いつ個展をやるか? | ハイブリッドアート
学生の時、
周りの友だちが個展をひらいたり、展覧会に参加しはじめた。
我先にという感じもあったのかもしれない。
でも僕は、すぐに自分も個展をやる!という風にはならずに

「個展をできるだけの実力がついたら個展をひらくものなのか?
 個展をひらくと個展の実力がつくのか?
 個展をひらく実力とは一体誰が見定めるのだ???」

という問いが、自分の中で生じた。
その答えが見つからないまま時がすぎ、
学校のカリキュラムとして、進級制作で2日間づつ生徒が個展を開くことになった。
個展をひらくという状況に追い込まれてはじめて、
個展をひらくことについて文字通り空間の隅々にまで思考が張り巡らされた。
初個展は、今にも繋がるいくつもの要素がつまっている基点だった。

個展前の心境を思い出したのは下記の記事をNED-WLTというブログで読んだから。

「笑うのは幸福だからではない。むしろ、笑うからこそ幸福なのだ」という
大切な気づきを与えてくれたのは、アランの『幸福論』でした。この発想は
科学的にもなにかと都合が良い仮説(受動意識仮説)のようで、どうやら
身体(動作)が心を引っ張る部分というのは今後、大切な考え方になってきそうです。

我々のほとんどは、何かをする時に、まず「何かをしよう」と意識し、それを行動に
移すのだと考えている。これが、能動意識仮説。ところが、最近その逆と考えた方が
つじつまがあうという研究成果が多く出されてきた。まず行動があり、意識はその後で
「実はそうしたかったのだ」と思い込むというものだ。これが受動意識仮説である。


自分の個展の経験と、少し似ている気がした。
個展という状況に直面することで、個展に関する視野と意識を獲得できる。
他にも、ヤル気が出ない時でもとにかく始めることで、その後にヤル気がでてくるといった
脳科学的な話にも近しい。行動や状況にせかされ、思考(脳)が遅れてついてくる。
自身のスキルアップやレベルアップを目指すなら、より厳しい環境に赴くのが良いのだろうし、
自身の行動や環境条件が、その人を規定していくのは至極当然のことなのであろう。

自分は表現するに値する「何か」をもっているような存在なのだろうか?
所詮、生まれた瞬間から「何か」へのリアクションをしてるに過ぎないのではないだろうか?
そのリアクションの仕方、作法こそが自分の表現なり、スタイルなのではないだろうか?
と自分の表現について捉えるようになってきている。が、これはまた別の話し。