突然ですが、ヒャクゴウの数少ない自慢に
「安くて良いものを見つける名人芸」
というのがあります。
自他共に認める買い物上手です。
しかも、ヒャクゴウが職業として興味を持つのはどれもお金にならないものばかりなので(爆)
乏しい家計からねん出して欲しいものを買うのが常です。
そんなわけですから、何でもいいものが安ければ、それに越したことがないだろうと思っていました。まあ、今も基本は変わらないんですけど、
何でも安さを求めて社会全体がデフレになるのはよろしくないし、
結果的には自分の首を絞めることになるんだな、というのがヒャクゴウにもわかってきたといいますか・・・
外国はわかりませんが日本の場合、生産者がいて、さらに卸売企業と小売業がいて・・ということで
物流的には複雑なため、その分価格も上乗せになるわけですけれど
しかもあるものを売る土地によって価格も上下したりするわけですけれど、
そういうのが不況以来、よろしくないとされて生産者から、あるいは卸売業者が直接消費者に販売する方法がはやり出しましたよね。
それでかなり価格が下がったことに、当時の消費者は驚いたものです。
「本当はこれくらいの値段が、お店に行くと倍になるのね!」
もちろん、間にいるということは、それだけ職業が多くなるので就業者数も増やせるし
値段が高くなるのもそういった人たちのお給料ですから多少は仕方ないのですが
中には「儲けたいぜ!」って言うのが見え見えの価格もあったりします。
そういうのが価格見直しされるのは大変結構なことだとと思います。
が、しかし!
今は「安くなってはいけないもの」まで安くなってしまう、あるいは安くなって当然、という風潮があるように思えてなりません。
たとえば、長年培われてきた職人芸や知識と経験豊かな人による品物やサービス
私は語学教師をしているので、そういう点でも色々思うところはあります。
別に私が偉い、とかそういうことではなく
何かを教える人というのは、そのことをしっかり勉強して、経験を積んではさらに学ぶ、ということをしたうえで、知識という目には見えないけれど大事なサービスをしているわけですよ。
それが「なんでそんなに月謝高いの?」「もっと授業料、安くしてよ」と言われなければならないんでしょう?
現在の日本では日本語教師に限らず、教育にかかわる方々の待遇は、はっきり言ってよろしくありません。
それでは先生方も生活できないし、教育の質の向上もままならなくなります。
教師の自己努力にばかり頼るのも、なんか違うんでない?と思います。
つまりプロとしてやってる人の仕事までもがあるバイト並み、いやあるバイト以下の待遇なのはおかしいじゃないか!ってことです。
もちろん、私が何かを教わる立場にいたら
「ああ、授業料高くて、払えないや・・・安いとこないかな」って思ってしまう。
お金がなくても、学びたいことはある。
そういうわけで、安い授業料でサービスを提供してくれるところも、一つのビジネスチャンスとして出てくるわけだけど、
そういうのは過ぎれば(あくまで過ぎれば、の話です)サービスの質の低下を招くのが多いです。
だから、私は「本来安くあってはいけないものやサービス」で「安すぎる」ものは選ばないようにしてます。
たとえば学校とかでもやたら授業料が安いところの多くは、どこで削ってるかと言えば先生のお給料ですから。
(もちろん先生方にはしかるべき額を払い、経営側の賃金を削るという良心的なところもあるのでしょうが、数は少ないです)
消費者がそういうのを選ばなければ、そういうのは廃れていきます。
しかるべきやり方の学校や企業が残ります。
自分がお金を払うというのは、その払った先の企業なり、サービスの提供者なりを応援、支持するということでもあるんだな、と最近わかってきました。
そういう意味で、自分の中で基準を持ってお金を使うのが大事なのだと。
お金について、深く考え学ばねばならないヒャクゴウでした。
*お読みいただきありがとうございました*