「サイコパス」という言葉がある。

読むと、
反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われている。 その精神病質者をサイコパス(英: psychopath)と呼ぶ、
とある。

社会性に乏しく、人の気持ちをあまり理解せず、基本的には自己中心的な考えの塊のような人を指す。
私はまだ完全なサイコパスに遭遇したことは無いが、それに近しい特性を持つ人ならば2人知っている。1人は音楽に全く関係無い人なので触れないが、もう一人は、今回書こうと思う「カワキタさん」である。実質的には私のドラムの師匠にあたる。

サイコパスに近しい2人に共通しているのは、

・自分の考えに絶対の自信を持っている
・目的達成のためには手段を選ばない
・観測、分析、予測、表現の精度が非常に高く、だいたい本人の発言や見立て通りに事が運んでいく

というところだ。ほぼ神通力に近いものを持ち、やもすると教祖になれる資質がある。
その人を好む好まないは別にして、少し離れたところから人間として見る分には非常に興味深い人たちだ。
カワキタさんには感謝してもしきれないほど世話になったが、最終的には、私は彼と離れることを選んだ。
カワキタさんに関する思い出の曲というのは、無い。彼とは2つの楽曲を作ったが、その曲を描いたのは彼で、歌詞こそあれど題名が無く、その曲を作り上げるまでに私はノイローゼになるほどクリック(電子メトロノーム)を聴きまくった。だから彼とのエピソードを書こうと思った時に、「ピイッツカッツカッツカッツと」いう、リズムマシーンによって作り上げられた電子音が真っ先に思い浮かんだ。


3回前に書いたイイチロウさんが長崎を突然出てしまってからすぐ、私はカワキタさんに出会う。出会った場所はスタジオの休憩場所だったことは覚えているが、どうやって話すようになったかは覚えていない。彼は最初気さくなお兄ちゃんという感じで、色んな楽器が出来るが一番得意なのはドラムだと言うのを聞いて話が盛り上がり、仲良くなったのがきっかけだ。
身長が185cmを超える大柄な体格のカワキタさんは、こちらもイイチロウさんと同じ当時25歳くらい。イイチロウさんが東京に行ってしまい、兄貴分がいなくなった失恋状態の当時の私にとって、偶然にも次の良いお兄ちゃんを見つけたという感じだ。

「あー!聞いたことある!北島三郎の『与作』をカバーしてteens優勝したバンドでしょ?あれのドラム、君だったの?」
「ですです!へへへ・・・」
「なんだよそーだったの、で、今どんなことしてるの?今もそのバンドやってるの?」
「いやー、もうギターが東京に行っちゃったので、今は色んなバンドのヘルプやってます」
「へいへいへーい、なになに、もう職人みたいなことしてんじゃーん、すごいね!」
「いやー、まだまだです、実は、イイチロウさんっていう人についこないだまで色々教わってたんですが、その人いなくなっちゃって。その人にもっといろいろ教えてもらってもっと上手くなりたっかったんだけど・・・・、もったいなかったです」

イイチロウさんの名前を出した瞬間、カワキタさんの顔は真剣になった。

「あー、イイチロウね。知ってるよ。あいつ東京行ったんだってね」
「おおおおお!やっぱり知っておられるんですね!!イイチロウさんは東京のどこに行ったかご存知ですか?」
「いやー、会ったらちょっと話すくらいだったし、連絡して会ったりするような仲では無かったからそこまでは知らない」

今思えば、ニコニコしながら調子の良い言葉を発するカワキタさんに、違和感があったと言えばあった。 
だからこそ、イイチロウさんの名前を出した時、なぜかカワキタさんの顔がマジになったのを覚えている。 

会話を交わしてまたお互いのスタジオに戻り練習した。その日の練習中に、私が入っているスタジオの窓からカワキタさんが私のドラムを覗いているのがわかった。
イイチロウさんを知る人、おそらくイイチロウさんと同じレベルくらいのドラマーだと思われるカワキタさんに、私は精一杯アピールした。確かに、すでに「街の高校生レベルのドラマー」ではなく、そこそこ叩けるドラマーくらいにはなっていた私は、どうだこれがオレのドラムだ兄貴見てくれ!的なテンションで叩いた。
練習後、カワキタさんが笑いながら「良いドラム叩くじゃん、ちょっと電話番号教えなよ」と声をかけてきた。嬉々として私は電話番号を渡した。

