見える。  

「僕は本物のモナリザよりも、この絵の方が好きだなぁ。」 
「私もよ。」  

すると年配の日本人の旅行者のご夫婦に話しかけられた。

「あら、日本の方たち? もしかしたら、あなた達、
新婚旅行?」

すると亜希子は、

「はい、そうです。」

と答えた。

「あなた、この方たち、新婚旅行なんですってよ。」
「そうか、君たち、幸せにな。」

そう言うと、その年配のご夫婦は、若いって羨ましいと言いながら歩いて行った。

亜希子は

「私、ユウキのお嫁さんだと思われた。」

と言って、目に涙を浮かべた。



つづく