今宿五郎江遺跡 福岡県福岡市西区今宿東1丁目27−1 | ドリップ珈琲好き

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埋蔵文化財

今宿五郎江遺跡 いまじゅくごろうえいせき

 

 今宿五郎江遺跡は今津湾に面した福岡市西部の今宿平野に位置し、平野東部の扇状地と高祖山から延びる丘陵の先端が接する場所に立地する。

 遺跡では今宿小学校を中心として、南北270m、東西200mの範囲を巡る環濠 かんごう が発見された。環濠の北西側は途切れているが、弥生時代中期末から後期初頭に掘削され、弥生時代後期の後半までは継続したと考えらる。環濠の東側で1ヶ所陸橋が確認され、集落の入り口に当たるものと考えられる。

 環濠には水が流れた痕があり、水を流す機能も持っていたと考えられる。西側の調査では環濠に連結する井泉が検出されており、井泉からあふれた水は環濠から下流に流れ込む構造になっていた。

 環濠からは多量の弥生土器のほか、農耕や漁労に関わる木製品や石製品などが出土した。また、中国の銭貨,鉄製の斧や鎌など金属製品、朝鮮半島で作られた土器も出土した。

 このことから、この集落は農耕や漁労を生業とする一方で、『魏志倭人伝』の登場する伊都国の交易に深く関わったと考えられている。

 

体育館横に校舎を増築することになり、工事の前に発掘調査を行ったところ、弥生時代の溝や井戸が確認されました。

 溝の中からは、西暦2世紀ころの土器や石器などが数多く出土し、小学校のある台地の上には濠 ほり に囲まれた大きな環濠集落 かんごうしゅうらく がいとなまれていたことがわかりました。

 また小学校西側の道路で行った発掘調査では、溝、井戸、住居跡のほか高床倉庫などの跡が見つかっています。

 鍬収穫した稲を脱穀した杵などの木製農具、祭りや祈りに使ったと思われる小銅鐸などさまざまな遺物が出土し、当時の集落のようすや人々の生活を想像することができます。

 また、魚を捕る網や釣糸のおもりとして使用した石錘 せきすい などもあることから、海辺の近くの集落だったのでしょう。

 学校の周辺には大塚古墳(国指定の前方後円墳)をはじめ、数多くの文化財が分布しています。

 文化財を大切にしましょう。

 平成14年3月

 福岡市教育委員会