バスタオルにまつわる
夫との思い出。

15年間の結婚生活の中で、
夫と喧嘩したのは
小さいものを含めても
10回にも満たない。

そしてそのほとんどが
結婚前後のことだった。
生活習慣が違う2人が
一緒に暮らし始めた時に
起こる摩擦が
喧嘩の原因でした。

今思えば、小さなこと。
何であんなに意地を張り
我を通そうとしたのか。

…喧嘩の内容は、お風呂上がりの
バスタオルでした。

私の実家は5人家族、
狭い脱衣所に常に5枚は干せない。
5人で一枚のタオルを使ってました。
そのため、風呂から出るときは内タオルで水分を拭って、脱衣所のバスタオルが後に入る人まであまり湿らないようにと、母から言われてました。

結婚生活が始まり、小さなアパートという環境を考慮し、タオル一枚制を提案しました。

ところが、夫の反応はNoでした。
いつでもカラッとしたタオルを使いたかったのでしょう。或いはこれまでの生活習慣を簡単に何でもかんでも変えられるのは嫌だったかかもしれません。

一つ目のトラブルから甘い顔は見せない方が身のため、とでも思ったのか。しばらく押し問答。結局、夫が折れました。押し問答自体が面倒になったのかも。

バスタオル一枚制はしばらく続きましたが、マイホームを持ち、子供が増えるにつれ、いつしかバスタオルは二枚になりました。




今、我が家で使っているバスタオルは
全て夫も使ったものです。

洗濯を繰り返し、だいぶくたびれたものも多いですが、夫が使ったもの、となれば捨てられません。

そんな捨てられないバスタオルの中に
新聞屋さんが粗品で置いていった
タオルがあります。

数年前、スタジオジブリの「風立ちぬ」の
広報用に作られたもので、全体に大きく
「生きねば」と書かれています。

私と末娘は、「生きねばタオル」と名付けてました。名付けた時は、夫も元気な時でしたからその言葉を、特別に意識したことはなかったのですが、死別後、妙にこの言葉が私の心境を言い得ていると思うのです。



「生きよう」でも



「生きたい」でもない。





「生きねば」なのです。





夫のいない世界、なんて寂しい…





もう会えないなんて、辛すぎる…





それでも 私




生きねば…。








夫が愛した三人の子供が




独立するまで、





病気になれない






死ぬわけにはいかない。







お父さんが見たいと望んだ





娘たちの花嫁姿、






祝ってあげるまで。





お父さんが会いたいと望んだ



孫を この手に抱くまで。






どんなに辛くても













「生きねば…」