自信と不信の間 | ヒャクゴウ、地球を駆け抜ける

ヒャクゴウ、地球を駆け抜ける

思いっきりやりたいことを、真剣勝負でやります。そんなヒャクゴウの日々の記録とたわごと

お盆休みで、読者さんの少ないこの時期を利用して、
ちと照れくさい自分の話をしようかな。
本当は自分のことを語るの、あんまり好きじゃないんです、わたし・・・


「君はね、(自信に満ちているように見えて)本当は自信がないんだよ」
学生時代、教授に言われた言葉

「ヒャクゴウ先生は、自信があるようでないようで・・・」
この春うちの日本語学校をやめられた先輩からのメールにあった言葉
(ものすごくお世話になった先輩でした)

そう、
ヒャクゴウ、
常に大きなことを語り、自信満々なように見えますが
結構気が小さい

自分が担当する日に決まった学生が休むと、自分のせいだとすぐ思う
そして、自分を責める
他の理由があるかもしれないけどさ。

他にも、いろいろある。

基本的に自分が好きって思わずに育ってきたし、
自己愛なるものを取り戻したのも
つい最近のことだしさ。

それで、去年の夏ごろから、ゲシュタルト心理学の本とかエーリッヒ・フロムの本とか
今年はNLP関係の本とかいろいろ読んでいたんだけどね

自分のいいところも悪いところも客観的にとらえて、
自分を受け入れなきゃいけないな


ということと

自分の居場所は自分でなくちゃね


と思うようになったわけです。

つまり、自分のこと好きじゃなくて
他の人に、自分のこと好きなってほしいとばかり思っていて
それが叶わなかったときの失望
そういうのって違うんでない?
「愛」は他のものからやってくることを求めるんじゃなくて
自分の中にあるんだよ


ということを、遅まきながら悟ったわけなのですよべーっだ!


それで、
冒頭の自信のなさに戻るんだけれど

自信があるように見えて、自信がない

結構なことじゃないか!!

と、最近おもうんだわ。

もちろん、私は自分の感性を信じているし
馬鹿みたいに「世界一独創的」と思ってるし(すみません・・・)
やりたいことは、ほとんど実現させてる

でも私の中にある「不信」が、私をコントロールしてくれているのだ

もし、「自信満々」な私だけだったら、
とっくに仕事でミスを重ねて、首になってるだろうし、
鼻もちならない人間になっていただろうし(今も!?)
英語もフランス語も、頑張らないで終わっただろう。

それに、謙虚さ、というものを忘れないでいられるんだと思う。

「自信満々」な私を
存在論的に否定する「不信」の私が
アンチテーゼとして(ヘーゲルです)
制御して、緊張感を保った、ちゃんとした大人たらしめていてくれる。
(哲学的な書き方になっちった汗

「自信」と「不信」がコラボして、私を作ってくれているのだ!

まあ、だれしも相反する性格をうちに秘めているものなんだろうけど、
私は
そういうことを頭ではわかっていても、
体得するのに時間かかったんだね

今はすべて受け入れてる

以前『Big Issue』でとりあげた
ホームレスの方の人生相談に
「自分の嫌いなところこそ、好きになってみる」

というのは、こういうことだったんだな、と思うヒャクゴウ。

きっとこれからも、自分の中の「嫌だな」というのと向き合っていくんだろうけど
(ていうか20代中盤からずっと一つずつ向き合う作業をしてきたから、いい加減疲れた気もしなくない)

私は、私であることを、誇りに思ってる。
つらかった時、不器用だったとき(今もだけど)の自分がいるから
今の私がある。
そして、これからも自分らしさを大事にして、進化していくつもりだ。

こっそり?自分のこと書いちゃった。
読んでくださったかた、ありがとうございました^^