その2日後くらいに、本当にカワキタさんから電話がかかってきた。
今、2つ曲を書いていて、歌詞も完成している、その曲を本格的にレコーディングして色んなレコード会社や事務所に持っていこうと考えているが、どっちか一つでもいいし、何なら二つとも叩いていいから、レコーディングでドラムやってみる?というものだった。
音速で「よろしくお願いします!!」と返答し、その数日後に私はカワキタさんとスタジオに入ることになった。


だいたいスタジオに入る時は、個人であれば1~2時間、アンサンブルであれば2~3時間、というのが自分のルーティンだったが、驚いたのは、カワキタさんは7時間もスタジオを押さえていた。金の心配はしなくていいからとのことだったが、ドラムだけで、しかも7時間、一体何をするのか最初はよくわからなかった。

当時としては画期的だったマッキントッシュのパソコンをスタジオに持ち込み、PA(スピーカーと音楽機材を繋ぐ大元の機械のようなもの)に繋げて音を鳴らした。やってもらうのはこの曲だ、と。「題名はまだ無い」と言われ驚いたが、そんなもんかとも思った。 
2曲ともドラムはパソコンによる打ち込みで機械的な音だった。というより、どのパートも全てパソコンによって打ち込まれ、ボーカルだけはカワキタさんの低い声だった。ドラムは全く難しくなかった。正直、え?こんなもん?これやればいいの?ってな感じだった。 

「どう?やれる?」と言ったカワキタさんに、「これをこのままやればいいんですよね?たぶん楽勝です!」と自信満々に答えた。 
カワキタさんがアコースティックギターを取り出してアンプに繫ぎ、「じゃあオレのアコギと声と君のドラムでやってみようか、オカズ(ブレイク)は適当に簡単なヤツで良いよ」と私に声をかける。私は自分仕様のドラムにセットを組み直し、至極シンプルなアンサンブルが始まった。 

とりあえず走らない(BPMはキープする)ことだけに注意した。あまりにも単調な曲だったので、オカズは自分なりに凝ったオカズを組み入れた。新しい兄貴分に気に入ってもらいたくて、必死にアピールしたつもりだった。 

ところが、である。 

すでに曲の途中から、カワキタさんは鉄仮面のような顔になっていった。私はその時、この人は歌う時は真剣な顔になる人なんだくらいにしか思わなかった。しかしそうでは無かった。 
1曲やり終えた後すぐに、カワキタさんはマイク越しに私に語りかける。「ねぇ、お前さ」と。呼称が「君」から「お前」に変わった瞬間だった。 

「ねぇ、お前さ」 
「は、はい?」 
「真剣にやってる?」 
「え?」 
「いや、だから真剣にやってるか?って聞いてんの」 
「え?え?いやもちろん真剣です」 
「本当に?」 
「・・・・は、はい、真剣にやってますけど、あの、何か・・・・」 
「わかったいいや、もう一回ね」 

なんだこの人急にすげぇ雰囲気変わったとビビった。185cmを超えるガタイの良い体格が一層デカく見えて、カワキタさんが持つアコギが小さく見えた。 
もう一回同じ曲を2人でやる。ただ、カワキタさんの顔は、鉄仮面のように冷たいままだった。 

「あのさ」 
「・・・・はい」 
「真剣にやってる、つったよな?」 
「は、はい・・・」 
「じゃあなんでさ、スネア(最も主となる太鼓)の音がバラバラなわけ?」 
「・・・え、えーと・・・・、バラバラ・・・・ですかね?」 
「なんで余計なオカズ入れるわけ?」 
「え・・・・?」 
「さっき聴かせたじゃん、んで簡単でいいって言ったじゃん、そんな複雑なブレイク入ってた?」 
「い、いい、いいえ、入ってませんでした」 
「だよな?」 
「はい・・・・」 
「スネアはバラバラ、オカズはダサい」
「・・・・」
「あと、なんで左足のカカト(ハイハットシンバルを踏む左足)は動いてないの?」 
「え・・・?」 
「ずっとハット踏んだまんまじゃん、左足動かさないで、どうやってBPMをキープするの?」 
「・・・・すみません、気にしたことなかったです・・・」 
「これがteensで優勝?」 
「・・・・」 
「今の高校生はこんなもんか?もうちょっと真剣にやったらどうなの?」 

