日本語を学ぶ人たち 前
湖の遠くにかすかに見えていたパゴダは、湖にかかる大きな橋を渡って実際に訪れて見てみると、思ったよりもこじんまりとしていた。
毎朝の掃除が隅々まで行き届いているのか、境内は整然としている。さっそくざっと辺りを見まわしたが、人の姿は見えない。奥の方に若い僧侶たちが寝泊まりしていそうな宿泊所らしき建物があったので、そちらを訪れてみた。
建物の外には数本のロープが張られ、洗い終わってからさほど時間が経っていないのであろう洗濯物からはぽたりぽたりと水が滴り落ちている。
その少し奥に見えた部屋のドアが半開きになっていて、そこで誰かが何やらの作業をしているバサバサという物音が聞こえてきて、僕は恐る恐るそこを覗きがてら半開きの木のドアをこんこんと叩いてみた。
「ミンガラァバァ・・」
少し控えめに言ったので聞こえないのか、反応はない。
もう少し奥を失礼して覗きこんで見ると、一瞬バサバサと鳴っていた音が止んだ後、パッと猫が飛びだして半開きのドアから飛びだしていった。
「誰もいないのかな・・」
せっかく面白そうな場所を教えてもらって来たと思ったのに、留守では何の意味もない・・。ちょっとがっかり気味に元きた入り口の方へとことこ歩き始めた。
と、そこへ1人の若い僧侶がどこからか戻ってきた。
すぐにその人が日本語を話すミャンマー人だとわかった。
理由はない、直感だ。
必要な人が必要な場面で僕の前に現われた、そんな気がしたのだ。
思った通り、彼は日本語を話した。
「オオォォ、ニホンジンデスカぁ(笑)コンニチハぁ、ドウシテ、キョウハココにキマシタカぁ?」
「日本語を話すミャンマー人がたくさんいると聞いて来てみました(笑)」
「ソウデスカぁ、ヨクキテクレマシタぁ、ヨロシクドウモぉ」
まだまだ勉強中であまりうまく話せないという彼だったが、ゆっくり話す限り日常会話に支障ないほどの日本語をこなせる人だった。
この日、パゴダのお祭りがあってその準備で今境内には誰もいないのだと説明してくれた彼は、今ちょうど別の場所で日本語の授業をおこなっているお寺の学校があることを教えてくれた。
「オテラノガッコウニイッテミマスカぁ?ソコニハワタシノトモダチモセンセイもミンナイマス。」
一つ返事で行くと答えた僕のために彼は、バイクに乗った他のミャンマー人の男を案内役として付けてくれた。
自転車をパゴダの傍へ置かせてもらった僕はその男の後ろに乗って今度はそのお寺の学校を訪れた。
到着してすぐ、先生をしているという僧侶の男性に会うことができた。
先ほどのパゴダで会った若い男の先生なのか、話す口調がとてもよく似ている。
「ヨクキテクレマシタぁ、ヨロシクドウモぉ」
それにしても驚くほどのフレンドリーさ。会って早々、
「ドウシマスカぁ、今日ハ、オ寺ニ泊マッテイキマスカぁ?」
と言って部屋を案内しようとまでしてくれる親切ぶり。今はホテルに泊まっている旨を伝えると
「ソウデスカぁ、マァイツデモドウゾ。。」
と言って今度は授業をしている教室へ僕を案内してくれた。
ざっと30人ほどの学生らしきミャンマーの若者たちがそこでは熱心に机に向かっていた。
教室の壁を見ると大きな模造紙に見たことのある風景の写った写真と共に日本人の女性が紹介された文面が目に飛びこんできた。
それは僕の通っていた大学の校舎や学食、学内の風景だったのだ。
そこには日本人の女性が卒業式を迎えた日に文学部棟らしき建物の前で撮った着物姿の写真もあった。ちょっと懐かしい風景の写真にまじまじと見入っていた僕に先生が聞く。
「ソレハぁ、日本ノ大学デスネぇ。」
「そうそう、僕もここだったんですよ!!」
「オォ、ソウデスカぁ。ジャぁ、コノ女性ヲ知ッテマスカぁ?」
