実は先月26日の夕方に母が息を引き取りました。

前日、次男と合格したらみんなでおばあちゃんに報告にいこうねと話していたばかり。

27日の合格発表を待って、まずは次男と私だけ先に母の元へ駆けつけました。

合格の喜びの後の悲しみ。次男も大泣きでした。長男も三男も大号泣…28日に、葬儀を終えました。

 

暮れに帰った時、なんとなく2月に別れが来るような予感はしていましたが、

母らしく2月で終えて、3月から新年度の準備をしなさいということだったのでしょうか。

いつかこの日が来ると分かっていても本当に悲しいものなのだと、今、しみじみと感じています。


母は本当にいつも凛として強く曲がったことが大嫌いで、弱い人を放っておけない人でした。

何かをされたらすぐにお礼をする、そしてそれも10倍返しくらいで…

よくしゃべり、喜怒哀楽も激しく、とてもおしゃれな人でした。

お花や料理、編み物、フォークダンスも習い

私が大きくなってから在宅でタイピストの仕事もしながら育ててくれました。

常に学びチャレンジしていた母でした。


そんな母が難病になり、私の自宅で父と母を呼んで一緒に暮らした1年は、

子ども達にとっても良かったと思ってます。私にとっても宝物の時間です。

私のことだけが娘だと分からない認知症の症状もあり、ショックでしたが、

やはり自宅に帰りたいと茨城の自宅へ帰ってからは、

はっきり私を娘だと認識できるようになり不思議でした。

入院して寝たきりになって気管切開して声がでなくても、頭は本当にしっかりしていました。

 

月に1度は病院へいくようにしていましたが、行くたびに母の手や足、顔に触れ、

また母から力をもらっての仕事と子育ての日々。

どんな姿になっても、生きていてくれるから、このあたたかさに触れることができるんだと思うと、

人は存在しているだけで誰かを勇気づけるのだと教えてもらいました。


入院して8年。父は毎日病室へいき、母の手や足をマッサージしてました。

こんなに愛されている奥さんはいないんじゃないかと思ってます。

きっと父と母にとって愛し愛されることを確認しあう大切な時間だったのだと思います。

父も本当に長い間、母のことを支えてくれて感謝と尊敬の念しかありません。

8つ年上の姉さん女房。

父と母が結婚してくれて、そして私を産み育ててくれてありがとうと、

いっぱい、いっぱい泣きました。


母は、自分がこの世を卒業する時期を自分で選んだとしか思えません。

すべてのことが整って、みんなのことを考えて…私もちょうど研修や講演がなく週。

父もその日は仕事が休みで、父に見守られながら眠るように旅立ったと…。

本当に安らかな顔でした。


子ども達は初めての経験でしたが、涙しながら、こうして人は肉体から姿を変えていくこと、

命のことを、学んだのではないかと思います。
小さくなった母を抱きしめて、自宅へ連れて帰り、本当にお母さん、ありがとう、みんなのためにがんばってくれて…と。


母に導かれて、今こうして起業して仕事をしているとしか思えず、

講演や研修で私の自己紹介ストーリーの中に母のことをいつも入れて話をしてきました。

会ったことがない方も母を想って下さる方もいて、嬉しく思ってました。


この写真はいつもPCのデスクトップに置いていた写真。

この日のことは3歳でしたがハッキリと、母の膝、手の感触まで覚えています。

残るのは、想い出なのですね。

病気になる前の母と父のこの写真は大好きな写真です。


母が大切に産み育ててくれた私の命を、大切にして「愛して、学んで、仕事をする」在り方を

自分の命を通じて教えてくれた母に感謝して、また前進していきます。

 

涙が溢れますが、自分の気持ちの整理と、母を想って下さった皆さんへ感謝の想いを込めて、

長文になりましたがご報告いたします。

お読みいただいてありがとうございました。