僕の仕事上の知り合いの女性が、日本を真の男女平等社会にするためには、昭和のおじさん達が社会の第一線から退かなければならない、と言ったが、僕も同じ昭和のおじさんではあるが、その通りだと思う。
全てではないが、確かに昭和のおじさん達は古い恋愛観や女性の社会的地位を昔のまま維持させようとしているし、新しい時代を認めようとはしない。

僕の書く記事に共感出来ない人もいると思う。
これは僕の本ブログのnoteでも同じだが、特に共感してもらえないのは、僕と同世代のおじさん達だ。

僕等の世代のおじさん達は、女房は沢山給料を持って帰れば何でも言うことをきく、とまで言う人たちまでいる。

僕が大学生だった頃まで、女性はあからさまに差別されていた。確か1979年だったと思うが、国連で 女性差別撤廃条約が可決され、各国はその条約に締結して行った。ところが日本政府は締結の動きすら見せなかった。
その当時の女性達は、僕の通っていた大学の女性達もそうだったが、男女平等を訴えた。
そして1984年、日本は漸く女性差別撤廃条約に締結し、1985年、男女雇用機会均等法が制定された
この当時、学生も含め男女平等に賛成しない男達が多かった。
僕は1度、サークルの女性の先輩に頼まれて、男女平等に反対する男の理由を調べた。
1番多かった理由は、女性が社会進出すると男の立場が脅かされるというようなものではなく、男女不平等の方が男は楽だから、だった。
つまり、奥さんに家事、育児、親の面倒を全て任せ、
自分は会社で仕事をし、飲んで帰って来て、家では
風呂に入り、テレビを観て、眠るだけという方が、
ずっと楽だから、ということだった。
この世代の男達が今の昭和のおじさん達だ。

この時代の女性もこの風潮に同意していたようなところがある。
社会進出を目指す女性は少数派で、多くの女性は結婚が人生の第一目標で専業主婦に憧れていた。
この当時の女性の理想の男性は3高と言われていた。
背が高くて高学歴で高収入。
この頃、女性に人気の男の職業は、医師、弁護士、
大企業の社員だった。
この頃の大学生男子の人気企業は、トヨタ自動車、
本田技研工業、日本IBM、日立製作所、東芝、ソニー
松下電器(現パナソニック)、シャープ、NEC、富士通
都市銀行等だった。
人気がなかったのが公務員(この頃は民間企業の方が給料もボーナスも良かった)、中小企業の社員、自営業等だ。

この時代の女性は今の女性よりも、恋愛は恋愛、結婚は結婚と考えていた。
結婚前に遊んでおいて、好きではなくても収入の多い男と結婚する。
この頃の、おニャン子クラブに代表される女子大生ブームにはこんな背景があった。

一方男は、完全な学歴社会だったので、一流大学に
合格出来なかった男は一流企業に就職出来ないのは
最初から分かっていたので、大学をレジャーランドのように思っていた。
そして、自分が結婚出来る人と結婚した。

こんな男女が結婚すれば、遊び癖がついているわけだから、ましてや好きな人と結婚していないので、今で言う不倫に走るようになった。
当然、そんな両親の元で育った子どもの心は荒み、 
校内暴力等が発生し、女子高生、女子大生の売春が始まり、男はそれを利用するという悪循環まで生まれた

僕の友人には今でも独身の男が何人かいる。
実業家の友人は、ポルシェとフェラーリと冬用の
4WDのBMWを持っていて、お金もある。
だが彼は、お金があれば縁談話はいくらでも来るという感覚を今も持っていて、1回好きな女の人に真剣に交際を申し込んだが、その女性に
女は豊かになりたいのではなくて、幸せになりたいんです。
と言って断られた。
彼は、それに対して僕に、あの女は馬鹿だ、と言った
彼は昭和50年代の感覚のままなのだと思う。

今年、僕の長女が結婚した。
長女は結婚相手を僕に紹介する時に、お父さん、この人が私のパートナーになる人だよ。と言った。
自分の結婚相手をパートナーと呼ぶようになった。
時代は変わったと思った。
今の若い女性は、自分の旦那さんのことを、主人と言う女の人に反感を持つらしい、主人と言う言葉は、
自ら自分はパートナーよりも立場が下だと認めている言葉だからだという。

今の女性の理想の男性は3低もしくは3平だという。
3低
低リスク 公務員等の安定した職業に就いている
低依存     家事が出来、自分への依存度が低い
低姿勢     亭主関白ではなく、友達のような関係でいられる人
3平
平等  お互いの立場は平等である
平均  収入は世の中の平均で良い
平穏  ギャンブルや浮気をしない

今は女性も男と同じ責任のある仕事を任され、ストレスもたまり、人間関係にも悩むようになった。
仕事で疲れて帰って来て、パートナーの機嫌までとっていたら身が持たないのだと思う。
自分の方が残業で帰りが遅くなる時は、パートナーに自分の分の夕飯も作っておいてもらいたい、というのが本音だと思う。
パートナーに1千万円の収入がなくても、自分の分の収入もプラスすれば年収1千万円の生活が出来る。
だからパートナーの収入は世の中の平均で良いのだと思う。逆に、パートナーの収入が極端に多ければ
平等な立場ではいられない。家事も育児も親の面倒も
みんなお前がやれ、と言われてしまう。
今の女性は、そういうのは嫌だ、と言っているのだと思う。

僕の娘や娘のパートナーや娘の友達と接する機会があるが、今の若い人たちは僕等の時代の男よりも、
ある意味、心が広い。こちらが相手のことをきちんと理解すれば、若い人たちは僕達を拒絶しない。
拒絶しないどころか受け入れてくれる。そして僕たちの経験や知識を学ぼうとする姿勢まで見せてくれる。
僕等の世代のおじさん達は見習わなくてはいけない。
これは女性に対しても同じこと。
世の中には、女性にしか出来ないことがある。
女性の方が上手くやれることがある。
僕等の世代のおじさん達は新しい時代に抵抗するのではなくて、新しい時代を理解し受け入れ、若い人たちや女性の方々と共存していかなくてはならない。
さもなくば、待っているのは孤独だけだ。
この抵抗に勝ち目はない。 
女性に、日本を真の男女平等社会にするためには、
昭和のおじさん達が社会の第一線から退かなくてはならない、と言われるのは大問題だ。

僕は、おじさん達に共感されなくても、自分の奥さんや娘たちと、共存の道を進もうと思う。