何なんだこの変わり様。 
私はカワキタさんが怖くなったというより、気持ち悪いという印象に変わった。ゲームのボスキャラが最終形に進化するような、本当の人間性を見た。 

真剣にやるというのはこういうことだと、私のセットに座ったカワキタさんが叩き始めた。同じ曲を。 
正直、むちゃくちゃ上手くて驚いた。目が点になった。イイチロウさんとは全くタイプの違うドラムだった。イイチロウさんのドラムをセクシー系とすれば、カワキタさんのドラムは清純派系だった。一寸の曇りも無い真っ直ぐなパワードラムだった。スネアの音は本当に一定で、全ての太鼓とシンバルの音の粒が綺麗に揃っていた。気持ち悪い人だとは思ったが、実力は本物だと思った。 
ただそのあとに、カチンと来ることを言われる。 

「真剣にやってますってんならそれはそれでいいけど、イイチロウみたいなヤツから教わるからそんな変なドラムになる。考えを改めろ」と。 

頭に来た。イイチロウさんをバカにされるのは許せなかった。許せなかったがしかし、カワキタさんのドラムはガチだった。イイチロウさんと同じレベルの衝撃をカワキタさんから受けた私は、黙ったまま何も言い返せなかった。 
ここまで1時間。まだその日のスタジオは6時間残っていた。そこからの6時間は、その「クリック」を使っての特訓が始まった。私がクリックに出会った初めての時だ。ドラムセットは、ハイハットとベードラとスネアだけを残され、他は全部外せと言われた。ひたすら8ビートだけを延々と刻むことを命じられた。 

まずは、これからドラムをやるにあたって、ルールがある、と。 
・脇を締める
・左足のカカトはクリックに合わせて踏む 
・スネアは常にリムショット(太鼓の縁を咬ませて叩く)


結局、それまでに色んな人からそれなりの手解きを受けてきたものの、吹奏楽をやる人々が基礎練習でやるようなメトロノームを使った練習をしたことがなかったこともあり、クリックを使ってBPMをキープすることに非常に苦労した。課題曲と同じBPM120(0.5秒に1拍)を5分崩さずに叩けるようになるところまでで、残りの6時間は過ぎてしまった。クリックに付いていくのが精いっぱいで、BPM120を自分で操るなんて夢のまた夢だった。 
帰りのバスの中で、カワキタさんの狙いは何かを必死で考えた。一体あの人はなぜ自分に声をかけたのか。おそらく、もうすでに最初に出会った日に見た私のドラムの粗(アラ)を見つけ出し、もともとスパルタレッスンを施すつもりだったのは間違い無いと思った。ではなぜ私なのか。そこがわからなかった。別にカワキタさん自身がレコーディングの時に叩けばいいだけの話で、わざわざ私のような下手なドラムじゃなくてもいいはずだ。確かにクリックを使ってドラムを叩いたことなんて無かったし、貴重な体験ではある。ただ、クリックに塗れて刻む8ビート、私がクリックを支配するのではなく、クリックにキリキリ舞いにされながら刻むドラムはひたすら苦痛だった。
貴重な経験ではあるが、苦痛。美味しいんだけど値段が高い料理と向き合っているような気持ちになり、どえらい暖簾をくぐってしまったと思った。 

それからしばらく私はやはり頭がおかしくなるほどにカワキタさんとクリックに支配され続けた。余計な音楽も聴くなと言われ、そのクリック音が120分延々と録音されたMDを渡され、通学中に好きな音楽を聴く時間があるのならこのクリック音をひたすら身体に刻み込めという指示だった。頭の1拍目はホイッスル(笛)の音で「ピィッ」という音、それ以外はオモテ拍に本物のアナログメトロノームのような「カッ」という音、ウラ拍には無機質音の「ツ」という音が、1分間に120拍のペースで、延々と流れ続ける。 

ピィッツカッツカッツカッツ
ピィッツカッツカッツカッツ
ピィッツカッツカッツカッツ
ピィッツカッツカッツカッツ
ピィッツカッツカッツカッツ
ピイッツカッツカッツカッツ

