信長の野望 創造PK プレイ日記その6(織田・豊臣家戦国伝 前編) | KMのゲームブログ

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PS3版の信長の野望 創造PKのプレイ日記、第6回目です。
今回は、織田・豊臣家の戦国伝を回収していきます。

戦国伝のプレイ日記では断りがない限り、難易度は初級、寿命なし、討死なし、架空姫あり、姫武将モードありで固定。
なお、戦国伝の達成・失敗条件と期限は、L2ボタンで表示される情報一覧の「戦国伝」から確認可能。

※PC版や無印とは達成条件などが異なる可能性もあるので注意。
※発生時期については、続き物の戦国伝の場合も多いので参考までに。史実年に近いシナリオで開始するのが手っ取り早いです。
※期限については、発生したときから○○年となっているものもあるようなので、記載している情報とは異なる可能性もあります。

織田・豊臣家で発生する大名録は25種類(追加大名録2つ)。武将録は13つ(重複気味の物があるので曖昧)。
発生する順は、「津島衆掌握」→「三河侵攻」→「美濃侵攻」→「次代の礎」→「家中統一」→「桶狭間の戦い」→「美濃攻略」→「上洛」→「信長包囲網」→「長篠の戦い」→「安土城築城」→「中国征伐」→「甲州征伐」→「夢幻の如く」→「山崎の戦い」→「賤ヶ岳の戦い」→「大坂城築城」→「小牧・長久手の戦い」→「戸次川の戦い」→「九州征伐」→「北野大茶湯」→「小田原征伐」→「利休の死」→「秀次事件」→「醍醐の花見」という順番。
※DLCシナリオの追加大名録「播磨平定」や「三木合戦」はトロフィー条件には含まれないので除外。
→その7の記事に追記しておきました。


今回は「中国征伐」までの大名録と、その期間中に発生する武将録を回収していきます。
まずは「信長誕生」シナリオで開始します。

・「津島衆掌握」(大名録)
発生1534年6月(シナリオ「信長誕生」開始直後)   期限1535年12月
達成条件1、津島衆の支持率を80にする。
達成条件2、熱田衆の支持率を80にする。

尾張守護代の家臣でしかなかった織田信秀の力の源のお話。
港で商いをする諸勢力を保護し、経済を活発化させることで結果的に自らの力が増すという流れ。
最も古い年代のシナリオというだけあって武将の数が不足しています。
熱田衆の懐柔は那古野からは出来ないので、平手政秀を勝幡城に移動させて担当させると良いでしょう。


・「三河侵攻」(大名録)
発生1534年9月(「津島衆掌握」達成直後)    期限1539年9月
達成条件1、4年以内に安祥城を支配下に置く。
達成条件2、安祥城を1年間守る。

松平清康の死後、弱体化した三河を狙って勢力を拡大するお話。
軍事行動が必要になりますが、兵力差があるので負けることはありません。
内政や街道整備などをして力を蓄えておきます。


・「美濃侵攻」(大名録)
発生1536年1月(「三河侵攻」達成後)    期限1347年12月
達成条件1、朝倉家の信用を40にする。
達成条件2、大垣城を支配下に置く。

美濃の蝮・斎藤道三との抗争を描くお話。
国を追われた元守護・土岐頼芸を保護したことにより「謀反人を討つ」という大義名分を得たことが美濃侵攻の切欠となります。
朝倉家にも土岐家一族が保護を求めて入国しており、朝倉家と連携して大垣城を攻めることになります。
朝倉家の信用を40まで上げると、朝倉宗滴隊3500人が援軍としてやってきます。
朝倉軍が北近江に差し掛かったタイミングで大垣城を攻め始めれば労せず陥落させることができるでしょう。
大垣城陥落後、斎藤家と12ヶ月の停戦協定が締結され、戦国伝は達成となります。
次の戦国伝「次代の礎」発生までにはかなりの待ち時間が生じるので、DLCの「軍神降臨す」や「美濃の蝮」のシナリオを持っているならそちらでプレイし直す方が良いかも。
そのまま続行する場合は、内政も数年以内に終わってしまい相当暇になるのでそのつもりで。


