1.年老いた多くの人が病院通いをしている地域(国、地方)というのは、日々頭を働かせるための下地が不穏で、摂取するものも、その殆どが不健康なものであるということを伝える。つまりそこでは、価値観(常識)も食事も、人との交流の在り方も皆、不健全であるということ。病人の多い地域からは、人間が学ぶものは何も無い。

 

2.分子という姿が成される時、そこで原子同士を結び付けるのは、ある特殊な(次元の)磁気で、それによって、その分子は、磁気物質化する。その磁気が天体規模で一気に地球に入り込んだことでおかしなことになってしまった、この4百数十万年間の、地球時間。消磁(磁気消失)という次元が初めて動き出したこの現代は、ここからの数百万年間を全く違うものにする、地球本来の原因(望み)である。

 

3.LED照明という、空間の無生命化を促す放射線光によって、いつまでも抑え込み続けられるはずの本質・本性が、図らずも隠せなくなってしまった。偽善・偽装に長けていた存在の真似をすることでどうにか維持できていた(人間としての)健全な感性も、気づけば無くなってしまった。人間らしさの質を、後戻り出来ない程低下させてしまった嘘の人間たちは、その当然の結果として、非生命を支える黒で身をまとい、動物食に走る。

 

4.スマホとの時間は、体験しながら手にする生きた知識を外し、自然と育まれる一生命としての感性を遠ざける。いつしかその脳内では、肌で感じ、身体(目や耳)が反応する際に動こうとする神経が鈍り、状況に応じた柔軟な対応(姿勢)や判断力も、大幅に低下してしまう。それは、見方を換えれば、自然界のリズムから大きくかけ離れてしまうということ。

山や海、川での災難や、車の運転や機械の操作時の事故は、その元を辿れば、かなりの割合で、スマホがその原因に関わる。危機を前にして、スマホ脳では、何も出来ない。

 

5.ウィルス対策(コロナ感染の予防)が講じられた時、その手前からすでに、友人たちはそこから遠くに居て、何も知らなくても普通で居られる健康・健全の原因の時を、自然体で過ごす。そして、気づけば、騒ぎは終わり、異様な時は後方へと退く。

自然免疫とありのままの健康は、人間にとって、普通に大切にされるもの。接種もマスクも、周りでは誰も無縁だった。存在としての責任を思う。

 

6.相手が自分に望む姿が、さりげなく自然と表現できるものであれば、相手のために生きることは、そのまま自分のためのそれとなり、自分らしく生きることは、それだけで相手を生かし、その人らしさを応援することになる。

人との繋がりとは、そういうもの。そこに何人居ても、その基本は変わらない。人は自分。みんなも自分。

 

7.LEDライトの底無しの恐ろしさは、地球の気持ちになれば、直ぐにでも分かる。ところが、地球のことは考えられても、地球の気持ちにはなれない人が、個人的な欲の具現を応援するLEDを、好んでは止まない。

磁気漬けにされても、しぶとく回り続ける地球に対して、この現代に始まった、人間の本質的特性のその背景となる場所(次元)からの発信と、きめ細かなサポート。それが意味するのは、地球がどれ程タフでも、宇宙空間で幅を利かせる、その磁気粒子と同次・同質のLEDには、かなわないということ。

LED空間を支える数の力と感性の無さは、地球の生命力を奪おうとする側にとっては、格好の道具。じゃあ、どうする?蛍光灯と太陽からの手紙を持って、LED光の発信元(実家)に、話し合いに行く(?)。

 

8.素朴さと一人間としての普通感覚は、平和と健康のために何が必要かという考えを持つまでもなく、そうであるべく自分(原因)を大切に生きる。それでももし、平和のために戦争の悲惨さを世に伝えるとすれば、1945年の5月を思う。世界は、日本に対して、(ドイツに続いて)当然降伏するであろうそのことを期待していた。未来のために、命を大事に、それまでのことを見つめて欲しいと…。

