高祖神社(一) 福岡県糸島市高祖1578 | ドリップ珈琲好き

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首座・彦火々出見命 左座・玉依姫命 右座・神功皇后の三柱をお祀りする
高祖神社

 

 

 

 

 

 

 

高祖神社の由来
 高祖神社は彦火々出見命を主座に、左座に玉依姫命、右座に息長足姫命の三柱をお祀りする神社で、いま創建の時を詳かに出来ないが、九州諸将軍記には『神代より鎮座あり神功皇后、三韓より凱旋の後、当社の社殿を乾の方に向け御建立』と記されている。この機縁で神功皇后を相殿にお祀りした、と伝えている。
 当社は、古代から怡土郡の惣社(中世には怡土の庄一の宮)と崇敬される神社で、三代実録には、今から約千百年前の元慶元年九月二十五日葵亥『正六位高礒比売神に従五位下を授く』と記されている。この高礒比売神とは高祖神社のことで、相殿に玉依姫命、息長足姫命をお祀りしてあるので、このように呼ばれていると語り伝えている。
 明治五年十一月怡土郡郷社、大正四年十一月神饌幣帛料供進社、大正十五年六月二十九日県社昇格、昭和二十八年七月二十日域外境内社として高祖椚に幸神社、庚申社 高祖浦方に天神社を含め宗教法人高祖神社を設立し高祖区民の崇敬を集めている。また境内神社として伊弉諾神社、思兼神社、農業、特に畜産農家の信仰厚い徳満神社の三社がある。
 
祭典(年間)
一月一日 元旦祭 高祖子ども会育成会による高祖山初日拝み登山
四月二十六日 春大祭 高祖神楽奉納
六月第四日曜日 夏大祭・千度潮井前日夜輪越し
九月一日 風止祭
九月十三日 徳満宮大祭・酪農祈願祭
十月二十五日 高祖神楽夜神楽奉納
十月二十六日 秋大祭
十月三十一日 神立祭
十一月三十日 神待祭
十二月上旬 神社総代研修会・大麻頒布祭
十二月中旬 大注連縄作り
                               高祖神社

 

 

 

 

高須⑤

 

 

 

高祖神楽
 高祖神楽は今から五百数十年前の応仁元年、戦国動乱の時代時の高祖城主、原田筑前守種親が明主である周防国山口城主、大内政弘の要請を受けて京都守護の大任に当たった時、戦陣のつれづれに習得した「京の能神楽」を郷土に伝えたものとされていますが、この外にも異説があり、その始めは定かではありません。
 永い歴史と伝統に受け継がれて来た高祖神楽は、江戸時代までは旧怡土郡の神職の奉仕で舞われていました。明治になってからは高祖神社の氏子の人達によって受け継がれ、現在は十数人の氏子の神楽師の奉仕で毎年春の祈年祭、四月二十六日午後一時から夕方まで、秋は十月二十五日午後六時頃より十時頃まで篝火の薄明りで、高祖神社境内の神楽殿で舞われています。

 その真価は、昭和四十六年五月十九日には前原町指定民族文化財、昭和五十六年三月五日には福岡県無形民族文化財の指定を受けている格調高い郷土芸能であります。
 現在奉納されているのは、面を付けずに採り物を捧げて楽の音にあわせ、神楽歌を唱えながら静かに舞う舞神楽と、面を着けた数人の神楽師が登場して神話物語りを展開されてゆく面神楽が奉納されています。                        高祖神社

 

 

 

 

高須⑭

 

 

 

鳥居は数ヶ所にありますが、写真は本殿前のメイン広場(境内)の入口に立つ鳥居です。
 

高須⑥

 

拝殿・本殿への石段

 

 

 

 

 

高須⑮

 

拝殿
 

高須⑯

 

拝殿内部
 

 

拝殿の天井
 

 

 

 

高須⑯

 

 

本殿は修復工事中でした。
 

 

 

 

 

 

高須②

 

 

 

 

高須⑦

 

神楽が催される場所