今回書く話は、私の高校生時分の頃のエピソードだが、実は20代のころにバンドのHPのブログに記載した記憶がある。 当然ながらアカウントはもう残っていないが。
高校生からは20年以上、そのバンドのHPのブログに記載してから15年以上が経ち、さすがに記憶も随分おぼろげになってきているが、思い出せるだけ殴り書きしようと思う。 
ある意味私のドラムスタイルの道筋を立ててくれた、イイチロウさんというお兄さんの話だ。 

私が生まれ育った長崎市では、今でも路面電車が市民の足としてバリバリ動いている。 
思案橋という名前の電停があり、そこから繁華街とは逆の方向に向かって歩くと、ちょっと小洒落た雰囲気のレンガ調のタイルが敷き詰められた街があり、その街の裏路地に小さな古着屋があった。 

当時の私はドラムを始めて3年くらいで、同じ世代のバンドをやる高校生からドラムが上手いとチヤホヤされている時期だった。 今思えば、高校生の学園祭の域を抜けない程度のレベルだ。井の中の蛙の典型である。
チヤホヤしてくれるのは男臭い野郎ばっかりで、女にはモテず、古着屋の洋服を着こなせるほどの器量も無かった。すげぇデブだったし。 

そんな百貫デブの私がなぜその古着屋が目に留まったかというと、ショーウィンドウに、桃の缶詰の空き缶だけで作った小さなドラムのミニチュア(シンバルは缶詰の蓋)が飾ってあって、面白いと思いながら眺めていると、中からテンガロンハットを被ったお兄さんが出てきて、わざわざ声をかけてくれた。それがイイチロウさんである。 
当時はお互い甚だしい長崎弁で喋っていたが、そのまま書き起こすと絶対に読めないと思うので、とりあえず標準語で書く。 

「これ、面白いでしょ?オレが作ったんだ」 
「あ、はい、ですね、割箸だったら本当に叩けるみたいです」 
「そうそう、割箸とか鉛筆でやったら良い音するんだよ」 
「はは、本当に叩いたんですか」 
「お兄ちゃん、ドラムをしてるの?」 
「はい、大好きです。バンド3つやってます」 
「へーすごいね。どんなのをやってる?ジャンルは?」 
「ガンズ(Guns N' Roses)とかのハードロックです。ああいうのが好きなんで」 
「ガンズのドラマーだったら、スティーブンアドラーとマットソーラム、どっちが好き?」 
「えーと、ガンズのYou Could be Mineが一番ハマったきっかけだったので、マットのほうですね」
「そうか、オレ達の世代はさ、がっつりスティーブンのほうなんだよ。あいつちょっとキチガイだよね」 
「ははは、薬で捕まったか何かでしたよね。お兄さんもドラムをしてるんですか?」 
「うん、下手くそでさ、全然うまくならない。でもさ、やってたら面白いよね、ドラム」

そんなやり取りがイイチロウさんとの出会いだった。 
桃の缶詰の空き缶だけでドラムのミニチュアを作っちゃうような人だから、もちろんその人がドラムが好きなことだけはわかった。 
俄然その古着屋は営業中だったが、イイチロウさんはそのショーウィンドウの前にうんこ座りし、どこぞの少年とドラムの話を15分くらいしてくれたのである。単純に、どのバンドのドラムは好きか嫌いか、という話だけで。 
当時のイイチロウさんは、25歳前後だったと記憶している。 25歳は嘘だったのかと思えるくらい、顔にいい感じにシワが入っていて、テンガロンハットが少しも嫌味が無くガッツリ似合っていて、むちゃくちゃ渋いお兄さんだった。 

ひとしきり話を終えると、 
「ねぇ、あのさ」と、店の中に向かって「今度のチケット持ってきてー」とイイチロウさんが声をかけた。 
中からは、美人では無いけど、どこか影のあるような、でも何となく艶っぽい、こちらはベレー帽を被ったお姉さんが出てきてくれた。 
「こいつもさ、一緒にバンドしてるんだ。土曜日ライブするから、見にきなよ。夜だけど来れる?」 
「えー!いいんですか?タダでくれるんですか?」 
「いいよいいよ、そのかわり中に入るときに、1ドリンク頼まないといけないから、それだけ払ってくれればいいよ」 
お姉さんが笑いながら、「高校生でしょ?お酒頼んだらダメよー」とオレに釘を刺した。 
「大丈夫です、オレ酒飲めないから。コーラでべろんべろんに酔っ払えるんです」 
イイチロウさんもお姉さんも、ケタケタ笑っていた。 