ずっとこれを通学中と家での練習で聞き続けた。そりゃ頭もおかしくなるというものだ。我が家は仏教徒で真宗大谷派なのだが、その念仏が可愛く聴こえるほどクリックに悩まされ続けた。 
カワキタさんとのスタジオレッスンでは、クリックになんとか付いていけるようになったものの、今度は最初にルール設定された「脇を締める」や「左足のカカトをクリックに合わせて刻む」がおろそかになった。否応なくカワキタさんの罵声とスティックが飛んでくる。真剣にやろうとしていないから出来ない、というのがカワキタさんの言い分だった。

同じ人間なのになぜ出来ない、出来ないのなら真剣にやってない、だからお前は不真面目だ。

ああこれか、本で読んだことがある。これがサイコパスか。
バカとか変態とかとは全然違うと聞いていたが、何を言ってもダメだと思った。ひたすらクリックにしがみつくしかなかった。

最初のスタジオから1ヶ月ほど経った頃、ようやく私は8ビートだけならクリックを操れるようになってきた。その次は最初のスタジオの時の課題曲に戻り、オカズを入れつつクリック通りに叩けと指示が来た。ハイハットとスネアとベードラ以外の太鼓とシンバルをセットに加えることを許された。久しぶりに自分仕様のセットで椅子に座った時は「多いな太鼓」と思った。決してたくさん太鼓を置かない自分のセットでさえ豪勢に見えた。久しぶりに鳴らす他のシンバルや太鼓の音が気持ちよく、テンションが上がった。
そのテンションのおかげか、案外8ビートだけよりも簡単にクリックに合わせてオカズが入れられるようになった。 
するとカワキタさんは、更に恐ろしいことを言い始めた。 

「よし、オモテはOK。ここまでは誰でも出来る」 
「お、オモテはOK?ってどういう意味ですか?」 
「今までお前がやってきたのは、打楽器やる人間ならだれでも出来るようになる、オモテのクリック」 
「・・・・はい?」 
「だから、お前がやってきたのは『オモテ』なの、オ・モ・テ!」 

言っている意味が理解できなかった。 

「今度は『ウラ』で叩けるようになること。期限は2週間」 
「・・・・ウラ???」 

説明書きするとこうだ。 
オモテのクリックでは、ピィッツカッツカッツカッツの、「ピィッ」と「カッ」の時に太鼓の音を鳴らすが、ウラのクリックで音を鳴らす場合は、ピィッツカッツカッツカッツの「ツ」で太鼓を鳴らさなければならないということだ。 
文字に起こしても理解出来ない人がほとんどだろう。物凄く砕けた言い方に替えると、ずっと今までカラスは黒だと思っていたものを、これからは白だと思うようにしてください、今日から黒は白なんです、と言われたようなものだ。 
延々と流れ続けるクリック音を逆にして頭で数えながら8ビートを刻もうとしても、結局オモテになってしまったり、クリックの容赦ない波に飲まれたりと、ここでもカワキタさんの罵声とスティックが飛んできて、挙句には蹴りまで入れられるようになった。なぜわざわざ認識しにくいウラで刻まなければいけないか私には理解不能だった。 

しかしながらスパルタというものは不思議なものだ。普通に考えればモチベーションを下げるようなことしか言われないはずなのに、追い込まれると自然に出来るようになってしまうのだ。コツを掴むのにはそれほど時間はかからなかった。ピィッツカッツカッツカッツの、一番最後の「ツ」を、頭に持ってくれば良いことに気付いた。ゆえに、頭の中では「ツピィッツカッツカッツカッ」と聴き取るようにした。 
するとどうだ、今まで味わったことの無い音の世界がスタジオの空間を包み始めた。クリックのけたたましい電子音が太鼓と混じることなく、太鼓の音と音の間に綺麗に入り込み、プラスチック定規の目盛のように頭の中で刻まれ続けた。止めない限り目盛はずっと刻まれていく。そして、左足のカカトを踏むリズムと、自分の首と頭を揺らすリズムが綺麗にシンクロした。ビックリだ。なんだこの世界。私は今リズムの波の中にいて泳いでいる。今までの8ビートは何だったのかと、全ての感覚がリライトされた瞬間だった。 
さらに慣れてくると、ピィッツカッツカッツカッツの「ピィッ」の「ピ」が、実は「ンピ」という風に、若干タメ(意図的に遅れさせている)ているのがわかった。最後の「ツ」と「ピ」に行くまでの空間が、他の空間より僅かに長いことに気付く。戦慄である。自分の勘違いなのか、本当にそうなのか、カワキタさんに投げかける。 

