第9章 「葛藤…死の恐怖」序 | 獏井獏山のブログ

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・私はこれまで数え切れないほど楽しい思いをして生きてきた。今ある自分を守って下さった神仏や人々に尽きない深謝の気持を抱いている。しかし人生、楽しいことばかりではない。

・嘗て「死の恐怖」を経験したことが4度ある。それは「諦め」と「死から逃れるための(もが)き」との葛藤だった。それは「一瞬に襲い掛かり一瞬に霧散した呆気ない出来事」ではあるが、今でも思い出す度に背筋が寒くなる程ゾッとする。

・今日までの来し方を振り返ると身の危険には何度となく遭遇している。

例えば、小学生の頃、家の近くで遊んでいる時に真後ろに居た幼い子が投げた直径5~6㎝の石塊が頭に命中し痛さと流れる血を見て青ざめ村のお医者さんにイガグリ頭の一部を剃られて失神しかけたこと。村の子供達に混じって溜池に入ったが余り泳げなかったので、樋門から土手側に向って起立の状態で飛び込み、護岸用のコンクリートに頭を打ち付けて出血したこと。体育の授業で砲丸投げをしていた時、他の生徒が投げた砲丸が、しゃがんだ私の頭すれすれを越えたこと。(当たっていればどうなっていたか。)高校時代、台地にあった校舎から一般道までの約30メートルの急な坂道を自転車で下って、ブレーキが利かないことに気付いた時は時速20キロ以上のスピードが出ていた。そのまま坂下の正面にある民家のブロック塀に突き当たってはお陀仏なので瞬時に決心して坂途中の右下にある落差2m余りの田圃に自ら突っ込んで一命を取り止めたこと。(その時の衝撃でペダルのアームが曲がってしまった。)、また「テーマ・酒」で記した出来事…(大酒喰らって雪上で居眠った事。急性肝炎なのに強心剤の注射をされたこと。真夜中に酔った勢いでガソリンスタンドに乗り入れチェーンに引っ掛かって転びコンクリート面に横倒しになった事(翌日調べたら10㎝横に鉄杭が突き出ていた)。都会の明るいタイル張りの歩道で躓いて顔面打ちをして失神し血塗れになり前歯3本折ったこと。暗闇で階段を踏み外して路面で顎を打った事。(一ヶ月ほど顎の付け根が傷んだが、若しあの時すぐに転ばずに蹈鞴(たたら)を踏んでいたら道路の反対側にある植え込み用の石垣で頭を打っていたかも知れない。)…など今でもはっきり覚えている。……薄らと覚えている事も入れればまだまだある。しかし、これらは出来事の瞬間を通り越した後で「なぜあんな目に遇ったのだろう。」とか「なぜあんな事をしでかしたのだろう。」と悔しがったり、反面「取り替えしの付かない大事に至らず良かった。」とホッとした事々に過ぎない。

・そんな事より、心底から怖かったのは「もう駄目だ、死ぬかもしれない。」という恐怖と向きあった瞬間である。自分を地獄に引きずり込もうとする魔物を撥ね退けて逃れるための懸命な踠きを強いられた自分自身の姿である。(続く)