その週末の寒い冬の夜に、息子が夜中に出歩くことを苦々しい顔で文句を言う母親を颯爽とかわしながら私は街へ走る。
古着屋のお兄さんやお姉さん達がやるライブなんて間違いなくお洒落な大人ばかりが集まるので、自分も出来る限りのお洒落をしなければならないという妙な脅迫観念に囚われ、結局、父親が持っていた渋いバーバリーのマフラーをぐるぐるに首に巻いての参戦である。 
お洒落とは値段では無い。高校生にバーバリーは似合わない。とんだ履き違えならぬ巻き違えである。 

チケットに書かれた場所に着くと、そこはライブハウスではなく、10席くらいのバーカウンターと形が全部バラバラのテーブルが6つくらい置いてあるレストランバーみたいなところで、 奥がちょっとした小上がりになっており、そこがステージになっていた。 
当然そういう店に足を運んだことがあるはずもなく、薄暗い店内にはそれこそ当時イケてるお兄さんお姉さん方が酒を片手に談笑していて、完全な場違い感を頭のてっぺんからつま先まで味わう。百貫デブの高校生が来るところでは無い。間違い無く。 
それでも、宣言どおり混じりっ気無しの本物のコーラを片手に、とにかく目立たない場所、でも、イイチロウさんのドラムは見えるところを何とか確保した。 

やがてステージがパッと明るくなり、ライブが始まった。 
小上がりに上がったイイチロウさんとお姉さんは、こないだ古着屋で合った時とはまた別のお洒落な衣装だった。 

ステージで音が鳴るまで、私は結局、 
イイチロウさんが本来はどんなジャンルのドラムをたたくのか、そして本当のところは、ドラムがうまいのか下手なのか、半信半疑だった。 
なんでもそうだが、自分で自分のことを下手だと謙遜する人に限ってだいたい上手い。おそらく上手い人なんだろう。でも、どのレベルで上手いのかが全く見当がつかなかった。 
本当にアホみたいな話だが、その時の私は妙な自信があった。私にとっては、長崎という田舎の狭い狭い小さな高校生バンドのコミュニティの中が「プロを除いた全世界」だった。自分より上手いドラマーなんてほんの一握りしかいないと本気で思っていた時だ。
アマチュアの大人のドラムをマジマジと見たことはなかったし、これでイイチロウさんが全然大したことなかったら、場違いだし、コーラを一気に流し込んですぐに帰ろうと思っていた。 


のちに思い返せばそのライブの最初の3曲は、キザイアジョーンズのコピーだった。 
キザイアジョーンズと言えばその時代は、ブルースとファンクを融合させて、聞く人の身体を自然とユラユラ動かす新進気鋭の若手実力派ミュージシャンみたいな存在。 
その頃に、キザイアジョーンズの曲を事もなげにかつかっこよく演奏するのだから、イイチロウさんのバンドは間違い無く実力があった。 
当然、私はキザイアジョーンズなんて知らなかった。聴いたことも、人が演奏するところを見たことが無いファンクというジャンルの音楽に、最初っから私は頭を持っていかれた。 

なんだこれ。 
すげぇ。かっこいい。この人たち、マジもんだ。 
場違いな場所に場違いな高校生がたたずむバーの隅っこで、私は、その場繕いの腕組みをほどき、 熱くなっていく身体に邪魔なバーバリーのマフラーをほどいた。 
人間、本当に驚くと腕なんか組んでいる余裕は無いのだ。 

3曲立て続けにキザイアジョーンズのコピーを演奏し終えたところでMCが入り、 ボーカルの人が声をあげた。 
「今度はこの人が歌いまーす!」 
うぇーい! 
「みんな大好き紅一点、コーラスのハルちゃんが、メインで歌っちゃいまーす!」 
うぇーい!
「歌詞がややうろ覚えらしいので、詰まったらみんな笑ってやってくださーい!」 
うぇーい! 
的なやり取りがあり、私はその時初めてお姉さんがハルちゃんという名前だと知る。 

