そもそも、わたしが車の免許を取ったのが、この不便さからである。
目の前にある便利な駅に簡単には行けない、背に腹はかえられぬ、不便なもどかしさ。
でも当時はまだ30分に1本、バスはあった。
バス会社はなぜ、こんな仕打ちをするのか乳房X光造影??

原因はある。
行政のテコ入れ。
実家①(田舎)近くでは、
大規模住宅地開発が行われ、駅、商業施設、文化施設、ホテルを中心に、学校、高層住宅、一戸建てを配した。
人々の足は、新しい駅に集まるように流れが作られた。

古くからの住民は②(街)に行けない。
新しい駅に行く流れが強く促される。
行こう思えば行けるが、1日2本のみのバス。
しかも行きも帰りも新しい駅を経由、迂回するコース。
新しい駅を作り、そこへ流れを誘導すると、街②自体も廃れてくるかも知れない。
新しい駅は延長された電車の路線に繋がれている。
新しいベッドタウンの創成なのではあるが。
わたしの感想では、期待ほど、そう大きな成功、発展をもたらしていない気がする洗牙 價錢
土地神話が崩れバブルが弾け、ニュータウンは予想ほど伸びなかったように思う。

ではあるものの、極端な流れの変化、、、だと嘆くところではあるが、もう半世紀近くの年月が経っている。
さらにもっと前から、山が切り崩されている時から地元の村から開発される様子を眺めていた。
のどかな田園地帯に突如現れる聳え立つマンション群に、未来都市のイメージを抱いた。

わたしが、浦島太郎なのか。
だが、取り残された古来からの地域は江戸時代のまま。
いまだにカチンコチンの古い慣わしや制度でがんじがらめ急救課程
これ、おかしくない?
更に取り残されて塩漬け地域となる。
古い頭の住民が絶滅したら、新しい柔軟性のある未来が描ける、、、と、こっそり期待していたら、、、若い人も古い頭の親の教えを守り継承しそうだ。
いつまで経っても古い地域は世代交代の後も塩漬けか。
若い人も一掃され、全く他人が運営するのであれば、少しは変わるだろうけれど、若い人が一掃されても、更にその次の世代が古いままだと、江戸時代然は続くことだろう。
行政は新規移住者を受け付けない屈強な仕組みを作っている。
閉ざされたエリア。閉鎖的。

「江戸時代村」のようなテーマパークなら良いが、中身が江戸時代そのまんまというのではシャレにならない。

なので、仏壇を移したのに、移した先の実家②(街)とは交通遮断。
またまた不便な目に遭う。
不便な実家①(田舎)に行くのが大変なせいもあり、仏壇も実家②(街)に移したのはよいが、益々実家①には行きにくくなった。
実家②(街)は事務局のような交流拠点となったが、実家①(田舎)は、もはや形骸化した容れ物だけになった。
というか、半世紀前と同じなのだが。
そもそも半世紀前が、江戸時代と同じ。
時間が止まったエリアは、ある意味それはそれで希少価値?
人が去っていく魅力のない限界集落は滅びていく。
本当の意味の「限界集落」ではないが、文化的限界集落。
家屋は朽ち果て、、、ということはなく家々は美しく整えられているが、農業継承者は減少の一途。
街からたった10キロのエリアなのに。
活かすも殺すも次世代次第か?
が、政策の影響は大きい。