僕は相田みつをさんの言葉が好きだ。
座右の銘にしているのが、
やれなかった やらなかった どっちかな
という言葉。
何かが出来なかった時、
それが本当に出来なかったのか
最後までやり遂げなかっただけではないのか
と自分自身に問うことは大切だと思う。

もうひとつ特に好きな言葉がある。
親切という名のおせっかい そっとしておく思いやり
という言葉だ。

親切という行為には
エゴや自己満足が含まれている時がある。
親切にしてあげてるという気持ちだ。

自分の恋人が苦しんでいる時
心配になり、優しくしたり、親切にする。
だが、最終的に立ち直るのは本人だ。
本人が自分で立ち直るしかない。
だとしたら、
親切にするのではなく
そっとしておく
そっと見守り続けることこそ
優しさであり思いやりであるのかもしれない。

苦しんでいる恋人に親切にすれば
一見、恋人を支えているようではあるが、
親切にすることで
自分の気持ちを楽にしていることにもなる。
これは少し違うと思う。

愛する人が苦しんでいる時は
自分も同じように苦しむことが
恋人同士だと思う。
あるいは、夫婦、親子、家族だと思う。
一緒に何かを乗り越えるとは
そういうものだとも思う。
自分も辛い思いをすれば
自分自身も成長することが出来る。
愛する人が苦しんでいる時は
自分も苦しみ、一緒に乗り越え成長する時だと思う。

また愛する人に立ち直ってもらうことで
以前よりも強くより良い人間になってもらうことも
愛情だと思う。
あれこれ手を出すことは
愛する人が成長しようとしている時の妨げにもなる
愛する人を大切にすることと
甘やかすことは違う。
厳しさもまた愛情。
 
親切という名のおせっかい そっとしておく思いやり
という言葉は、
本当の優しさとは何か?
ということを問うている言葉だと思う。
その人に対する優しさや親切は
本当にその人にとっての優しさや親切になっているのか?
おせっかいになっているだけではないのか?
僕にそんな言葉を突きつけて来る 
相田みつをさんの名言だ。