ご訪問
ありがとう
ございます。
昨日のblogに
たくさんの
励ましの
コメントと
メッセージを
頂き。
ありがとう
ございました。
市長にお礼の
コメントを入れたら
「いつも、食べています。
美味しいです。」
との返信が届き
感謝です。
ある人に
「あなたは一生
子供の事で
泣きながら
暮らすのね、。」
と同情の涙を
流されて
云われた事
があります。
この境遇からは
抜け出る事は
出来ないし
「自分が親である
為に子供に
辛い思いをさせた。」
と云う思いと
罪悪感もあります。
抜けれないなら
その状況で、
どう生きて行くのか
どうすれば
良いのか、今でも
模索しながら
どん底に
落ちては這い上が
る状況です。
頼りない親ですが
なんとか頑張って
くれる息子達に
感謝しか
ありません。
さっちゃんの話し
保育園の時に
仲良しのさっちゃん
と言う友達がいた。
さっちゃんの
家に遊び行き
年の離れた
お姉さんに遊んで
もらうこともあった。
小学校2年生の頃
さっちゃんが
クラスから
別の教室に異動に
なる。
○○学級へ
(○○とは教室の
受け持ちの先生
の名前)
その教室とは
特別学級。
今で云う、
支援教室である。
彼女は障害者
だったのだ。
私は子供だから
分からなかった。
クラスを離れ
下校時間の
挨拶の時だけ
クラスに来た。
当時は教師で
も偏見の目で
見る者がいた。
特別学級の
先生は優しい
先生で生徒に
人気があった。
だから
彼女に優しく
接してくれた。
毎日ではないが
たまに一緒に
帰った。
雨の降るある日
一緒に
歩いていたら
後ろから小石を
投げられた。
腹が立つ事に
その、ひとりが
寺の息子、
3歳の時から
私と一緒に
保育園で育った
幼馴染だ。
奴は
生まれながらの
お調子者で
知能犯。
怒って
注意しても駄目
次の日に
先生に言ったが
軽く注意のみで
お咎めがない。
えっ
当時、なんで
道徳の授業が
あるの?
先生方
なにを教えて
いるの?
先生からして
偏見の
目だもんね。
これは
役に立たない
お飾りの授業
なのかもれない。
その後、
彼女は他の
養護学校に
転校した。
何十年も
逢うこともなく。
一昨年、
ある場所で
彼女のお母さん
に声を掛けられた。
私の事を良く
覚えていて
くれていた。
嬉しかったが
彼女は、私が
誰かは
分からない。
仕方ない当然だ。
お母さん、つまり
おばさんは
当たり前だが
年老いておられた。
おそらく90歳
ぐらいだと思う。
おばさんの姿を
見て私は
ある障害者
施設に見学に行った
時の事が
頭に浮かんだ。
色々な障害者の
方がおられる。
若い頃に入所され
施設で暮らし、
土日、祝祭日に
親が迎えに来て
家に連れて帰る
そうだ。
だが次第に
親が年老いて
送り迎えが
困難になる。
年々
家に外泊できない
方が増えて
いるそうだ。
面会の回数も
少なくなっている
そうだ。
家庭の問題なので
施設としても
どうしてやる
ことも出来ない。
胸が痛いと
施設長が
言われた。
いつまでも
親は若くない
施設に預かって
もらっているが
心配はつきない
であろう。
これからの
自分達と重なる
部分もある。
さっちゃんは
今、自宅から通い
支援センター
で作業している。
優しいお母さんも
高齢になり
娘の先行き
を心配されて
後の事を
福祉関係者と
相談されている
のだろう。
親が年老いても
子供の事を
心配し続ける
いたたまれない
気持になるので
ある。
どうか、おばさん
お身体を大切に
して欲しい。
老化は
どうしょうも
ない事だけど、
昔から
甘えん坊の
さっちゃんには
いつも、
見守ってくれる
大好きな
優しいお母さん
である、
おばさんしか
いないのです。
彼女の他にも
障害者の子の
いる母子家庭
があります。
その子が奇声を
出すから変だ。
行動がおかしい
から変だと
偏見の目で
見る人から
その子の
お母さんは
必死で我が子
を守っています。
お願いです。
偏見の目で
見ないで欲しい。
同じ人間なのです。