「へぇ、わかった?気づいたか。それが真剣にやるっていうこと。真剣にやってりゃ聞こえてくるんだよ」 

と、気持ち悪い顔でニヤニヤ笑っていた。 

クリック音の最初の音をホイッスルにし、わざと遅らせることによって、ベードラとスネアが真っ直ぐに伸びる(カワキタさんの表現。音の出方が伸びる、という意味)ようになる。脳の意識さえ変えてしまえば、外にでてくる音が変わるという、カワキタさんのロジックだった。

2週間の期限通り、私はウラ拍でもそれなりにしっかりした8ビートが刻めるようになった。カワキタさんと出会って約2ヶ月ほど、ドラムはこんなにも損で面白くない楽器かと思った時もあったが、終わってみれば力が付いたと思えるレッスンだった。この時のドラムが自分のキャリアハイだったと思う。この時から先、真っ直ぐなストレートの8ビートであれば相当に気持ちいい音を鳴らすと方々にて評価された私の礎となるレッスンだったのだ。 イイチロウさんのことをバカにされて頭に来たこともあったが、あのままイイチロウさんを師事していたとしても、クリックを駆使した真っ直ぐな8ビートが叩けるようになったかどうかはわからない。
結局、私はカワキタさんに拾われ、救われたのだ。 

どういう感じでレコーディングが進んでいくのかビデオで見せてやるとカワキタさんが言うので、初めて彼の家にお邪魔した。市内中心地から路面電車で10分ほど走った1ルームマンションが彼の棲家だった。
独り暮らしにしては広い。おそらく15畳の1ルームだったと思う。でもそれが3畳一間に見えるほど、パソコンと音楽に関する機材がびっしり並べられていた。ドラムセットや他の楽器は入りきれないので、馴染みの楽器屋やレンタルルームに全て置いていると言っていた。
そう、カワキタさんは色んな楽器が出来るが、家にある楽器はアコギが1本だけ。 どちらかというと、ミュージシャンというより、ディレクターやプロデューサーの部屋のように感じた。 

最初にスタジオに入った時にケチョンケチョンに言われて以来、私の中でカワキタさんはおっかない人でしかなかった。人間らしい話というか、クリックを使った8ビート以外の話をほとんどしたことなかった。他のレコーディングの様子のビデオを見て色々レクチャーを受けた後、カワキタさんに聞きたかった話をぶつけてみた。

彼はなんと3歳の頃からピアノをやり始めたそうだ。中学を卒業するころには、ピアノだけではなく、ドラムもギターもベースもひとしきり出来るようになっていて、一番得意なのはドラムだったそうだ。
それだけ色んな楽器が出来たのならば、高校の時はさぞかし良いバンドも組めたんじゃないのかと聞くと、

「お前も何となくわかってると思うけど」
「はい」
「オレは馴れ合いが嫌いなの」
「・・・・はい」
「同い年くらいの連中のなかで、馴れ合いじゃなくて、本気で音楽をやりたいと思うヤツがいなかった」
「・・・・はい」
「だから、一人でやるしかないかな、と思った」
「・・・・そうなんですね」
「オレはさ、本気で音楽でメシが食えるようになりたいの」
「・・・・はい」
「でも、楽器だけで言うと、オレはまだプロになれるレベルじゃないし、もう25だから遅いんだよね、楽器でメシを食おうと思うのは」
「・・・・そんなもんなんですかね」
「オレは3年前くらいにもう間に合わないかなと思ったから、制作側に回らないと音楽の世界では生きていけないな、と思った」
「・・・・なるほど」

かつてないシリアスな顔で、

「曲を作って、世の中に乗せて。そして、どんなメシが食えるか。どんな車に乗れるか。どんな部屋に住めるか。どんな良い女が抱けるか」
「・・・・」
「オレは、それにしか興味が無い」
「・・・・」
「お前、プロになりたいんだろ?ドラムで」
「・・・・はい」
「お前、ドラムしか出来ないじゃん、ギターもピアノも、他の楽器何も出来ないじゃん、曲も歌詞も書けないだろ?」
「・・・・はい」
「だったらこれまで以上に真剣にやらないと、たぶんプロになれないぜ?お前よりうまいヤツなんて、世界中探せば腐るほどいるだろ」
「・・・・だと思います」
「と思ったから、誘ったわけよ」

