先日、かつての朋友であるタケダ2000GT氏が演奏するライブに足を運んだ。彼とは同じバンドで都合約5年に亘りライブやレコーディングをおこなった。福岡からはるばる3年ぶりに東京へと来るというので、何とか時間を作ってお会いすることが出来た。彼は当然現役でステージに立つ方で、よくよく聞くと彼とはまた会う機会が今後増えそうなので、この不定期コラムで彼にフォーカスするつもりは無い。

タケダさんと昔話に華を咲かせるうちに、お互いの知り合いはどうしているかの話になった。そこに出て来たのが、今回取り上げる泯比沙子さん、ミンさんである。 
ミンさんと一緒にやったのは、かれこれ10年くらい経つのだろうか、タケダさんと二人で笑いながら当時のことを思い出した。珍道中さながら、よくあれで東京でライブしたものだと二人で笑った。 

当時、私は自分が正式なドラマーとして活動していたバンドがあったが、タケダさんから「百ちゃん、ヘルプでドラム叩いてほしい!絶対悪い話じゃないから!」電話があり、タケダさんが悪い話ではないというのならと話を聞くことにした。打ち合わせがあると呼ばれる場所に行くと、そこにいたのがミンさんだった。 

年齢不詳のその女性は、見事なまでの金髪だったが、非常に物腰の柔らかいお方だった。しかし、一緒に連れていたミンさんの娘さん(当時幼稚園か小学1年生くらい)が、ポータブルDVDプレーヤーで見ていらしたのは楳図かずお先生の代表作「まことちゃん」で、しかも娘さんはそれに完全に心奪われ笑い転げている姿と、そして、ミンさんがその子のために作った夕食という弁当を見れば、ポリスチレンの箱一面に敷き詰められた黄色、いわゆる「白米にオムレツ載せただけオムライス」を見て、ああこの人もやっぱり只者じゃないんだなぁと思った記憶がある。 

何でも、東京にある某大学の学園祭にミンさんがゲストとして呼ばれるというオファーがあったそうで、タケダさんがソロでライブした際に仲良くなったミンさんと意気投合し、今現在は完璧に克服したが当時のタケダさんは見事なアルコール中毒で、「ベース?めんどくさいからいいや、でもドラムは必要だよね、あ、オレちょうどいいドラマー知ってる!」というめちゃくちゃなんだけど彼らからしたら当たり前なテンションで私にお鉢が回ってきたのだ。 
交通費等は何も心配しなくて良い、むしろギャラまで出るとのことだったので、とりえず私は正式にドラマーとして参加することになった。ミンさんからは「ありがとう百万石さん、うれしい!もうこれから百ちゃんって呼ぶね」と、これまた屈託のない笑顔でお礼を言われたのも記憶にある。その時娘さんはまことちゃんの「ぐわしっ」をポータブルDVDプレーヤーに向かってキメているところだった。そのポーズと共に「泯比沙子とハイライトセブン」は誕生したのだ。 

その日のうちに早々と課題音源を受け取り、さっそくコピーとカバーの作業に入った。 変拍子が入っている曲が多く面食らったが、ポップスとパンクを足して2で割ったような感覚。あまり私が通ってこなかったジャンルの音楽だった。同時に、ミンさんのことをネットで検索し、そこで初めて驚いた。 

ミン&クリナメンという、パンクバンドの世界では一世風靡したこと(実際、当時のベースの調さんはのちのハイロウズのベーシストである)、ミンさんご自身は私と初めて顔合わせをしたの印象とは全く異なる異端少女であったこと、なぜならばライブ中に生きたセミを食って喝采を浴びたりヘッドバッキングしながらマイクに頭を強打して血まみれで歌い続けるようなキワモノキャラであったこと、きちんとしたレコード会社と契約して当時としてはかなり稼いでたんじゃないかと想像されたこと等、パソコンの画面から目に入ってくる情報が私にとってあまりにも新鮮で、かつ驚きばかりで、妙に心が躍ったのを覚えている。 
なるほど、東京の大学がわざわざ福岡に住むミンさんにオファーを出すのも頷けた。 