そして、この現代の全ての原点となる、その年の9月を思う。世界がやっと安堵するその時(9/02)、この地での人間らしさの体験が、歴史上初めて始まる。平和は、争い(戦争)の対意の位置にあるわけではない。そうである原因を確かにするために、かつての無くてもいい負の原因をさらりと見る。その余裕が、平和を愛する想いの、その力となる。

 

9.人として有ってはならない現実の、その原因となる部分を様々に言葉にして来た、これまで。人間であれば、それを無視できず、人間でいようとすれば、それとの重なりを実践し、生き直しを選択する。

本来であれば無くてもいい現実というのは、そこでの問題事も病気も、生の在り様も皆、演技(嘘)であるということ。人間は、嘘の世界にゲームとして参加することは出来ても、それを本当として生きることは出来ない。真の普通を無視し続けるという負の原因づくりに呼応する未来は無い。

 

10.着実に消磁の力を育んでいた地球は、その間の太陽の元気を促しつつ、天候の中身を変えてしまう程の意思表現を形にする。この列島内の空気は、2023年後半頃から、それまでとは大きく質を違えるものとなり、地上近くの熱感等を通して、具現化されるであろう地球の望みは、力強さを見せる。

ある磁気物質の作用を通して、その力を知ることは出来ても、磁気そのものの無限の性質には、人間の経験は触れられない。それが消磁という次元となれば、尚更のこと。何も分からず、何かが弱く、薄く、形無くなっていくであろうその世界に、人間の時間軸が招待される。

 

11.物質間の結合を支えていたある磁気源の粒子と、固体化の原点となる酸化物内の酸素が、炎の主な正体。それらがそこに有るうちは燃え続け、物質の崩壊と共に磁気は外れ、酸素と一緒に空中へと放出される(存在する次元を変える)。

磁気の消失は、燃焼時の物質の内実であるが、磁気が消失することで燃焼(発熱)するという、それまで無かった向きのベクトルが、経験の外側で動き出す。地上に居る人間は、磁気関わりの新たな次元(との重なり)を、その自覚も無く生き始める。

 

12.電車にはたくさんの人が乗っているのに、その殆どが、電車の中には居ない。カフェに行けば、何人もの人がそこには居るのに、その多くはカフェには居ない。聞こえてくる声は、神経に刺さる電子音のそれのようで、笑い声と笑った顔は、決して笑えない。足は地に付いているのに、その姿は、浮遊しているよう。ここはどこ?になる。人間の在り様のその性質を大きく変えて(低下させて)しまった、スマホ。未来が無くなるという話が、現実味を帯び出した。

 

13.LED照明は、それまで表には出て来なかったその人の正体のようなものを、表情に重ね出す。その空気感が、不気味な妖怪のようであったり、顔の無いのっぺらぼうのようであったりする人が増えているのは、そのため。LEDは、これまでの(人間の)次元には存在することの無かった、そこに光が有っても、真の光ではない、無生命化力の放射線光。当然それによって、脳も顔も変わる。人間は、それに自らを適応させつつ、確実に人間ではなくなっていく(内なる本質がそのままになっていく)。

 

14.簡単なことなのに、難しいようだから、言葉にする。その難しいことを、人生を通して学ぼうとするから、それはとても寂しいことだよ…と、その理由を書いてみる。人生のムダづかいなんて、して欲しくはないから、誰もが分かる言葉で、分かるように伝える。あとは、その人次第。但し、一度しかない。

 

15.太陽の光を遠ざけるようにして生きる人間は、そこにどんな理由が有るにせよ、その姿は、夜行性肉食動物と同然と言える。彼らにとっての光は、LED光で、自然界(地球と太陽)と融合する蛍光灯ではない。LED(スマホ)画面を見続けることで、より太陽から離れていられるそのことを、夜行性人間は何より嬉しい。人間のその本質には、昼行性と夜行性の、2通り有るということ。

