普通の妊婦さんに比べて妊婦健診の回数は多かった。病院は大阪でも大きめの病院で8割がたは初診の先生と助手の先生がみてくれたが、時々別の先生になることもあった。


ここで一つの選択肢が出てきた。


いつもの先生は胎児治療については特に私に勧めはしないし、先生から切り出して話があることはなかった。しかし時々診てくれる先生は胎児治療について私の場合は赤ちゃんが重症なので適応となること、時期的には今がラストチャンスであることなど、気になったら何でも聞いてと積極的に情報をくれた。


自分でも不思議なくらい胎児治療に興味をもちだしていた。この治療を受けない理由を挙げてみた。入院期間が長いこと、東京の病院でしか受けれないこと、長男の幼稚園や世話のこと、夫の協力の可否など。


色んな理由をあげても、どれも頑張れば何とかなるんじゃないか、赤ちゃんの命と比べたら何でもないことに思えてきた。


幼稚園に電話をしたら先生が週に1回のお弁当を用意してくれることになり、夫も土日休みの帰りも定時に帰らせてもらえるようにし、ママ友には長男の送り迎えに預かりまでお願いした。誰もが快く引き受けてくれて、本当に今思っても感謝しかない。


長男には赤ちゃんの為に東京に行き2ヶ月位会えない事を話した。泣いて泣いて嫌だといっていたけど、何とか子供なりに理解してくれた。きっと理解するしかなかったんだろうと思う。まだ4歳なのにかわいそうだった。


このとき、産むと決めた時よりも強くお腹の子を生かしたいと思っていた。