週に2回くらいのアンサンブルの機会を設けてリハに励んだ3人だったが、まず私が変拍子にあまり慣れていないということと、上に書いたようにタケダさんが異様なまでのアルコール中毒で、ほとんど曲構成を覚えず、全て初見みたいなテンションで練習に臨んでくるものだから、なかなかうまくアンサンブルはまとまらなかった。ベースがいないバンドというのが私には初めての経験だったので、曲のリズムは全て自分にかかっているというプレッシャーもあった。この人は単なるお姉さんじゃない、泯比沙子だと思う度に、この人達に比べれば随分真人間にカテゴライズされる私にとってはなかなかキツイ日々だった。 
お二人とも私にとってはファンタジーの世界にいる住人なので、彼らのテンションについていくのが精いっぱいだった。良くも悪くもおおらかなのだ。福岡市内の中心地に位置しながらも、内部改造して音楽が出来るスタジオにした民家の軒先で、練習後に3人でバカな話をするのがルーティンだった。「バルブ全盛期にバブルがはじけたと言い張るスポンジ屋のおじさんの話」とか「ライブ中のお客が全部カラーひよこに見えた話」とか「通りすがりに人一人一人に丁寧に面白いあだ名を付けた人が勝ちゲーム」とか、そんな話やバカなことばっかりやっていた。めちゃくちゃ楽しかったけど。 

ただ、そんなテンションのまま日はどんどん進んでいき、いよいよ東京遠征1ヶ月前という頃になっても、一向にアンサンブルはうまくまとまらなかった。タケダさんも飲み過ぎて体調が悪くなることもしばしばで、ミンさんと私と2人だけでスタジオに入ることも多くなった。私はひたすらに、泯比沙子というビッグネームと、遥かに私より音楽センスの高くて良い経験を積むチャンスをくれたタケダさんの顔に泥を塗るわけにはいかないと、自分のバンド以上に必死になった。その甲斐あってか随分こなれてきた頃、ミンさんが、2人だけの練習の時に鋭い一言を放つ。 

「百ちゃん、すごく良い。最初の頃よりかなりまとまってきてる。ほんと最初はどうなることかとドキドキしたけど、これなら安心よ。リズムさえきちんとしてれば、私は心配ないよ。きっと良いライブになるよ」 

正直驚いた。私はボーカルなんて遊びでしかやったことが無いので、ボーカルというのはメロディを奏でるピアノとかギターを頼りにするもんだと思っていたが、ミンさんはドラムにも気を遣い、そして私が変拍子が苦手だということもきちんと見抜いていたのだ。よく考えればそうだ。私なんかよりはるかに大きなステージを経験し、多くの観客を熱狂させてきた実力者なのだ。単なる狂乱娘なんかではなく、目の前にいるのはマジもんのアーティストなのだと改めて思い知らされたと同時に、自分の実力の無さに悔しい思いをしたのを覚えている。ミンさんの言葉のウラを返せば、「最初はあんたのドラムはクソだったけど今はまぁだいぶまともになったよね」ということなのだ。 

2人だけの練習が終わったのち、民家スタジオの軒先で、ミンさんとゆっくり話をした時のことだ。ミンさんがやんわりタバコの煙を吐き出しながらつぶやいた。 

「ねぇ百ちゃん」 
「はい」 
「百ちゃんは本当に真面目だよね」 
「えー、いやいやいや、そんなことないです、僕が真面目だったら区役所の人達なんてみんな聖徳太子かマザーテレサになってますよ」 
「私はわかるの、百ちゃんはしっかりしてる。責任感のある人よ」 
「なんでそう思うんですか?」 
「私とタケダくんだけじゃ、たぶん、ここまでまとまらなかったと思うの。百ちゃんはちゃんと練習して、ちゃんと仕上げてきたじゃない。タケダくんはすごい人だけど、いつもお酒飲んでるから相変わらず構成もイマイチ頭に入っていないみたいだし」 
「いやいや、良い経験させてもらってます!正直、僕があんまり通ってこなかったジャンルですし。正直僕、ミンさんのことも最初は存じ上げてなかったので、ミンさんやタケダさんに恥かかせるわけにはいきません」 
「区役所の人は、聖徳太子でもマザーテレサでもなんでもないよ」 

ミンさんが私の取り繕った言葉なんてどうでもいいとばかりにつぶやくと、そこそこディープな話を始めた。 

娘さんがいるということは旦那様がいるはずだが、離婚し、養育費もまともに払われないのだそうだ。 
Youtubeの中で見たミンさんはもちろん、その当時のミンさんの風貌であれば簡単にまともな仕事も見つけることはできないことが想像できたし、ミンさんのパーソナリティそのものがなかなか社会に溶け込めそうにない感じだったからだ。不器用という言い方が正しいかどうかは抜きにして、根っからのアーティストなのだ。 
区役所に生活保護の申請に行っても、海千山千の聖徳太子やマザーテレサは一向に許可を出さないらしい。あなたは充分に働ける、と。 
八方ふさがりで、なかなか将来が見えない、娘をこれからどうやって育てて行けば良いか、正直悩んでいるとのことだった。 
私自身当時はもう結婚していたし、一応嫁さんは養えていたし、マンションも買ったばかりの頃だったので、生活保護を申請するという経験ももちろん無く、そのディープな話に対して良い言葉が見つからなかったのが正直なところだ。 

