母から連絡がきていて
来月の大きなイベントについて、行ったほうがいいという内容だった
行ったほうがいいとわたしも思うよ
行きたいと素直に言えないのが引っかかるけれど
実際、手元に二県隣まで出向く交通費も参加費もなかった
いや、完全にないと言っては嘘になるが・・・
玄関に乱雑に置いた
年金の督促状と
まだ払ってない税金のことが脳裏にちらつく
今の自分を大切にしたいのに
年金に苦しむとはなんなのか・・・
そういうものだろうか
とりあえず
今交通費がないと返してみたら
貧乏神に負けたようなことを言わないでという返事がきた
ないのをないと言ったら、貧乏神か
いっぺんにいろんな言いたいことが出てきたが
お金は入れとくからねとのことだった
わたしが一日ごとに
百円玉何枚を使うかで真剣になるような暮らしをしているのを母は知らない
むしろそういうのは貧乏暮らしみたいで
良く思っていないように感じるから
細々したことは言っていない
貧乏とは精神の話ではないのか
母こそ一緒に住んでいたころは
金が無い金が無いと
ナイナイ言葉のオンパレードだったが・・・
まあ、いいや
助けられてやってきている
でも
やってあげるからね
と思いながらされることは
ちょっと痛いことがある
母とわたしはたぶん似たような
気まぐれな性で
おおらかに与えてくれるときもあれば
急に文句をいうようなときもある
痛いときもあれば
深く愛を受けとるときもある
そんなところが家族らしく
面白いけれども
いつも見ているカウンセラーさんの話で
もらえるものは、受け取っていいからやって来ている
もらえないのは、もらわなくてもあなたがやっていけるということを意味する
そんな内容のがあったが・・・
日々、もんやりするときはある
やったあ
ありがたく
うれしいな
わたしのことが
好きなんだろうな
こうしておこうか
絶望とか混乱ではなくなった
と思う
もんやりする雲の裏に
やれるやれる
ありがとう
大丈夫
結局、いけるから
が聞こえる
だから
たぶん大丈夫になる
水が不足している
読んでくれてありがとう。
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