・「次代の礎」(大名録)
発生1542年1月(「織田信広が元服する?)     期限1548年10月
達成条件1、1547年9月までに末森城を築城する。
達成条件2、1年以内に斎藤家の信用を100にする。
達成条件2、織田信広が安祥城を1年間守る。

三河を巡る織田信秀と今川義元の駆け引きを描くお話。今川家の人質となるはずだった松平竹千代(のちの家康)を織田家が奪うのもこの時の出来事。
末森城築城は、「美濃侵攻」達成直後に済ませておいても構いません。
達成条件2の「斎藤家の信用100」と「安祥城防衛」の発生は、最短でも1543年1月以降、今川家人質の松平竹千代を強奪するイベントが発生した後だと思われます。
斎藤家との信用が100になると、信長のもとに斎藤家から帰蝶が嫁いでくるムービーが発生します。
織田信広を城主にしておいた安祥城を1年間防衛すると、松平広忠が死亡するイベントが発生。
安祥城は今川家所属となり、城主であった織田信広との人質交換によって松平竹千代は今川家所属に代わります。
ここまで達成すると、次の戦国伝発生までにはかなりの待機期間があるので、戦国伝回収目当ての場合は別のシナリオで続きを見た方が良いです。
どこまで一度のプレイで達成できるのかを調べてみたいので、このまま続行します。


・「家中統一」(大名録) 
発生1547年1月(織田信秀が死亡した後)    期限1559年12月
達成条件1、清州城を支配下に置く。
達成条件1、犬山城を支配下に置く。
達成条件2、末森城を支配下に置く。

主家である尾張守護・織田信友を蹴落とし、独立した弟・信勝をも倒して尾張を統一するお話。
鳴海城は今川領となり、末森城は信勝領となります。
シナリオ「信長誕生」から続けてプレイしている場合は内政が殆ど終わっているはず。
圧倒的な兵数差で平らげるだけ。
清州城を攻略すると、本城の役割が那古野城から清州に移転します。清州城と那古野城の開発状況などが入れ替わるようなので注意。


・「桶狭間の戦い」(大名録)
発生1547年5月(「家中統一」達成直後)   期限1563年4月
達成条件1、鳴海城を包囲する。
達成条件2、今川義元を撃破する(イベント会戦あり)。

日本三大奇襲の一つ、「桶狭間の戦い」を描いたお話。
本当に「奇襲」だったかという点については懐疑的な意見も増えているようですが、いずれにせよ織田信長が数倍の兵力を有する今川義元を討ち取ったという点は確かです。
鳴海城を包囲するとイベント会戦に移行できます。逆に言えば、鳴海城さえ包囲しなければ期限ギリギリまでイベントの発生を遅らせることも可能。
イベント会戦では、織田信長隊で今川義元本隊に乱戦を仕掛ければOK。
時間経過(+義元本隊の残り兵数)で異変に気付いた敵の援軍が続々と駆け付けるという設定になっているので、すぐに勝負を決めないと雲行きが怪しくなります。
義元隊を壊滅させるとイベントが発生して勝利。
松平家が岡崎城で独立し、織田家に60ヶ月(期間は難易度で変動するかも)の同盟を打診してきます。他の戦国伝も回収していく場合は承諾しておいて問題ないでしょう。
次の大名録「美濃攻略」の途中に発生する武将録「墨俣一夜城」の発生には、木下秀吉(のちの豊臣秀吉)が必要なので、秀吉を登用できるようになる1552年1月頃まで待ってから桶狭間をクリアする方がスムーズかも。


