大晦日から元日まで、実家に姉妹家族が集まるのが恒例。

周りはあの頃と変わらないのに、夫だけいない…。でも何も変わらない、は嘘。実際は、子どもたちはぐんぐん成長しているし、大人だってじわじわと年をとっている。夫だけが年をとる、ができなかった…

三回忌も過ぎると、悲しみを表に出せない空気。否応なしに周りの明るさに耐えることを強いられる。

悪気のない周りの言葉に傷つきながら流さなくてはならないーーー

お土産のパッケージに入った栗を、妹が
「数、あるかなぁ…」と心配しながら、ひとりずつの皿にのせて配る。
最後を配り終え「あれま、ぴったり!」
周りも「良かった、みんなの分あって」
「ちょうど良かったねぇ」と、にこやかに返す。

こんな時、何ともいえぬ気持ちになる…。
過剰反応だと分かっているけど…。


紅白のlemonに涙した人は多いでしょう。
私も。涙は出さないけど。
そして、それぞれの故人との思い出の歌の度に、懐かしくも胸を痛めるのでしょう。



私の場合『恋するフォーチュンクッキー』
夫は仲間たちと振りを覚えて、一芸を披露したって。普段の夫の印象からは想像がつかないから、見た人はさぞ喜んだことだろう。
私たち家族だって、踊るお父さんなんて見たことなかったから、テレビでこの歌が流れ、突然カッコ良く(ちょこっとだけ可愛く)踊るお父さんに子どもも私も驚き湧いた。




私の好きな『時代』は、本来なら歌詞と自分の経験が相まって泣いてしまいそうになるところだが、歌手の歌唱が私のイメージとは違い(あまり好きじゃなかった)、感情移入せずに済んだ。



サザンの『希望の轍』は夫も好きで、私たちの披露宴のおひらきの曲に夫が選んだ。
希望いっぱいの生活の始まりだった。
全て思い描いた通り、とはいかないまでも穏やかで、夢も抱けた幸せな生活だった。


深夜年が明け、お暇しようとしたとき、父が「おい、○○君(夫の位牌)、忘れるなよ!」と言った。四六時中、夫を思っているのだから忘れるわけがない。なのに母と姉妹たちは、父の一言に「そりゃ、忘れちゃ困るわ!」と可笑しそうに笑った。

腹が立ったが、流して車に乗り込んだ。車の中で、少々毒を吐いた。
「何が可笑しいんだ…!」
2019年、初吐きだった。