今日ラボに行く前にエレベターの前で後輩に会った。
話しながらそいつが一度バットを振るそぶりを見せた。
それじゃ飛ばねーよといいながら自分はもう2度と真剣に素振りなんてしないんだろうなと思った。
2002年の5月。
当時高校2年だった俺。
その日練習試合で内容がぼろぼろで試合後のダッシュのときだった。
足がうまいこと動かなくなって腰の違和感をはっきり感じた。
後日談だが腰の状態が悪くなりだしたのはそれより3年前ごろらしい。
3年もおかしな状態で動かしつずけたもんだからついに限界を越えた。
腰の痛みを監督に訴え後日病院へ。
脊椎分離症と診断されて監督から痛みが引くまで練習禁止を伝えられた。
これまた後日談だが分離症は腰痛の原因じゃなかったんだけどね。
仲のよかった体育の先生に相談したところ腹筋と背筋を鍛えろということでその日からの練習の大半が筋トレになった。
あと1ヶ月ちょっとで夏の大会という時期で、
この年の1年が入ってくるまで部員は10人。
そのうち3年生が5人俺ら2年が5人。
どうしても大会に出たかった。
3年生との最後の大会に出たかった。
しかし願いかなわず。
夏の大会にはベンチ入りはしたがシートノックすら入れない状態だった。
これは結構応えた。
3年生と一緒に引退しちまおうかと考えた時期もあったが野球を捨てれなかった。
あと1年がんばろうと思った。
もし大会に間に合っていたらやめてたかもしれない。
それが本当かどうかはわからないが間に合わなかったから続けた。
それから1ヶ月後に代打復帰。
さらに2ヵ月後にスタメン復帰・・・ただし1試合だけの。
その日俺は6回終わって3打数2安打2打点。
今までの鬱憤やらそこまで戻ってきたうれしさで最高のものが出せた。
7回、守備につこうとした俺に交代が告げられた。
精神が肉体を凌駕するっていう言葉があるけど俺は凌駕できなかったらしい。
それからは代打屋。
それから引退するまで死に物狂いでバットを振った。
でも引退試合に俺の出番はなかった。
6回終わって9-1、8点差。
うちは先攻で7回表に2点取らなきゃコールド成立。
俺は代打屋を意識まあつまりはスタメンをあきらめたときからサードコーチャーになった。
打順は2番からで一人出たらベンチに呼ばれるだろうと思ってた。
しかし三者凡退で試合終了。
そして引退。
不思議と悔しくはなかった。
まあ試合後は号泣したけどw
でも完全燃焼できた。
一年前にやめてたら後悔しただろう。
3年まで続けてよかった。
途中一番下まで落とされてそこから一度だけだけどスタメンまで帰ってきた。
栄光と挫折って言ったら大げさだけどそれとにてるんだろな。
引退以来、真剣にバットを握ることはなくなった。
そしてこれからもないんだなと思うとやっぱ少し寂しい。
寂しいけど未練じゃない。
後悔でもない。
そんなことを考えたラボ前の俺でした。