実家の荷物を整理していた時に見つけた冊子

私の小学6年生の時にPTAとして保護者と先生方が制作

してくれた、戦争体験記です。

34名の保護者・先生の戦争体験記が書かれていて、その中で

私の母も執筆していました。

すべて、手書きです。

 

40年前のもの。

 

その時じっくり読んでませんでしたが、私も3人の母となって

そして母を亡くして、この冊子を終戦記念日の読むなんて

母からの贈り物、そして孫たちにも伝えたい平和への願いと

思えています。

 

母の執筆した内容だけ、残しておきたく、こちらに紹介いたします。

よければお読みください。

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疎開の思い出

 

私はサハリン(旧樺太)で生まれました。

子供の頃、夏や山へフレップ(ぶどう)を採りに行ったり、

川で大きな魚を釣ったり、冬は犬ぞりを走りらせて遊んだ

数々の楽しい想い出のある土地です。

現在はソビエト連邦の領土となっています。

 

太平洋戦争も日本軍の敗退が各全戦で始まり、

終期近くソビエト連邦の参戦によりサハリンも空襲が

激しくなって来て、日本人たちの内地引き揚げが始まりました。

 

ソビエト軍によるサハリン占領の情報が流れ、

我先に内地に疎開する大勢の人たちと、私たち家族も日本軍の

用意した貨物列車に乗せられました。

人と人の間にはさまれ、身動きひとつできない状態でした。

途中何度もソビエト軍飛行機による空襲を受け、その度列車の下に

かくれる繰り返しで、大勢の人々の命が亡くなりました。

今考えると、どうして生きられたのか不思議です。

 

やっとの思いで港に到着し青森行き第1便貨物船に乗る手はずでしたが、

姉が迷子になり、父が探すのに時間がかかり、

1便には乗れず2便に乗ることになりましたが、子供婦女子が優先で、

父だけが乗ることが出来ませんでした。

 

船内での連絡で、第一便は海上でソビエト軍に襲撃され

沈没したそうでした。

私たちの乗っている船も、同じ運命かと思うと不安の一夜でした。

姉が迷子になったことが結果的には命拾いをしました。

 

父はソビエト軍の捕虜となりすぐには帰ってきませんでした。

 

私たちは北海道の母の実感に身を寄せましたが、

大変な苦労でした。

食べるものがなく何度空腹に耐えられず泣いたことがあったかしれません。

 

約3年後、父が帰ってきました。

死んだかもしれないと思っていた父の姿を見て、本当に嬉しく思いました。

 

もう、35年も前の思い出です。

 

自分の子どもには、絶対経験させたくない、二度と自分も味わいたくない。

戦争は絶対してならない、そんな気持ちです。

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今こうして、私のいのちが生まれてきたこと、生きていることは奇跡の連続

これまで生きてきた人たちのいのちがこうして

繋がっているからこそだと思えると

唯一無二のこのいのちを、大切に生きていきたい

 

子どもたちが健やかに幸せに生きていけるためにも

平和な社会であることに貢献したいと

母が遺してくれた戦争体験記を読んで強く思う8月15日です。

 

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