・「美濃攻略」(大名録)
発生1551年6月(「桶狭間の戦い」達成後、信長が城に居る)   期限1567年1月(固定)
達成条件1、稲葉山城を支配下に置く。
達成条件1、松平家の信用を100にする。
達成条件1、浅井家の信用を100にする。

外交で後顧の憂いを断ち、美濃平定に乗り出す信長を描くお話。
清州同盟と呼ばれる織徳同盟と、信長の妹を嫁がせた浅井長政との同盟もこの期間中の出来事です。
史実では稲葉山城を攻略するのに7年以上の歳月を要していますが、ゲーム的には1~2年あれば余裕で達成できます。
なお、武将録「墨俣一夜城」の発生は、大垣城と郡上八幡城が織田家所属になると発生しない(失敗する)ので注意。
木下秀吉が家臣にいることも条件なので、古い年代のシナリオで開始した場合はかなりの待ち時間があります。
美濃国東部の岩村城や苗木城は放っておくとそのうち松平家が制圧してしまうので、「美濃攻略」が開始されたらすぐに制圧しておく方が無難。
なお、美濃の多治見や美濃太田の地は平野が多く開発に向いている土地なので、早めに築城しておくと便利です。


・「墨俣一夜城」(武将録)
発生1552年1月(「美濃攻略」発生後、木下秀吉が家臣にいる)    期限なし
達成条件1、墨俣に築城する。

築城には金銭が8000必要です。今作は、木下秀吉で築城する必要はありません。
革新にあった「一夜城」といった便利システムは無いので、今作は護衛部隊を付けてやらないと敵地への築城はまず間違いなく失敗するので注意。


・「三顧の礼」(武将録)
発生1554年5月(「美濃攻略」達成後、信長が城に居る)    期限1555年5月
達成条件1、竹中半兵衛を登用する。

「三顧の礼」の故事成語は、三国志で劉備が諸葛亮をの家を三度訪ねて軍師に迎えたという伝承が元ネタ。
秀吉を劉備、半兵衛を諸葛亮に見立てて物語性を持たせているのだろうということで、秀吉・半兵衛の方の話は後世の創作ではないかとも言われています。
武将録開始の前提条件として、イベント「半兵衛の城取り」が発生(最速で1554年1月?)している必要があります。
古い年代のシナリオでプレイしている場合は、美濃の制圧を急ぎ過ぎて発生させ忘れに注意。
条件を満たしていると、「美濃攻略」達成後にこのイベントが発生します。
合計で3回登用することで達成となります。


・「上洛」(大名録)
発生1554年5月(「美濃攻略」達成後、信長が城に居る)   期限1559年5月
達成条件1、観音寺城を支配下に置く。
達成条件2、二条御所を支配下に置く。

足利義昭を保護し、室町幕府再興の大義名分を得て京を目指すお話。
史実では三好家が殆ど抗戦しなかったため、岐阜城出立から僅か20日ほどで上洛に成功していますが、ゲームでは三好家もきちんと抗戦してくるので、それなりに激しい戦いとなります。
六角家の観音寺城は堅城なので、伊勢方面から伊賀に侵攻して東と南から挟撃体制を築くと戦いやすくなります。
シナリオ「信長誕生」からの継続プレイの場合、きちんと内政をしていれば清州城や岐阜城の兵士は1万人を超えているはずなので、何の苦労も無く京まで上ることができます。
「家督相続」以降のシナリオでプレイしている場合は兵士の数もギリギリなので、浅井家の援軍を活用しないと厳しいと思います。
二条御所制圧後は室町幕府が再興され、松永久秀が信長の配下になります。


・「利家の窮地」(武将録)
発生1559年1月        期限なし
発生条件1、大名録「家中統一」達成後、木下秀吉と前田利家が織田家所属。
発生条件2、イベント「利家の嫁取り」(1558年1月)が発生済み。

