趣味㊳ 「競馬」(6)…馬券作戦 | 獏井獏山のブログ

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・友人に誘われて京都淀の京都競馬場に行き、初めて競馬を目の当たりにしてから数年も経たないうちに、月に1度は京都競馬場や兵庫仁川の阪神競馬場へ足を運ぶ程の競馬ファンになっていた。

・初めのうちは若い馬の中で将来の名馬はどれだろう、ということに関心があったが、競馬に嵌ってくると当然のことながら目の前の馬券の当り外れに気持が集中し、次のレースに於いてどの馬が当たり馬券の対象になるのかということだけが頭を占めることになる。名馬…即ち、潜在能力の見透しが馬券の敵中に繋がってくるのだ。

 私は、1着馬の「勝っ振り」、強いと思っていたのに負けた馬についてはその「負けっ振り」(騎手の乗り方で実力出し切れなかったのではないか?)等をメモしては次回のレースの参考にして馬券を買ったが、差し引きでは今夜飲む筈の酒手がパーとなる結果ばかりだった。

 これではいけない。行き当たりばったりで、偶然1つのレースで見た馬の評価をしていても正解に繋がらない。となると、やはり継続的に全ての新馬レースを対象にしたデータ整理をする必要があると考えた。…が、評価基準をどうするか、迷い出すと頭がこんがらがってきた。そんな時、書店で見つけたのが大橋巨泉・著「巨泉の競馬」という題の本(確かそんな題だったと思う)である。

・この本に書かれているポイントは「3歳馬(今の2歳馬)は思いっきり走る」ということである。特に初出走か2走目くらいまでは、調教師も騎手も馬が生まれながらに備えた能力を見極めるため、ゲートが開くと同時に突っ走っても抑えることはしないで()馬の好きに任せて思い切り走らせる、というのだ。だから初勝利で2着馬を()っ千切って大勝した馬は豊かな潜在能力を持つ、と判断してよし、という論理が展開されていた。

 馬が何走か経験してから調教師や騎手が脚質を見抜けば、以後は「先行策」を取るか「追込み策」を取るかを決めてレースに臨むことになる。)

・「なるほど」と思った私は次の年の新馬戦が始まる夏競馬から、初勝利を挙げた全ての3歳馬(今の2歳馬)の成績を見るために「週刊競馬ブック」を買って、2着馬に5馬身以上の差を付けて勝ち上がった馬の名をノートにメモし始めた。基準は初勝利で2着馬に5馬身差あれば90点、6~7馬身差で95点、8馬身以上は100点の評価点を書き込み、以後、その馬の5走までの成績をメモって修正し、最終的な評価点を決めることにしたのである。(4馬身以下は記帳しない。)

・こうと決めたら躊躇はしない。評価を始めた時から、90点以上の馬が出走するレースだけに絞って「単勝」と「複勝」を買い始めた。考え方は「単勝」を的中させて儲けるのが主で、「複勝」は「単勝」が外れても元金を確保するための安全弁である。選んだ馬が本命になった場合は「単勝」でも2倍前後、「複勝」なら1.11.2倍しか付かないが、90点以上の馬でも人気が低くて「単勝」5倍以上、「複勝」で2倍以上も付く場合が少なからずあるのだ。勿論、4着以下なら全てパーとなる。危険も伴うがこの買い方が成功を納めたのである。

・外れることもあるが3着までには8割り方入った。1着に入って数万円を手にした事もある。自信を得て徐々に賭け金を増やしていき面白いほど的中して月給以上の儲けが2か月ほど続いた。しかし人間、調子に乗るとその先には必ず落とし穴が待っている。…欲が出たのだ。

・この2カ月間に的中したレースの着順と配当をつぶさに調べて見ると「或る事」が分かった。それは「100点の馬」と「90点の馬」が共に出ているレースをピックアップしてみた所、3着までに入った割合が殆ど変わらず、払戻金は90点の馬の方が平均して高い、という結果だった。しかも半数以上が倍以上の配当が付いているのだ。そこで新たに決めた馬券の購入方法では「90点の馬の複勝買い(単は買わない)」である。掛け金を少し増やすだけで、計算上は前2か月に得たのと同等の儲けになることが分かったのだ。「よし、これで行こう。それに複勝だけの方が確実性が高かろう。」と踏んで賭け金も5割増しにして買い始めた。しかし、良い事ばかり続かないのが人生だ。次の月も、その次の月も外れに外れた。見ると同じレースに走った95~100点馬は着実に3着までに入着していたのだ。…この2か月で先の2か月に儲けた以上の損失となった。

・その後は、着実に最高評価点の馬を複勝で買うことにしたが、これだと平均約1.2倍の配当率なので勝っても儲けが少なく緊張感が薄れ面白味も無くなってきた。しかも1回外れると取り返すのに5回的中しなければならないというマイナス意識が高じて態々馬券を買うため毎週のように競馬場や場外馬券売り場に足を運ぶことが億劫になって止めた。また4~5年続けた3歳馬のレース結果メモ作りも何時しかしなくなっていた。その理由…どうも調教師や騎手の作戦が「馬の好きに走り放題」ではなく新馬戦から馬の脚質を早期に把握するため、調教段階で「脚質重視」の乗り方になってきているように思え、「大差勝ち」が必ずしも大器の片鱗を表していない気がしたので「巨泉の競馬」方式は止めにしたのだ。

・しかし競馬を完全に止めた訳ではない。毎日曜日の午後3時からテレビ放映される競馬の実況は見逃したことがないし、若駒のクラシックレースを初め、天皇賞などG1レースを中心に大レースの3連複馬券を少々と、百円で2億円をゲット出来る「WIN5」を数点ネットで購入して楽しんでいる。…若い馬のレースを見る目にも変化が起こった。無欲で見ていると何だか馬の素質が見えてくるような気がした。例えば、シンボリルドルフ(1983~1986)が皐月賞で勝った時、力まずしなやかな走りを見て「この馬は三冠馬になるな。」と予測した時のように名馬探しの夢を追いつつ専らテレビで競馬を鑑賞している。   (「競馬」完)