カワキタさんがニヤニヤした顔に戻った。

「まぁ、レコーディングした曲が、本当に世の中に乗るかどうかはわかんないよ、まだ」
「はい」
「色んなレコード会社とかオーディションに出してさ、それでチャンスをつかむしかないんだよ、オレもお前も」
「・・・・はい」
「お前誘ったのはさ、最初に見た時に、ベードラの音だけは良かったんだよね。リズムはぐちゃぐちゃだったけど、ベードラの音は響いてた」
「・・・・デブですから(笑)」
「そう(笑)」

久しぶりに、二人で声を上げて笑った。


迎えたレコーディングの日。与えられた時間は4時間。予算の都合で2曲を4時間で完璧にやらなければいけなかった。もし私がミスして4時間以上かかってしまうと、次のベースの人のレコーディングから後が全て狂ってしまうことになる。ある意味プレッシャーだった。急いで自分仕様のセットにドラムを組む。ライブの何倍も緊張した。マイキング(セットしたドラムにマイクをセッティングすること)が終わった時点で1時間、残りは3時間。

「いいかー、もう3時間しか無いから」

別ブースからマイクでカワキタさんが話しかける。

「でもさ、お前、この2曲だったら、3時間あれば大丈夫だから。今までやったことを信じて、とりあえず思いっきりやれよ」

もうこの時点で泣きそうになった。鉄仮面のように冷たい人が、そっと差し出してくる優しい言葉。こうやって教祖は信者を洗脳していくのか。

「じゃあクリック流すぞ、オモテとウラ、好きなほうでやれよ」

すぐさまヘッドホンを通してピィッツカッツカッツカッツとクリックが流れてくる。数えることなど出来ないが、おそらく何万回と聴き明かした電子音だ。ゲロを吐いても泣いてもMDプレーヤーをぶっ壊しそうになっても、私は今こうしてレコーディングに挑むことが出来ている。私はウラを選ぶことにし、「ツ」からベードラを踏んで基本通りの8ビートを叩き始めた。ウラから入った私を見たカワキタさんが、ニヤリと笑ったのが見えた。

1曲やり終える。

「いいよそのままそのまま。それでいい、次のテイク行こうか」

カワキタさんが笑っている。うれしい。teensで優勝した時より喜びは大きかった。

レコーディングではあるものの、クリックをウラに取りながら刻む8ビートは、練習の時以上に私の脳を泳いだ。クリックの合間に太鼓の音が鳴り続ける。何度刻んでも不思議な感覚だ。脳から出される信号によって手足が動くのは間違いないのだが、クリック音と自分の太鼓の音と自分の手足が完全に機械化されたような、脳とは別のところで自分がロボットにでもなったような、初めて味わう感覚が広がる。すると今度は、クリックも太鼓の音も鳴っていない無音空間にまで意識が及び始める。思わず声が出る。あまり大きな声を出すとマイクが拾ってしまうので、そーっと「ぬおおおおお・・・・・」みたいな声が出たのを覚えている。
クリック音とドラムの音以外に音は鳴っていないはずなのに、その何もない空間に、世の中に存在しないような音を脳が勝手に作りだして、空間を埋めるように脳全体に響き始める。すげえええ!と声に出しそうになるのをひたすら我慢する。
「無音という音が鳴っている」のだ。
ランナーズハイならぬドラマーズハイだ。ドーパミンが死ぬほど溢れている時間だった。

結局、私は無事に残された時間の中で、世に出してもOKレベルのドラムを合計8テイクほど残した。最初にしては上出来、よくやったと、カワキタさんは初めて私を褒めてくれた。
日を跨いで、ベースギターキーボード、最後の声(ボーカルとコーラス)に至るまで、全ての楽器のレコーディングを見学した。他の楽器の人々は、年はバラバラだがみんなオモテもウラも自由に操る職人ばかりだった。ギターに至ってはなんと当時中学2年生の少年だった。リズムバランスとグルーヴの取り方が独特で、完膚なきまでに打ちのめされた気分だった。残念ながら名前を忘れてしまった。彼はどうしているのだろう、プロになっていないのだろうか。狭い狭い長崎であっても凄いヤツはゴロゴロいるんだなと、長崎を出る直前の数ヶ月の間に隠しキャラがどんどん現れてきた感覚だった。そんな職人達が、私が叩いたドラムに乗せて演奏するのを見るのは非常に不思議な感覚で鼻高々の気分だった。ベースが乗り、ギターが乗り、少しずつ曲としてのカタチになっていくのが面白くて、レコーディングとはなんと贅沢なものかと思った。 

