御祭神は髙龗神(たかおかみのかみ)・祇園天王
須賀神社
古く祇園社と称えし御社は、黒田直方藩主長清の治下、新町の市街地を造営せし時、悪疫消殄切貫鎮護の神と崇め祀る。
宝永六年須賀神社と改め爾来庶民の崇敬篤く寄進相次ぎ 明治の初め社殿を切貫山上より移し、昭和六年町民相寄り現在の地に再建するも、昭和四十七年災厄に遭ひ、昭和五十四年大改築に至る。
古来人々その神威を仰ぎ霊威を崇め常に神慮を拝し、神霊を慰め奉りし尊崇の念は、祇園祭と世に膾炙せしことに詳らかなり
以上は神社内の由緒書きより
以下、直方市ホームページより転載します。
1688年、前直方藩主の綱政公が第四代福岡藩主に就任したとき、弟の長清公(生年1667,没年1720)に五万石を分与して直方藩を復活させ、第四代藩主としました。
東蓮寺藩・直方藩では叔父から甥、叔父から甥、兄から弟と、変則的な相続が3回にわたり続いたことになります。
復活した直方藩は1万石を加増されて5万石となったため、石高にふさわしい藩主館を直方市体育館西側の現在住宅地になっている台地に新築しました。その地にあった妙見社は移転して多賀神社と改称しました。新しい館の南側に武家屋敷の町「門前町」ができました。
また門前町の東側に町家を新設して、これが「新町」、従来の町家が「古町」となりました。今日の直方中心市街地は、初代藩主高政公のときに基礎が築かれ、四代長清公のときにほぼ完成したわけです。
神社入口の風景
鳥居と参道
燈篭が並ぶ参道
手水舎
鳥居と拝殿
あらためて拝殿を真正面から
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)