「いや・・この女性は?」
もうだいぶ前、数年前に大学を卒業した人で、ミャンマーの地、ここメイッティーラのお寺の学校で皆に日本語を教えたり、他にもいろいろと深い関わりのある人だと先生は説明してくれた。
話のニュアンスからすると僕と同じ頃、あるいは1年違いくらいで卒業したと思われる人であった。
「今デモ、時々、彼女ハココニキマス。。」
「へぇぇ・・」
同じ出身校、といったことをさほど気にする方でもないのだが、僕が知らなかったこの場所で既に同じ年代の人がもう何年も前にここを訪れて日本とミャンマーの掛橋になるべくして活動していたという事実には少なからず考えさせられるものがあった。
そんな中、先生は僕を教壇に立たせるなり、
「皆、注目してください。この人は○○さんと同じ出身大学で、今日メイッティーラを訪問してここに来られました」
というような紹介を始めた。わざわざ○○さんと同じということを引きあいに出して紹介され、居場所がないような気持ちでいっぱいになりながら僕はその場に立っていた。
この学校にとってその女性は深い関わりを持つ重要な存在で、生徒誰もが知っているような方なのかもしれないけれど、僕はぷらぷらやってきたただの旅行者。なにせ薄汚れたTシャツ1枚にところどころ穴のあるハーフパンツを履いてチャリンコに乗っているようなヤツなのだ。恥ずかしいこと、この上ない。
しかし先生はさらによけいなことまで追加してくれた。
彼はビルマ語を勉強中です、と言ったあげくに
「ソレデハ、自己紹介ヲ。。」
(じ、自己紹介・・!?)
突然の出来事に舞い上がってしまいそうな自分を必死で落ちつかせながら、僕は1人教壇の上に立った。
「ミンガラバァ。」
皆が笑いながら返事をする。
「ミンガラーバー(笑)」
そこから頭はフルスロットル回転である、というより開き直るしかなかった。
「トゥエ ヤダー ワンター バーデー。ジャパン ガ ラー バーデ。チャノォ イェ ナーメー ヒロシィ バー。。」
皆の視線が妙にあつい。
「アーロウン、ネー カウン イェ ラー?チャノォ、マカウンバーブー(苦笑)」
一節一節、間をあけながらゆっくりと喋り、最後まで言いきったところで皆が大笑いした。
はじめまして。日本からやってきました。私の名前はヒロシです。みなさん、お元気ですかぁ?私は元気じゃありません。
そう言ったのだ。
もちろん、ひやひや精一杯のジョークを込めて。
「ジョーク、ジョーク(苦笑)」
素直な人たちでよかった・・笑ってくれた・・。
おかげで皆の多少堅くかしこまったような表情も緩んで、いくつかの質問がきて僕がそれに答えるような形で教壇に立つ時間は続いた。それでも少しして僕も限界。
先生の顔をちらりと見て「もう無理です・・」のサイン。
そのまま流されたらどうしようかと思ったけれど、そこはうまく拾ってまとめてくれた。
「ピャン ソウメ!!」
また会いましょう!!と最後に手を振って教室を出る僕に皆も笑いながら、また会いましょうと答えてくれた。
「ふぅぅぅぅっ・・」
教室を出ると意図せずして無意識にため息が出た。わきの下は汗びっしょりだ。
それでも何はともあれ、こうしてミャンマーで日本語を学ぶ人たちと接する機会が出来たことに僕は満足していた。
授業風景を見終えた後、先生は
「彼ト一緒ニ、メイッティーラヲマワルトイイデショウ。。」
と言って1人の青年を僕に紹介してくれた。
連鎖は続いていた。
パゴダでの日本語を話す僧侶との出会いは、その先生や生徒たちとの出会いに繋がった。そして今度は先生との出会いが新たな1人の青年との出会いを呼んだ。
「次はどんなことが起こるんだろう。。」
次々と続く出会いの連鎖。
ワクワクが止まらなかった。
12/1