コミュニケーションの橋渡し役として | ヒャクゴウ、地球を駆け抜ける

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思いっきりやりたいことを、真剣勝負でやります。そんなヒャクゴウの日々の記録とたわごと

激しい雨が降っています。
今朝は9時からのレッスンがキャンセルになったため、
ちょっとゆっくりできるのが嬉しいヒャクゴウ

久々にまじめなお話でも

以前もご紹介したこちらの本



日本語教育学を学ぶ人のために/著者不明

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この中に、私が日頃考えていることが書かれていて

思わず膝を打ちました

私たち日本語教師はもちろん日本語を学ぶ外国人学習者のコミュニケーション能力を高めるのが仕事です

が、

「外国人とのコミュニケーションを問題にする前に、
日本人同士のコミュニケーションのほうを問題にするべきかもしれません。
日本人に対するコミュニケーション教育を向上させるために。
日本語教育と国語教育がそれぞれの分野における教育実践を見直し、
両者の連携を強めていくことも、これから重要になるでしょう」




事実、私は養成講座で自分自身のコミュニケーションのあり方を見つめ、
改善するためのヒントを見出すことができました


そして、以下の一文こそまさに、
私が考えていること!!!!!


「これからは日本語教育の考え方を日本人に対する教育に取り入れるという視点も重要になるでしょう」


(以上序章p7)

すでにそうなりつつありますが、
少子高齢化の日本
海外からの移民を受け入れる時代が来ています
(なかなか思うようには進んでいないようですが)

日本の企業の中にも外国人の雇用が広がってきています

つまり、日本はさらに外国人住民が増えていく可能性が高いのです
そしてそんな住民と接するのは、なにも日本語教師だけではなく
一般の日本人、会社員にも範囲が広がっていくのです

好みという内面の問題にあれこれ言うつもりはありませんが
公の場では
「外国人アレルギー」
などとのたまえるような時代ではないのです

否応にもコミュニケーションを取っていかなければならないのです

そんな中、私は一人のしがない日本語教師として
日本語教師の新たな役割を考えるのです

外国人だけではなく
外国人と接する日本人にトレーニングあるいはアドバイサーとして仕事ができないだろうか、と


外国人学習者に日本でのコミュニケーションを教える日本語教師は
外国人がどのような場面で失敗するリスクがあり、
どのようなことに疑問を抱くか、がわかっています

しかし、いくら外国人を日本型に「同化」トレーニングしたところで
それは限界があるのです
というよりも「同化」自体が無理な話なのです

外国人と接する日本人にも理解がなければ
コミュニケーションは円滑に進みません

なぜならコミュニケーションは、双方向性のある、
インターアクションだからです


「『外国人=運用能力の獲得を達成する側』『日本人=傍観者または言語の指導者』という役割の固定化や『コミュニケーションの問題は外国人が学習して克服すべきもの』という認識を集める必要性」
(第1章p31)

があると思うのです

世界における日本の地位の低下で
留学生の数も減りつつある現状
日本語教師の世界は、やや先細り感も否めません
しかし、新たな可能性もあると思います

以上、しがない日本語教師のささやかな主張でした^^;

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