自己浄化の旅@Australia | ヒャクゴウ、地球を駆け抜ける

ヒャクゴウ、地球を駆け抜ける

思いっきりやりたいことを、真剣勝負でやります。そんなヒャクゴウの日々の記録とたわごと

久しぶりに旅の話でも。

2008年12月26日金曜日。
全く無関係に終わったクリスマスの翌日。
日本語学校の教務会に出席。

しかし、専任の先生が進路について説明しているのにもかかわらず、
このヒャクゴウは何と中座爆弾

というのも私はその日の夕方の飛行機飛行機タイ航空に乗って、
タイでの乗り継ぎを経て、

オーストラリアに向かう手筈となっていたのです~~~

教務会もいつもなら1時か2時ごろ終わるのに、
その日に限って長引いてしまった。

でもでも、間に合わなくなっちゃうもんね~だ。

新宿から成田エキスプレス新幹線に乗り、ぎりぎりで間に合いました。

いつもなら成田へ向かう車中でテンションが上がるんですけどアップ
今回はさすがに後ろめたさのあまり、テンションは低め・・・ダウン

それでも、飛行機に乗ってしまえば、こちらのものにひひ

年末年始の私の旅行は始まったのでした。

なぜオーストラリアかといえば、
その年の梅雨時に見た、
アボリジニアーティストのエミリー・カーメ・ウングワレーの絵をみて、
すっごく興味を持ったからなのです。

その前にもブルース・チャトウィンという紀行文学者が書いた
『ソングライン』も読んで、
ソングライン (series on the move)/ブルース・チャトウィン

¥2,940
Amazon.co.jp

これはきっと
「行け!」
という啓示なのだろう、と勝手に解釈してすんごく高いエアーチケットを買ってしまったのです。


あと、ちょうどその時の私は、個人的にいろいろ煮詰まっていて、
自問自答ばかりしていて、八方ふさがりになっていたのです。
そんな自分を、全く違う環境において、
いろいろ頭の中を整理したい、とも思っていました。


なので飛行機の中で、ひたすら旅ノートに
考えたいことをいろいろ書き連ねたりしてました。
主に仕事のことでいろいろ迷っていたんですよね~汗

翌日のお昼すぎにシドニーに着き、
ホテルに荷物を置いて、
急いでいたのでタクシーに乗り込み、週末のフリマへ。

シドニーではフリマ巡りをしたかったのです。
$そこに日本語がある限り

なんと、そこからがミラクル連発の旅の始まりだったのです。

ニットの洋服を売るスタンドにいたアジア人の女の人が
私のカメラをほめてくれました。
聞けば日本人。
そして意気投合。
またそのお友達で、お店に遊びに来たアンナさんという人とも意気投合。
その場でお茶することに。

その彼女といろいろおしゃべりして
「ここで、いろいろなものを見ていくといいわ」
と言われたのが、ずっと心の中に残ってました。
$そこに日本語がある限り

シドニーでは、ベタなボンダイビーチで絵を描いたり
ハイドパークでゴロゴロしながら日記を書いたり、
例の日本人の女の人と飲茶を食べに行って、価値観だとか、お金だとか、世界の行く末だとか
そう言う話をしたりしました。
ちょうどイスラエルのガザ地区への攻撃があった時期で、
彼女の友人であるパレスチナ人が開いたデモも見に行きました。


そのあとは、飛行機の乗ってウルルへ。
なんでこんなものが、平らな台地に突如現れたのだろう、と不思議でなりませんでした。

ウルルではドミトリーに泊まったのですが、
そこは日本人が大半を占めていましたね。
でもそこで、今でも付き合いのある友人にも出会えました。

ウルルでのトラベルメイトは、スコットランド人の女の人でした。
4時間かけてウルルの周辺を歩いたのですが、
その時はさすがに彼女のマシンガントークにぐったり。

アボリジニのアーティストを囲んで、
ドットペインティング(点描)のワークショップにも参加したりしました。
(↓ヒャクゴウ画)
$そこに日本語がある限り

カタ・ジュタ(マウントオルガ)へ行ったのは、元旦のこと。
そこへ向かうバスで一緒になったオージーのLさんとも、お友達になりました。

そのほかにも、自転車でオーストラリア大陸を縦断している、
元航海士の日本人の男の子や(彼の星座のレクチャーは最高でした。)
ワ―ホリでウルルで働いている韓国人の子たちや、
一人で旅をしていて、風邪をひいてしまったドイツ人の女の子、
シドニーの大学で勉強している中国人の学生たちに出会いました。
$そこに日本語がある限り

シドニーでも、タクシーの運転手さんと、
昔からの知り合いであるかのようにおしゃべりしたりして。

会う人、会う人とおしゃべりしていた気がします。

そんな風に過ごしていたら、
いろいろ悩んでいたことがばかばかしくなってしまった(笑)

私はもっとシンプルになって、
社会の価値観だとか、そういうことに縛られるのはやめよう、と思うようになったのです。



旅からもう1年半過ぎてしまいましたが、
あの時話していた相手が発した言葉や、
私自身が感じた思いは、今でも鮮明に残っています。
自分の価値観をしっかりとしたものにしてくれた旅立ったのだと思います。

オーストラリアへはまた行きたいです。
というかそこで生活・仕事がしたいです。
つい最近までワ―ホリを考えていたほどです。
(ま、それは軌道修正したんですけどね)


でも、やっぱりわたしは、オーストラリアに呼ばれているような気がしてなりませんニコニコ

$そこに日本語がある限り
最後になりましたが、
ウルルで見た初日の出は最高晴れでした。


長くなりましたが、読んでくださって、ありがとうございました

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