達成条件1、前田利家を2年間登用しない。

若い頃は乱暴者として知られていた前田利家ですが、信長の異母弟を斬り殺すという事件を起こし、出奔していた時のお話。周囲の取りなしによって死罪から出仕停止処分へと厳罰され、浪人暮らしをすることに。
史実ではこの後、織田家の合戦(一つは桶狭間の合戦)に無断参加し、首級を挙げた手柄をもって帰参を許されました。
達成条件自体は非常に単純なものですが、COMに全委任していると勝手に登用されることがあるので注意。
委任する際も、「登用」を禁止行為にしておけば大丈夫ですが、期間中はプレイヤーが直接操作する方が安全。
達成後に戻ってくる利家は少し強くなった状態で戻ってきます。


1561年1月に「利家の窮地」達成となりましたが、長尾家によって途中で朝倉家が滅亡してしまったので、シナリオ「信長誕生」でのプレイはここまで。シナリオ「信長包囲網」で続きの戦国伝を回収していきます。


・「信長包囲網」(大名録)
発生1570年6月(シナリオ「信長包囲網」開始直後)   期限1575年6月
達成条件1、朝倉家を滅亡させる。
達成条件1、浅井家を滅亡させる。
達成条件1、長島城を支配下に置く。
達成条件2、二条御所を包囲する。

将軍・足利義昭が呼びかけた反織田勢力と信長の対決を描くお話。
創造PKでの包囲網(連合)の恐ろしさと包囲網の強さを、それぞれの立場から見てみるのも面白いと思います。
多くの大名家が信長包囲網に参加していますが、敵勢力の全てを滅ぼす必要はありません。
二条御所は包囲するだけでイベントが進行するので、大和や伊賀方面から支城を先に攻めて二条御所を敵を釣り出ししまえば非常に楽。
イベント後、足利領は支城も含めて全て織田家の領地となります。


・「松永久秀という男」(武将録)
発生1570年6月(シナリオ「信長包囲網」開始直後)   期限1575年1月
達成条件1、松永久秀を信貴山城主にする。
達成条件2、織田信長が信貴山城を包囲する。

信長包囲網の動きに呼応して、信長に反旗を翻す松永久秀のお話。
シナリオ「信長包囲網」の開始直後だと敵が多いので、いきなり信長本隊で信貴山城を包囲するのは大変です。
焦らず、弱小勢力から一つずつ潰して行くのが近道。
なお、この武将録だけでは物語は完結せず、後に発生する武将録「松永久秀の最期」でその結末を見ることができます。


・「長政の死」(武将録)
発生1570年6月(「信長包囲網」発生後、浅井家と交戦する?)   期限なし
達成条件1、浅井家の所持城を小谷城のみにする。
達成条件2、小谷城を落城させる。

小谷落城時の浅井長政とお市を描いたお話。
美濃・尾張・南近江の3ヶ国から出兵すれば兵力差でゴリ押しできます。
なお、小谷以外の城を残した状態で小谷城を制圧すると武将録は失敗となり、浅井家滅亡後に長政を登用できるようになります。


・「長篠の戦い」(大名録)
発生1572年11月(「信長包囲網」達成後)    期限1577年11月
達成条件1、政策「火器集中運用」を実施する。
達成条件2、織田信長が設楽原に布陣する。
達成条件3、織田信長が武田勝頼を撃破する。

