こんばんは、おっさんです。
私はブログのPV(閲覧回数)と、
UU(読者数)に一喜一憂します。
ペタやコメントを戴けると、とても嬉しいですし、
励みになります。
でも、それは単なる数字じゃないんですよね。
言いたい事言って、それが誰かの心に触れて、
リアクションが返ってくる。
反対意見でも良いんです。
皆様がコメントを下さる度、私が返信を書く度に、
記事が活きてくる気がするのです。
記事の中の自分が、磨かれていく気がします。
昔、友人の文学青年が語っていた中に、
「文章は、書き上がった瞬間に死ぬ」
という言葉があります。
他の芸術作品にも近いものがありますが、
文章は、一度発表してしまえば、
手直しも推敲も出来ません。
今でこそ、文庫化の折に加筆、なんて事がありますが、
基本的に、作品としての成長は止まるのです。
その意味で、文章は瞬間芸と言えます。
しかし、それは悲しい事ではありません。
書き上がったその刹那、作品はその魅力の全てを、
己の内に封じ込めるのです。
封じ込められた魅力は、決して陰る事がありません。
そして、読者一人一人のレンズを通して、
一人一人少しずつ違った心象風景を映し出し、
芸術を、心に焼き付けます。
私が興味があるのは、「自分が何を書いたか」ではなく、
「皆様の心に何が映し出されたか」なんです。
だから、どんなコメントでも嬉しいですし、
記事のPV - コメント数 ≒ 発言に値しないと評価した人数
だと思っています。
私は基本的に、簡単な手直し以外、
一度公開した記事を修正しません。
加筆した場合は、加筆部分が分かるように書いています。
そして、コメント欄があるお陰で、
記事は死なず、自分が変化し、
磨かれ続けていると感じています。
だからこそ、このブログのメッセージボードには、
「皆様が下さったコメントも、併せて読んでね」
と書いているのです。
そんな偉そうな事を書きつつ、
言いたかった事は単純なんです。
一生懸命書いたニュース記事よりも、
あうるのボツ写真集の方が人気。。。
しかも、ボツ写真の記事には
「猫」という単語を使わずに書いて、
検索でのアクセスアップをさせなかったにも関わらず。。。
複雑な心境です。。
私はブログのPV(閲覧回数)と、
UU(読者数)に一喜一憂します。
ペタやコメントを戴けると、とても嬉しいですし、
励みになります。
でも、それは単なる数字じゃないんですよね。
言いたい事言って、それが誰かの心に触れて、
リアクションが返ってくる。
反対意見でも良いんです。
皆様がコメントを下さる度、私が返信を書く度に、
記事が活きてくる気がするのです。
記事の中の自分が、磨かれていく気がします。
昔、友人の文学青年が語っていた中に、
「文章は、書き上がった瞬間に死ぬ」
という言葉があります。
他の芸術作品にも近いものがありますが、
文章は、一度発表してしまえば、
手直しも推敲も出来ません。
今でこそ、文庫化の折に加筆、なんて事がありますが、
基本的に、作品としての成長は止まるのです。
その意味で、文章は瞬間芸と言えます。
しかし、それは悲しい事ではありません。
書き上がったその刹那、作品はその魅力の全てを、
己の内に封じ込めるのです。
封じ込められた魅力は、決して陰る事がありません。
そして、読者一人一人のレンズを通して、
一人一人少しずつ違った心象風景を映し出し、
芸術を、心に焼き付けます。
私が興味があるのは、「自分が何を書いたか」ではなく、
「皆様の心に何が映し出されたか」なんです。
だから、どんなコメントでも嬉しいですし、
記事のPV - コメント数 ≒ 発言に値しないと評価した人数
だと思っています。
私は基本的に、簡単な手直し以外、
一度公開した記事を修正しません。
加筆した場合は、加筆部分が分かるように書いています。
そして、コメント欄があるお陰で、
記事は死なず、自分が変化し、
磨かれ続けていると感じています。
だからこそ、このブログのメッセージボードには、
「皆様が下さったコメントも、併せて読んでね」
と書いているのです。
そんな偉そうな事を書きつつ、
言いたかった事は単純なんです。
一生懸命書いたニュース記事よりも、
あうるのボツ写真集の方が人気。。。
しかも、ボツ写真の記事には
「猫」という単語を使わずに書いて、
検索でのアクセスアップをさせなかったにも関わらず。。。
複雑な心境です。。