先日新宿柿傳さまにて茶事のお稽古をさせて頂きました。
席中はマスク着用、お点前水屋方はフェイスシールドにマスク、
全てのお料理は銘々にお出しして取り回しはなし、
アルコールは各所に用意して…
と考えられる全ての注意を払っての開催でした。
濃茶の回し飲みはしない、
お料理はもちろん普段のお稽古でもお菓子器を回さないようにお1人ずつに銘々に盛って、
花月もお茶碗を共有するので控える、
お茶碗は熱湯消毒、茶巾もアルコールに浸けて…
など今までお稽古で当たり前にしていたことを見直さなくてはならない毎日が続いております。
ですが、お稽古を再開しましてからお弟子さん生徒ちゃんから異口同音に聞こえてくるのは
やっぱりお茶は素晴らしいです
やっぱりお稽古に来て良かった
ということ。嬉しいことばです。
人は努力に対する結果を求めがちです。
お金を得たい、試験に合格したい、人に認められたい、
それが心の自由を奪っているのかもしれません。
成果を期待すること、もっともっとと願うことは心を縛ってしまうからです。
一方でただひたすらに何かをする、というのは
何かすることが目的ですから気持ちは自由なのです。
何ものにも縛られることはありません。
私は茶道のお稽古をしていると、
ときに心が空っぽになり自分がお茶を点てていることを忘れていることがあります。
そんな瞬間があることを体験できるからこそ茶道のお稽古は素晴らしいのかしらと思います。
茶道は自由を得られると申しましたが、
茶道は厳しい決まり規則があり、点前をするということは体の自由を奪われるということです。
出来ることは呼吸と身を正してお茶を点てることのみ。すると逆に自由になる。
約束事のない世界ではあれもこれもと囚われますが、
何もできなければ心は自由。
利休も仰っていらっしゃいますが、お茶はただひたすらにお茶を点てること。
何にも囚われず、何も期待せず、ひたすらお茶を点てる。
姿勢を正して呼吸を深くしてお茶を点てると自然に心が穏やかになります。
お稽古にいらしてくださる皆さんもきっとそのことに気が付いて下さっているのだと
嬉しくお感じ致しました。