NHKの放送、
瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する 蓑輪顕量先生(東京大学)
の番組を、自分の勉強のために、まとめてみました。
なぜそこまで宗教が大きくなっていくのか?
なぜ仏教は受け入れられたのか?
中国で仏教を広げた3人のキーパーソン
仏典翻訳の先駆者、安世高(あんせいこう・2世紀)パルティア出身(古代イラン)
太子として生まれる。父王を無くした後、王位を譲り出家。
インドから伝わった仏典を最初期に中国語訳された最初期の方。
瞑想に関する経典を多く翻訳した。
安般守意経(あんぱんしゅいきょう)安般=入る息、出る息。
守意=心をひとつのものにとどめる。=ブッダの瞑想(念処・ねんじょ)
注意を振り向けしっかりと把握する(念処)呼吸などをしっかりと把握する瞑想の経典。
念処を守意と訳す。
老荘思想=老子と荘子の思想をまとめたもの、古代中国で儒教と並び広まっていたもの。
老荘の行った言葉の中に守一(しゅいつ)という言葉が出てきます。
守意が守一を連想させる、守意を使う。
安般守意経など翻訳をすることで、受け入れやすくするためにハードルを下げた。
老荘思想の根幹には、道(たお)という理念がある。
道は、世界が始まる前の状態。姿形は無く、絶対的で普遍的なものとされます。道から世界が生まれる時、最初に生じるのが一(万物の礎)。
一を守ること、すなわち、守一を中国の人々は、重んじていました。
最初に用いた訳語が人々に敬意や親しみを持って受け入れられたことがのちに中国で仏教が広まった確かな足がかりとなりました。
儒教思想は、現実世界の人間関係を大事にする教え(処世術)(政治思想)
政治思想は、時と場合によっては争いが起き、敵に攻められて町全体がやかれてしまうと何も残らなくなってしまう。
それに変わり、変わらない何かを求める思想運動が起きる。それが老荘思想である。
老荘思想の中には、『根源的な何か』が、私たちの見ている世界の向こう側に存在していると考え、それを『道』という言葉で表現した。
真実を求めていく所が、仏教が求めるものと共通すると考えられた。
なぜ仏教の瞑想を翻訳したのか?
安世高は、悩みや苦しみを超えていく道というのを故郷にいる時に学んでいた。おそらくそれは、地域を越えて時代を超えて共通するものなので、それを中国にも伝えようと思ったのではないか。
仏教にとって重要な瞑想の具体的なノウハウを最初に伝え中国の人たちに身近なものとして受け止めてもらえるようにした。
次回へつづく
最後まで読んでいただきありがとうございました
みなさまに幸がありますように
~ステキな1日を~