産後のお話。
 
実家で母の協力を得ながらも、
「母に負担をかけてしまって申し訳ない」
「早く一人でできるようにならなきゃ」
「👽は頼りにならないから、自分がしっかりしなきゃ」
と考えているうちに、私はいわゆる”産後うつ”まっしぐらになっていました。

 

せっかく断薬後も落ち着いていたのに、授乳の関係から服薬するのが嫌で自力で耐えていたこともあり、あっけなく悪化してしまいました。

 

でも、とにかく、母に迷惑や負担をかけたくなくて自宅に用事があって👽と二人で会った時にこう伝えたんです。

 

「もう実家で迷惑をかけるのは辛いからこっちの家にきたい。」

「仕事が忙しいのは分かるけど、もう一人で何もかも決めてやっていくのは無理。」

「なんで私ばかりやらなければいけないの。」

 

泣き崩れながら訴えたんですよね…。

 

でも、👽はただ泣いている私を支えているだけ…。

 

そして「一緒に頑張ろう。」と一言だけいいました。

 

正直、ここで私は「あぁ、この人に訴えても無理なんだ」と感じました。

 

こんなに追い詰められるまで頑張った私にたったそれしか言わないんだと。

そして、私にまだ頑張れというのかとも思ってしました…。

 

結局私がこの日出した結論は『私が頑張るしかない』。

 

実家でもっと一人で上手くできるようにしなきゃと、ますます精神的に追い込まれました。

 

 

そんな経緯もあって産後4カ月目くらいのある日。

 

子供のお風呂やらを母の手を借りずにやろうと思って行動していたら、それが母の積もり積もったイライラに火をつけてしまったんです。

 

母と私は初めてあんなに大喧嘩しましたショボーン

 

母は「こんなに色々してあげているのにあなたたちは(👽含む)御礼の一つも言わない。恩をあだで返していくのね。」

と言っていました。

 

今思うと余裕がないにしろ、きちんと感謝の気持ちを伝えなかった私が悪かったと思うのですが、あの時は本当に追い込まれていてきちんと考えることもできなかったんです。

 

結局、どんどん売り言葉に買い言葉でヒートアップして、私は持てる荷物をすべて持って「もう出ていく!」といって、本当縁切り状態。

仲裁に入っていた父が、もう真っ暗だし出て行くにしてもせめて車で行きなさいと、しぶしぶ呼んでくれたタクシーで自宅に向かいました。

 

そしてタクシーの中で、👽にそっちに向かっていることを電話で連絡した私。

 

「分かった。」と👽は言うだけでした。

 

そして自宅についてから、子供をお風呂に入れたりしてもただ静かにいるだけ。

 

リビングで私が泣いていても、「なにがあったの?どうしたの?」なんて聞くこともなく、ちょっと離れたダイニングテーブルの椅子に座っているだけ。

 

正直、ますます悲しくなりました…。

あぁ、こんな時でも寄り添って話も聞いてくれない、独りぼっちだなと思いました…。

 

翌日、母が私たちの行動に対して怒っていることも含めて経緯を説明したものの、ふーんって感じ。

 

そして、その話し合いの中で愕然としたのがこの一言。

 

私が「私の両親に対して、色々と助けてもらって申し訳ないって感じないの?」と聞くと、

👽は「そんな風に考えたことすらなかった。」と答えました煽り

 

私が感じ続けていた”両親に色々と助けてもらって申し訳ない”という気持ちを彼は抱いたこともなく、理解も出来ない事実を知ったんです。

 

そんな人ですから、「自分も悪かった。一緒に両親に謝りに行こう」なんて発想なんてできるわけありません。

 

 

正直、ここで私の目は覚めました。

 

 

👽側について、フォローをして、両親と縁切りまでするべきじゃないと…。

私はなんて間違ったことをしたのだろうと後悔しました。

 

そして、母と電話をしました。

 

とにかく謝りまくって、妊娠中から今に至るまであったこと、👽の希薄な感情や他者に寄り添えない言動を苦しいと感じていることも正直に話しました。

 

その結果、どうにか母とは和解することができ、年末年始は実家にもどってくるようにと言ってもらえました泣

 

その後、父も今回の騒動の謝罪を兼ねて自宅に来て、きちんと皆でコミュニケーションをとって上手くやっていくようにという話を👽にしてくれました。

 

普通、義理の父が来るって来たら緊張やら萎縮するかなとも思うのですが、そこは👽。

なんにも気にすることなく過ごして、父の話を黙って聞いていました。

あー、でも最初の雑談で家の構造とか用途地域の話だけやたら饒舌に返答していたかな…タラー

 

だた、なんか嫌な予感がした私。

 

👽に「父の話で”何が分かった?どう感じた?”と聞いてみました。
すると、「感じたことを言葉にするのは難しい。」という返答。
「じゃあ、父の言いたいことはわかった?」と聞くと
「『みんなで協力してやっていきましょう』ってことだよね?」とちょっと斜めにズレた答えが返ってきました。
 
まぁ、ASDのことを知った今なら、言葉の通りに受け取ったんだなと思いますが…真顔

 

 

とにかく、この一件で私は👽にたいして、おかしいと感じることがやっとできたんです。

 

それまでは、

・私の意見や文句を否定しないで受け入れてくれる。

・私に合わせてくれる

・怒ることもない。

そんな風に感じていました。

 

でも、おそらく、ただ聞いているだけだったんですよね。

共感や共有は出来ていなかったんです。

 

私が感じていた、支えてもらえている感覚は幻だった。

 

そう気が付いてしまうと悲しさがこみ上げてきます。

 

 

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