全員の音が録り終わり、今度はカワキタさんの家の機材を使ってミキシングに入った。ミキシングとは実際に録った音を編集することで、音そのものに少しずつ効果を加えて綺麗な音にしていく。ミキシングし始めてから4日目を迎えようとした朝に、ようやく2曲仕上がった。BOSEのヘッドホンから流れてくる曲は美しかった。すごい、本当にこのドラムは自分が叩いたのか。全く実感が無かった。でもまぎれもなく自分のドラムなのだ。窓の外に見えるのは小さい頃に見た初日の出なんかよりずっと綺麗な朝日だった。その朝日が入りこむカワキタさんの部屋で聴く自分の音、自分が関わった楽曲は、とてもとても大切だと思った。 
だがしかし、すぐに不安も抱えた。この2曲のドラムはあまりにもシンプルで全然難しくない。他の楽器はグイグイ動いていて、職人達の技が随所にちりばめられている。私は、難しくないから、簡単だから出来たのだ。私が当時憧れていたプロのドラマー、マットソーラムもロブアフューゾも沼澤尚も椎野恭一もマヌカッチも、みんな簡単にクリックを操り、ウラとオモテの波の中を、難しいフレーズを叩きながら泳いでいるのだ。カワキタさんがドラムでプロになるのをあきらめた年が22歳ならば、19歳の私に残された時間はすでに3年しかなかった。3年でどれだけ成長出来るのか。果たしてこのテンションについていける同世代のミュージシャンと大学で出会う事が出来るのか。完全に日が昇って、通勤や通学でいそいそと歩く人々を缶コーヒー片手に交わしながら、私はこの先もずっと緊張したテンションの中でドラムを続けられるのか、正直、すがすがしい気持ちばかりでは無かった。 

「三流と言えど大学の合格祝いとレコーディングのギャラ替わりに、オレが使っていたペダル(ベードラを踏む楽器)をお前にくれてやる。楽器屋の倉庫に預けているから明日取りに来い」とカワキタさんに電話で言われ、約束通り翌日に私はその楽器屋に向かった。約束は確か昼1時だった。 
しかし、待てども待てども、カワキタさんは来なかった。おかしい。公衆電話から彼の家に電話しても出なかった。ポケベルにメッセージを送っても返事が無い。やはりおかしい。夕方まで待ってもカワキタさんが来なかったので、しょうがないので家まで言ってみた。呼び鈴を鳴らしても、誰も出なかった。 
明日と明後日の聞き間違いかと思い、改めて次の日も昼1時に楽器屋に行ったが、やはり彼は来ない。楽器屋のおじさんに聞いても、そう言えば最近見ないと言っていた。もう一度家に行ったがやはりいなかった。そのマンションの1階の植え込みのところに座り込んで、バスや路面電車が終わる時間くらいまで待ってみたが、やはり彼は現れなかった。一体何があったのか。

カワキタさんに連絡が取れなくなって1週間ほど、行きつけのスタジオで、一緒にレコーディングに参加したベースのおじさん(つっても当時30歳くらいだったと思うが)とバッタリ会った。おおおこないだはお疲れ様でしたみたいな挨拶をしてすぐに、その人から信じられない言葉が飛んできた。 

「カワキタ、しばらく出られないみたいよ」 
「え!!!カワキタさんどこにいるんですか!?連絡取れなくなっちゃったんですよ!」 
その人は、何の事情も知らない私を手招きし、スタジオの外でこっそりと話を始めた。 