武田信玄の跡を継いだ勝頼は、武田家最期の当主として悪い意味で有名ですが、領土の広さで言えば信玄以上の版図を築いた当主でした。
史実での「長篠の戦い」は後詰めの延長上の戦でしたが、織田家と武田家の国力差は開く一方でした。
そうした事情もあって、勝頼は(家臣の制止を振り切って)不利を承知で決戦を挑まざるを得なかったとも言われています。
政策「火器集中運用」は、「鉄砲隊強化」の政策を実施しているのが前提条件。
イベント発生のトリガーになっているだけなので、発生後は取りやめても問題ありませんが、大名録「長篠の戦い」達成までは実施しておいた方がイベントの回収は楽です。
政策「火器集中運用」を導入しているのであれば、出撃させるのは信長隊だけで良いです(兵士は4000人もいれば十分)。
信長が三河国・設楽原(長篠城の近く)に布陣すると、山県昌景隊1500人、内藤昌豊隊1500人、武田勝頼隊3000人、馬場信房隊1000人が段階的に出陣してきます。
なお、徳川隊2500人も援軍として設楽原に布陣します。
「長篠の戦い」に付随して3つの武将録が発生するので、全て見たい人はこの段階でセーブしておくと良いです。
兵糧の問題もあるので、信長隊は長篠城の前で待機。
敵の進軍には差があるので、信長隊(+国人衆)だけで全て捌き切れます(会戦すら不要)。
全て信長隊で撃破する必要があるので、下手に後方で待機していると徳川援軍などに止めを刺されてしまうことがあります。
信長隊と勝頼隊が交戦するとムービー「長篠の戦い」が発生。
長篠で勝利してから信長が城に入るとイベント発生後、黒田官兵衛が家臣になります。


※追記
3月30日に配信されたVer.1.08のアップデートで「長篠の戦い」でイベント合戦が発生するようになりました。

・「長篠の戦い」(大名録)    (Ver.1.08以後)
発生1575年2月(シナリオ「長篠の戦い」開始直後)    期限1580年2月
達成条件1、政策「火器集中運用」を実施する。
達成条件2、信長の理想の合戦を実現する(イベント合戦中)。
達成条件2、突撃してくる敵部隊を撃破する(イベント合戦中)。
達成条件3、武田勝頼を撃破する(イベント合戦中)。

「火器集中運用」の実施はこれまでと同じですが、条件1の達成後はそのままイベント合戦に移行します。
イベント合戦を拒否した場合は、これまで通り「設楽原」に布陣して出撃してきた武田軍を信長隊で撃破していく展開。
・イベント合戦時の兵力。
織田方:織田信長隊1万5000人、佐久間信盛隊2000人、滝川一益隊2000人、丹羽長秀隊2000人、羽柴秀吉隊2000人の総勢2万3000人。
徳川方:徳川家康隊3000人、本多忠勝隊1500人、榊原康政隊1500人の総勢6000人。
武田方:武田勝頼隊4000人、内藤昌豊隊1000人、山県昌景隊3000人、穴山信君隊500人、真田信綱隊1000人、馬場信春隊3000人、武田信廉隊500人の総勢1万3000人。

ただし、イベント合戦開始時の信長の話によると、「信長の理想の戦」というのは
・信長本隊を移動させない(信長隊の射程内まで後退して信長隊に迎撃させるのは可)。
・馬防柵の前には出てはならない。
・前線の部隊が後退するのは可。
・味方部隊の敗走は不可。
という条件下で武田軍の先鋒隊を殲滅する必要があるようです。
実質、織田徳川連合軍1万4000人で武田軍(実質9000人)と戦う形。
条件に外れる行動をとった瞬間に達成条件2は失敗、達成条件が勝頼隊の撃破に変わり、明智光秀隊5000人が味方増援として信長本陣の近くに配置されます。
信長の理想の戦を展開できなかった場合も、勝頼隊を撃破すれば戦国伝自体は達成できます(武田武将の死亡イベントは「達成条件2」進行中に条件を満たしたものだけ発生)。

確認できたイベント類(イベント名は暫定)
・内藤昌豊隊を撃破→「内藤昌豊の死」
・真田信綱隊を撃破→「真田信綱・昌輝の死」
・馬場信春隊を撃破→勝頼隊撃破後に「馬場信春の死」
・山形昌景隊を撃破→「山県昌景の死」