「お役所の人達って、やっぱり真面目なんですよ」 
「そうよね」 
「僕らがバカ話してるテンションで相談に行っても、なかなか話は聞いてくれんでしょうねぇ・・・・」 
「私は真面目に話してるつもりなんだけど」 
「あのー、ミンさん」 
「うん」 
「誠心誠意って言葉があるじゃないですか」 
「うん」 
「誠心誠意の気構えで相談に行ったら、ハンコ、押してもらえるんじゃないですか?」 
「誠心誠意の気構えってなに?」 
「うーん、そうだなぁ、ミンさんが真剣になれることって、例えば何ですか?」 

即答だった。 

「歌うこと」 

ハッとしてしまった。当たり前だ。私のように生業がある一方で音楽をやってる半端モノとは違うのだ。ミンさんに必死に謝った。 

「すんません!ほんとすんません!当然ですよね、変なこと聞いちゃいました」 
「真剣になれることと誠心誠意が、どうつながるの?」 
「いやまぁだから、真剣になれることが歌うことだったら、歌う時のテンションでお役所に相談に行ったらいいかな、と思ったんですよ」 
「それなら」 
「はい」 
「あたし、絶叫しながらカウンター乗り越えて首根っこ掴んでお金ちょうだいって言っちゃうかも」 

二人で大笑いしてその日は別れた。 


ライブ前日に東京入りした私は、先にソロで東京にツアーしていたタケダさんと合流し、最終アンサンブルをおこなった。 相変わらずタケダさんは構成をイマイチ覚えていなかったが、私からのアイコンタクトとサインで何とかなるところまでようやく来た。 
当日、その大学に向かうと、何ともまぁわかりやすい大学のわかりやすい学園祭という雰囲気が懐かしくて、非常にテンションが上がった。 ライブの順番は、金をかけて福岡からゲストを呼んだという大学側の気合いの入り方からか、トリを務めることになっていた。 

随分時間が推した状態でライブが始まった。結果を言うと、まずまずの出来、少し失敗した部分もあったが、やはり泯比沙子のパワーと知名度は相当なもので、昔からのファンだという人の中には、泣いてる人さえいた。 
タケダさんはさすがの腕前で、私からのアイコンタクトとサインでバッチリ構成は補われ、汚くも美しいエレキギターを奏でておられた。やはりタケダさんも只者ではないことを充分味わった瞬間でもあった。 

ライブが終わった後は打ち上げがてら近くの居酒屋に移動して、その昔ながらのファンだと言う人や、当時ミンさんとよくライブしたというお兄さんお姉さんもたくさんいるなかで祝杯を上げた。 
大変失礼な話だが、ほとんどの人がどう見ても社会不適合者だった。私の席の隣りにいた比較的真面目そうなおじさんと話をしたが、「未だにミンさんの歌声でオナニー出来る」と真顔で話していらっしゃったので、ココは東京なんかじゃなくてソマリアとかコソボ自治区とか、そういうところとあんまり変わらないなぁと諦めるしかなかった。 

大団円で東京の大学での学園祭ステージを終えた泯比沙子とハイライトセブンは、福岡に戻ってもう一度ライブをした。 
その頃からか。私のところに、泯さんからスタジオリハの日程摺合せ以外で頻繁に電話がかかってくるようになったのは。 

「百ちゃん、郵便の速達ってどうやって出せばいいの?」 
とか 
「百ちゃん、粗大ごみの出し方を教えて」 
とか 
「金沢のファンの方がカニを送ってくださったの!百ちゃんにもあげるから30分後に警固六つ角の信号のところにきて」 
とか、挙げ句の果てには、深夜2時頃に、 
「百ちゃん、今○○さんのお店で飲んでるんだけど、お料理たくさん頼み過ぎちゃって。百ちゃんってたくさん食べるでしょう?今から来て」 
とか。 