何と彼は、闇金、いわゆるヤクザから金を借りまくっていたそうだ。 
そして、取り立てに来たヤクザを半殺しにしてしまったのだ。それで捕まった、と。 
半殺しにしたという事実には、正直言うとあまり驚かなかった。ドラムが下手だという理由だけでスティックを顔にめがけてブン投げてくるような人だったし、実際それで私はメガネ1個割られたし、彼は格闘家のようにガタイが良かったから、喧嘩では誰にも負けないだろうと思っていたからだ。殺していないだけまだいい。 
むそろ、金に困っていたというほうが驚きだった。当時の私はまだバイトもしたことがなく、得られる金は親からの小遣いのみ。ヘルプで色んなバンドのドラムを叩いている時も、ギャラを貰うというより練習にかかる費用を負担してもらっていただけ。「大人の金銭感覚、大人の懐事情」がよくわかっていなかったのだ。 
思えば、カワキタさんとのレッスンのスタジオ代も全部カワキタさんが払っていたし、ワンルームといえど綺麗なマンションだったし、機材を運ぶためのボックスカーも持っていたし、あの人と食うメシはまずかったけど全部奢ってくれたし。
何よりあの部屋にびっしりと置かれた音楽機材だ。いくらかかっているかわからない。そもそもカワキタさんは普段何を生業にしているかも聞いたことがなかったし、平日の昼間も常に音楽に関わっていたような気がする。今になって計算すると、あの部屋にあった機材だけで、おそらく4ケタ(1千万円レベル)は行ってたのではないか。 

そもそもがまやかしだったのかと思った。 

よく考えれば、いきなり私のようないい気になったクソガキドラマーが、自分の懐は一円たりとも痛むことなく、技術やノウハウだけを習得し、挙げ句レコーディングに参加し、楽曲になり、それが世に出るなんて夢のまた夢、やはりまやかしだったのだ。
彼は刹那的に生きるにも程が過ぎた。彼はもともと金銭的に破綻していたのだ。それでも彼は「どんなメシを食って、どんな車に乗って、どんな良い家に住んで、どんな良い女を抱くか」を最優先にした。音楽というツールを使って。 
ただしやはり、凡人の私には理解が出来なかった。出来る範囲のことで出来ることをやるのが自然な形だと思ったのだ。恋愛やビジネスだって一緒だ。同じ目線で話が出来て身の丈にあった相手、ビジネスパートナーを見つけないと、どちらかがいずれ耐え切れなくなって破綻していく。私が今から起業してアマゾンやグーグルやトヨタに切り込んでいったところで話にならないのとおんなじだ。その様は切ない。まさにカワキタさんは破綻して、ブタ箱の中で切ない思いをしているに違いなかったのだ。

一時の感情で人を傷つけてしまうのは当然良くないことだが、気持ちはわからないでもない。ただ、何かをジャッジする時はいつだって冷静でないとダメだ。
そのヤクザを本当に殺して見つからないように隠して完全犯罪にしたか、もしくは口八丁手八丁で取り立てを華麗に切り抜けていれば、彼は本物のサイコパスだったと思う。本物なのか本物じゃなかったのかの違いでしかなかった。であれば、今のうちに彼からは逃げたほうが良い。単なるドラムが上手いめんどくさいお兄さんでおしまいに出来ると思った。感謝こそすれど、もうこれっきりにしよう。カワキタさんとこれから先も同じ目線で話をするのは無理だと思うから。
両親には「カワキタさんという人から電話がかかってきても、オレの久留米の連絡先は隠してほしい」と伝えておいた。それから彼から電話はかかって来なかったそうだ。


悔いが残るとすれば、その時のレコーディングした正式音源を手に入れていないことだ。その後私は自主制作で4枚のアルバムにドラマーとして関わり、アマチュアレベルでは笑いが止まらないほどCDは売れたが、あれほど完璧なドラムを叩くことは出来ていない。重ねて書くが、あの時がキャリアハイだったのは間違いない。
でも大学以降は、身の丈に合った自分の世界が広がり、ゲロを吐いたりドラムが嫌いになることもなかった。自分の範疇で笑ったり泣いたりした。彼の言うことは当たっていた。私は厳しさよりも楽しさを選んだ。だからプロになれなかったのかもしれない。でもそれでいい。しがみついてケツに火が点いて生きていくよりも、楽しい思い出が多い方が面白いだろうから。

まやかしはまやかしでしかなく、目の前の現実は自分の立場で作り上げた作品でしかない。
だったら私は、自分の身の丈に合った世界で、これからも笑ったり泣いたりしながら生きて行く。