イイチロウさんの8ビートに乗せて、のっけから力のある声でハルさんが歌い始めたのが、 UAの情熱だった。 
この曲を知る人なら何となくわかると思うが、 普通の平たいリズムとはやや異なる、ハネる(跳ねる)感じのグルーヴが独特な曲である。 
ベードラ(足で踏んで鳴らすセットの中では一番口径が大きい太鼓)を踏む感覚が、 これまでに私が聴いたり演奏したりするドラムとは絶妙な違いだった。 
私が知る小さな小さな世界の中では、ハネるという感覚を知らないので、どうやってその音が鳴っているのか、 
どうやってベードラを踏んで(鳴らして)いるのか、全然わからなかった。 

それでも曲はあっという間に演奏され、私に強烈なインパクトを残して終わった。 
そして、UAの情熱の不思議な8ビートをほぼ完璧に刻むイイチロウさんの実力に、心から平伏した。 
この人はガチだ、と。 

ライブが終わった後、魔法でも解けたように急に私は自分の場違い感を全身に再び感じたので、イイチロウさんに話しかけることさえせずに、また走って家に帰った。 
なんなんだあの人たち、何なんだイイチロウさん、そして、あの、ハルさんが歌っていた曲は、誰の何という曲で、あのドラムはどうやって叩くんだ。 
私の頭には、音と、かっこいい大人たちのパフォーマンスが、鮮明な映像で駆け巡っていた。 
走って走って血が全身を駆け巡る中に、さっきまで聞いて見た音や出来事が染み渡っていった。バーバリーのマフラーはそのレストランバーに忘れてきた。 

翌日の昼に、古着屋にカチコミでもかけるかのように、私はイイチロウさんに詰め寄った。兄さんあんた何者だ!と。 
「そんなに大げさじゃないよ、自分では全然まだまだだと思ってる」 
自分より下の少年からそんなテンションで詰め寄られたからか、若干ドヤ感が入った顔で、 イイチロウさんはゆっくりとドラムについて色々と話をしてくれた。 
そして、肝心なことを聞かなければならない。

「あの4曲目、ハルさんが歌っていた曲、あれ、あれは何なんですか?誰の曲なんですか?」 
「あー、えー、あん、えーと、あれ、誰だっけ、んーと・・・・確か、ユーエー」 
「ユーエー?」 
「そうそうそう、アルファベットのUとAで、ユーエー」 
「へええええ、そんな人がいるんですね、知らなかったです」 
「うん、オレも本当のところ、よく知らない」 
「曲名は?」 
「あーごめんわかんないははは」 

「ユーエーじゃなくて、ウーアよ」 
ハルさんがニヤニヤしながら割り込んできた。 

「ウーアの情熱という曲。最近の人。大阪の人」 
「わかんねぇよ、UとAでウーアって読むかね普通」 
「ユーエーでもウーアでもどっちでもいいです、あれ、どうやって叩いてるんですか?」 
「えー?どうやってってそりゃ、勢いよ勢い。気合と根性ね」 
「あんたなんでもかんでも全部勢いって言うじゃん、ちゃんと教えてあげなよ(笑)」 
そこで初めて私はイイチロウさんから、「ハネる」というグルーヴを学ぶ。 

それから1週間くらい、学校帰りにスティックを持ち込んで古着屋に通い詰めた。 
結局、私はその古着屋に一銭も金を落としていない。 
それでも、奥のレジの隣りに2つ椅子を持ってきてくれて、イイチロウさんはシャドー(エアドラム)でハネるグルーヴを教えてくれた。 
営業中にも関わらず、嫌な顔一つせず丁寧に教えてくれた。 
ハルさんは、情熱の音源をカセットテープに落としてプレゼントしてくれた。 
そもそも私が長年敬愛するUAとの最初の出会いは、イイチロウさんとハルさんからもたらせれたものだ。 
あの時、案外論理的で一つ一つ細かく区切って教えてくれるイイチロウさんには、今でも感謝しかない。 
イイチロウさんの勢いや気合と根性は、言葉とは裏腹に、とてもきめ細やかで優しかった。 

あらかたシャドーで感覚を掴んだ私は、小遣い銭全てを投げ打って毎日1人でスタジオに入り、UAの情熱のビートをとにかく刻みまくった。 
初めて手に豆じゃなくて「血豆」が出来たのもその時で、ドラム用に履いていた靴はボロボロになった。 