上記4部隊を撃破すると、ムービー「長篠の戦い」発生、穴山信君隊と武田信廉隊が潰走します。
同時に、条件2が達成され、達成条件3の武田勝頼の撃破に移行。これ以降は柵の前に出ても問題ありません。勝頼隊を潰走させると勝利。

敵軍左翼からやってくる山県昌景隊をいかに迅速に撃破するかが鍵。
本多忠勝の「蜻蛉切」を発動させて乱戦を仕掛けるのが最有力。
馬場信春隊も兵が多いですが、織田軍の鉄砲隊は政策の効果で強化されているので特に問題ないはず。
信長本隊と敵が交戦すること自体は問題ないようで、兵力の少ない真田隊と内藤隊を撃破した後は、信長本隊付近まで敵軍を誘引して信長隊に敵軍を迎撃させる手もあります(信長隊を移動させては駄目)。

基本的に有利な状況での戦闘となるので、開戦時の信長の言葉に従って戦っていれば問題ないはず。

なお、忠勝隊以外の部隊を信長本隊の後方まで下げ、忠勝隊の蜻蛉切だけで敵を殲滅することも可能(難易度「超級」で確認)。
ある意味では一番安定する戦い方かもしれません。かなりせこい気がしますけど。


※追記ここまで


・「昌景の死」(武将録)
発生1573年1月(「長篠の戦い」発生後、信長が設楽原に着陣後)    期限なし
達成条件1、織田信長が山県昌景を撃破する。

長篠の戦いで先陣を切った山県昌景の最期を描くお話。
昌景隊は1500人と寡兵ですが、信長隊で撃破する必要がある点に注意。


・「昌豊の死」(武将録)
発生1573年2月(「長篠の戦い」発生後、山県昌景が出陣してから少し後)    期限なし
達成条件1、織田信長が内藤昌豊を撃破する。

武田古参の一人・内藤昌豊の最期を描いたお話。
これも信長隊で撃破する必要があるので注意。


・「鬼美濃死す」(武将録)
発生1573年2月(「長篠の戦い」発生後、武田勝頼が出陣してから少し後)    期限なし
達成条件1、織田信長が馬場信春を撃破する。

殿(しんがり)になった不死身の鬼美濃こと馬場信春の最期を描いたお話。
敵軍の出陣順の都合で、馬場信春との戦闘は最後になります。
勝頼撃破後でも問題なく達成できるので、信長自身で撃破することに集中すればOKです。


・「安土城築城」(大名録)
発生1573年5月(「長篠の戦い」達成後、信長が城に居る)    期限1579年6月
達成条件1、観音寺城に石垣を設置する。
達成条件2、観音寺城に三の丸を設置する。
達成条件3、観音寺城に四層天守を設置する。

開始時に条件を全て満たしていた場合は、すぐに達成となります。
達成後はすぐに次の大名録「中国征伐」が始まってしまうので、ある程度準備をしてからの方が良いです。
改修がこれからで「中国征伐」の達成を目指す場合は、念のためここでセーブ推奨。
畿内諸将や山陰の一色家、山名家辺りは「安土城築城」の達成前に滅ぼしておくと良いかも。


・「中国征伐」(大名録)
発生1574年4月(「安土城築城」達成後)      期限1579年4月
達成条件1、姫路城を支配下に置く。
達成条件2、毛利家を滅亡させる。

羽柴秀吉率いる中国方面軍と毛利家の戦いを描くお話。
この戦国伝発生時には毛利家を盟主とする反織田連合が結成されます。
史実では、毛利家を滅亡させる前に本能寺の変で信長が横死したので、毛利家滅亡の項目はIF要素ということになります。
なお、「中国征伐」に付随して秀吉と黒田官兵衛関連の武将録が複数用意されています。
微妙に発生順や条件がややこしいので、達成を目指す際は注意(一部は追加シナリオのみで発生)。
秀吉と官兵衛を同じ部隊に入れて進軍させておけば一度の出撃で「高松城水攻め」まで完了させることができます。
他の戦国伝や大名家攻略と平行して5年以内に毛利家を滅ぼす必要があるので、時間制限が存外シビアです。
軍団任せだと大抵間に合わないので、攻略指示を出しつつ信長本隊も繰り出して援護してやる必要があります。