たくさん食べるでしょう今から来てくらいで確信した。ああ、これは、バンドのヘルプメンバーだからとかじゃなくて、あくまで、男性としてロックオンされている、と。 

「泯比沙子」とか「ミン&クリナメン」でワード検索し、このブログに辿りついた方もいらっしゃると思う。 
断っておくが、もちろんミンさんは素敵な女性で、紛れもないアーティストだ。 
至極プライベートな部分をこうやって書くには正直迷ったが、私は確信したのだ。ミンさんは、決して、純粋に私を男として見たのではない。当時のミンさんには、ミンさんが考える「真面目な人・社会に適合できる人」が必要だったのだ。 
しょうがなかったのだと思う。藁にもすがる思いだったと思う。誰しもそう言う時期や、そういう感情になることがある。それが人間。そう思えたから、下手な文章でもこうして書いた。 
当然私は嫁と別れるつもりなんてないし、一方で不倫をキメてやろうなんて気持ちも微塵も無かった。午前2時に余った料理を食べにおいでという電話以降も、色んな理由でしばらく電話は鳴り続けた。 

もはや名物でも何でもない「美味しいお菓子があるの、百ちゃんの家の近くにいるから、今から出てこない?」という電話に対し、いつも断っていた私だが、その時は、「わかりました行きます」と答えて電話を切り、すぐにミンさんに会いに行った。時計は日付が変わる12時を回ろうとしていたころだった? 

「ミンさん」 
「なに?」 
「僕、今、嫁さんに嘘ついて外に出てきています」 
「どうして?」 
「夜中ですから。出てくる理由がありません。夜風に当たってくると言って出てきました」 
「そんな理由で?」 
「はい、今のご時世、夜風に当たってくると言って家を出るヤツなんていません」 
「そうね」 
「ミンさん」 
「なに?」 
「あなたは女です」 
「うん」 
「ミンさんに言わせれば、僕は真面目なんですよね」 
「うん」 
「僕は自分ではそう思いませんし、真面目だって言われるのはあんまり好きじゃないんです。でも、今日だけは生真面目に言わせて頂きます」 
「なにを?」 
「僕が、こんな時間にミンさんに会ってるなんて言ったら、僕の嫁さんは悲しむと思います。ミンさん、あなたは女なんです」 
「・・・・」 
「このお菓子を受け取って家に持って帰ったら、また僕は嫁さんに嘘をつかなきゃならんのです」 
「・・・・」 
「すみません、だから、このお菓子は受け取れません。ごめんなさい」 
「・・・・」 
「それじゃ」 

それじゃまた、と言わずに、それじゃ、と言った。また、と言わなかった。心臓が飛び出るほど緊張した。その辺のおねえさんとはわけが違う。伝説と称される女性・根っからのアーティストである人に、理由はどうあれ好意を寄せてくれているであろうお人を、結果的に傷つけてしまうのはどうなのか。自分はそこまでの男なのか。ファンの方に知られたりしたら「テメー!ミンちゃんを蔑ろにするなんてぶっ殺すぞ!」と怒られたりしないだろうか。振り返らずに、出来るだけ早く家に戻った時の足はブルブル震えていた。自分は今、本当にひどいことをしてるんじゃないだろうかと、突き放してみたもののこれからミンさんはどうやって娘さんを育てていくんだろうと思うと、ひたすら恐怖感に苛まれた。 
でも、自分にとって大切なのは、やはり家族、嫁さんだった。ミンさんが住む世界では私は生きていけない、そんなサバイバル能力は備わっていない、だから、ミンさんが言う「真面目な人」で生きて行く道を選んでいたのだ。もちろん粗大ごみの出し方も知っている。速達だって出せる。クレジットカードの審査だって通ってしまう。私は至極真っ当な「当たり前の人」だったのだ。不本意ながら。 


タケダさんに、「とにかく毎日鬱屈とした仕事の繰り返しで、自分はもともとサラリーマンに向いていないしとりあえず環境を変えたい」と愚痴ってみると、それまで穏やかに笑みを見せていたタケダさんが、一転してわりと真剣な顔で「そうかなぁ」と答えた。無い物ねだりもほどほどにしたらいいんじゃない?というような、タケダさんがたまにしか見せない大人の顔だった。
刺激の無い安定した道を選んだことも事実だが、付き合う人は刺激的な人ばかりで、そんな人たちに会うたびに私はいつもキリキリ舞いにされる。思えば私が普段抱える悩みや苦悶は、ある種贅沢であり、自分へのごまかし、欺瞞でしか無いのかもしれない。

今帰国がてらにこの文章を書いているが、飛行機の窓から見える光は宝石のように街を照らしている。私は宝石には興味がないが、宝石のような人々に色んな刺激をもらって生きている。その中に間違いなく、ミンさんは存在したと懐かしむのである。


Min & Klina-Men - フラッシュ・ザ・ナイト

https://youtu.be/yKi7tp6sM_g