2週間くらい経って、やっとそれなりのカタチのドラムになった。 
オカズ(ブレイク)の部分はともかく、8ビートはほぼ音源通りにコピー出来た。 
自分のドラムをスタジオで録音したカセットテープを持って、 私は古着屋へと走った。 

「あ、ハルさんこんちわ!!あら、イイチロウさんは今日はお休みですか?」 
その時のハルさんの顔は忘れられない。 
生気が無いとはまさにあの顔で、あんな顔した人が古着屋の店員をやってはダメだろうというような、今にもいなくなりそうな顔をしていた。 

ここは長崎弁で書く。 

「あのね、おらんくなったとよ。5日前に。家ば出ていったとさ」 
「はぁぁぁぁ!?」 
「・・・・」 
「・・・・えぇ・・・・?どうして・・・・?」 
「・・・・」 
「どこに行ったかわかっとっとですか?」 
「・・・・、たぶん、東京」 
「東京!?」 

聞くと、 
イイチロウさんは、2日連続で古着屋を無断欠勤し、アパートに電話しても繋がらず、さすがにおかしいと思った古着屋のオーナーがアパートに赴き、人が住んでいる気配が無いことを知り、アパートの不動産屋を訪ねてみると、 すでに引き払って出ていってしまった後だったそうだ。 
当然、当時は携帯電話なんて一部の金持ちしか持てなかったので、連絡を取る術がなく、行方知らずになってしまったらしい。 
どうもこれは計画的だったようで、イイチロウさんは堂々と不動産屋に退去手続きをしてから引っ越していた。 
手続きな退去日から1ヶ月前だとすると、私が桃の缶詰で出来たミニチュアドラムを目にしていた時にはもう、 
イイチロウさんはすでに長崎を出る決心をしていたということになる。 

「ずっと、こんまんまじゃだめ、前に進まんばだめ、って、本人は言いよったとさ・・・」 
「はぁ・・・」 
「東京に行かんばだめ、長崎におっても、どげんもならんって」 
「まぁ・・・そげんもんですかね・・・」 
「言い出したら聞かん性格やったけんがさ、どげんしようも無かたいね・・・・」 

生返事しか出来ない私は、ハルさんが、イイチロウさんと付き合っていたか、好きだったか、どちらかであることはわかった。 
男に置いてけぼりにされた女の目というのはこんなにも寂しげで切ないもので、あんなにパワフルな声で歌うハルさんのその時の声は無機質な小さな音でしかなくて、クソガキなりに身につまされる思いだった。長い沈黙に耐え切れず、とても残念ですとだけ言って、私は古着屋を出た。 

もちろんその後、イイチロウさんには会っていない。 
もし著名なドラマーになっていれば耳に入るはずだが、 
今でもそういう話は聞かない。どこかで、ひょっとしたら東京というこの街で、今でもドラムを叩いていらっしゃるのだろうか。 
少しでも、音楽に関わっているのだろうか。  
私は、自分の記憶の映像に残っているイイチロウさんを、最後まで超えることは出来なかった。

大学3回生の時実家に帰省した際に、ハルさんと最後の会話をして以来、初めてその古着屋に行ってみたが、違う店に変わってしまっていた。 
行ってみた理由は、ちょうどその時大学の軽音サークルで組んでいたバンドで情熱をコピーしていたからだ。サークルのバンドなんて遊びみたいなもんだ。でもこの曲だけは、他のメンバーに、とかくクオリティを求めた。 
あの寒い冬の夜の、イイチロウさんとハルさんのバンドに、少しでも近づくために。 

街中でいきなり思うがままに歌いだすと職務質問を食らいかねないので、 
出来るだけ低い声、そして小さな声で、 
とぼとぼ歩きながら、レンガ調の路地に向かって、歌う。 


きっと涙は 音も無く 流れるけれど 赤裸々に 
頬を濡らし 心まで 溶かし始める 
壊れるくらい 抱きしめて ほしかったけど  
せつなさに さらわれて 冗談が やけに虚しい 


私にとって大事な、思い出深い歌だが、 
これはそれ以上に、とてつもなく、イイチロウさんとハルさん、二人の歌である。 

UA/情熱