・「松永久秀の最期」(武将録)
発生1573年6月(「安土城築城」達成後)     期限1578年1月
達成条件1、松永久秀を信貴山城主にする。
達成条件2、織田信長が信貴山城を包囲する。

再び反乱を起こした松永久秀の最期を描くお話。武将録「松永久秀という男」の続きです。
一度目は許された久秀ですが、今回の降伏条件は「茶釜・平蜘蛛を献上せよ」というものでした。
献上を拒否し、火薬を詰めた平蜘蛛と共に爆死した様はあまりにも有名です。
史実では上杉謙信に呼応して反乱を起こしたことになっているので、謙信が存命中であることも密かに武将録発生の条件になっています。
一度目の反乱の時よりも織田家の勢力は拡大しているはずなので、城に取り付くのも苦労しないでしょう。
条件になっている「信長隊で包囲」という部分以外は問題ないと思います。


・「三木の干殺し」(武将録)
発生1574年12月(「中国討伐」発生後、姫路城を支配下に置く?)   期限1581年9月
達成条件1、羽柴秀吉が三木城を包囲落城させる。

一度は織田家に臣従する姿勢を示していた別所家が、突如織田家に反旗を翻し三木城に立て籠もったのが事の発端。離反の理由は諸説ありますが、単に秀吉のことが気に食わなかったからとも、信長への不信感とも丹波・波多野家の籠城に呼応したからとも言われています。
史実では、2年近い兵糧攻めの末に開城させましたが、竹中半兵衛はこの戦いの最中に陣没しています。
三木城は耐久が高い城ではないので、秀吉の他に数部隊を出撃させて包囲すればそれほど苦労せずに攻略できるでしょう。


・「攻城名人、秀吉」(武将録)
発生1575年2月(「三木の干殺し」達成直後)    期限1581年12月
達成条件1、羽柴秀吉が鳥取城を包囲落城させる。

秀吉による「鳥取の飢え殺し」を描くお話。
なぜか毛利家からの後詰めがない(?)ので、包囲可能なだけの十分な兵士を連れて行けば容易に達成可能と思われます。


・「高松城水攻め」(武将録)
発生1576年6月(「攻城名人、秀吉」達成直後)    期限なし
達成条件1、秀吉と官兵衛が備中高松城を包囲する。
達成条件2、秀吉と官兵衛が備中高松城包囲を続ける。

毛利家の清水宗治が守る備中高松城を水攻めするお話。
史実では、高松城水攻めの最中に本能寺の変が起きたため、信長の死を伏せたまま毛利家と和睦することになります。
この時の清水宗治の切腹作法が、これ以後の武士の切腹の作法になったそうです。
ここでもなぜか毛利家の後詰めはこないようなので、多数の兵士とともに包囲するだけです。
そのまま包囲を続けるとイベント発生。清水宗治が切腹して備中高松城は織田家に降ります。


毛利家を滅ぼして「中国征伐」を達成したのは、期限まで残り半年ほどの1578年10月でした。
「高松城水攻め」の武将録を達成するまでは、秀吉(副将:官兵衛)隊の護衛に安土城の信長隊を付けて行動していました。高松城攻略後は、秀吉隊は岡山城に入城させてそのまま軍団長に任命。
信長本隊は山陰方面の攻略支援を担当。石見国・山吹城を落としたところで帰還しました。
毛利家を滅ぼす頃には「惣無事令」の発布できるようになっていると思います。他の戦国伝には繋がり辛いので、シナリオ「信長包囲網」でのプレイはここでクリアしておきます。


織田・豊臣家の戦国伝はまだ半分ほど残っているので、残りは次回ということで。