 

16.固定され、動かなくなることで、変化を遠ざけ、動かなくても良いという、夜行性特有の歪な自由感を人は確保する。守られる感にもなるその状態は、全てを変化に乗せる太陽(の光)が元気だと、必須となる。黒い装いは、そのための最良の道具。その中で、変化とは無縁の開放感を、彼らは愉しむ。

 

17.何かにつけて責任を持ちたくないから、自ら選ぶという、人としての何でもない責任が、とても遠い。そんな人たちがこぞって群がる、スマホの世界。彼らには、一人間としての自分が無く、欲だかりの歪な自己だけが有る。だから、どんなことでも、形としての答え(情報、知識)を外に求めて上手く責任を外し、無責任という欲の基本燃料を増大させる。スマホ好きの人間に、生きる上での責任は無い。

 

18.LED照明による災いの中で最も顕著となるのは、人間とは思えない野蛮さと狡猾さ(凶悪さ、欲深さ)が、それによって回り出したこと。

LEDは、ここまで…というところにまでしつこく行き渡り、その光り具合の度数は、気が狂っているとしか思えない様を見せる。どこを見ても、見ようとしなくても、それは凶器のようにして全てを照らす。

そのことが意味するのは、LED照明自体が、病的な原因(背景)と病的な影響力を備えているということ。それが、暴れ出して、顕になったということ。気違いという言葉が、存在感を手にする。

 

19.変化とは無縁の形ばかりの正しさは、批判(非難)されたり、否定されると、妙な嬉しさを覚える。そのこと自体が、自分たちの影響下に在ることの現れだから、親近感も湧いてくる。

つくり物の正しさが怖れるのは、質の違いから、自分たちとは別のところに居る存在たち。正しさの次元が違うため、何も出来ない。

嘘の正しさという、初めからそこに有ってはならないものと、関わることはない。無くてもいい違和感の始まりは、質の違いからなる素朴な感覚。知識や思考(言動)の違いからのそれで有ってはならない。

 

20.LED関わりで人間が維持すべき姿勢は、その負の影響力に鈍感になってはならないこと。LED化によって引き起こされた、それまでは無かった、樹木や土(水)、建物や道路(歩道)などのその不自然な変わり様は、人間であれば、誰もが分かること。それが分からなくなる程、脳神経がLED化してしまっているとすれば、まずはLED照明を外すことから、それによる変化を体験する。LEDに鈍感になるというのは、一生命としての人間をやめてしまったということ。

 

21.ある種の人数が多い場合、みんながそうだからと、それは特別視されない。普通ではあり得ない性質のものがそこに有ったとしても、それに違和感を覚える人は少ないから、病名が付くこともない。

電車やバスの中で、多くの人が皆同じ格好で、スマホに向かう。近くに席を譲るべき人が来ても、そのことに意識は向かない。降りる駅に着けば、スマホを持ったまま自分だけの世界に浸りつつ、乗ってくる人のことを考えずに降りる。イヤホンまで付けているから、周りのことはどうでもいい。

それは、精神異常という状態(病気)。なのに、みんながそうだから、まともな人がおかしく思われてしまう。精神異常というのは、人間の基本が確実に崩壊しているということ。でも、数が多いから、‘だから何なの?’となる。

 

22.差別心を生きる力とする人の喜びは、人の不幸と自分だけの利益。儀式や行事に黒を着るのは、その本性の現れ。みんながそうであればそれも分からなくなるという思惑をそのままに、嘘の(身を隠す)装いで、みんなで、本心を見えなく、過ごす。

人が人生(命)を終えても、内心は少しも悲しくないから、人は、黒を着る。その悲しい表情の奥に有るのは、立場優先の打算と個人的な感情。黒は、人の悲劇まで愉しみ、弄ぶ。

黒の装いが増えている、現代の風景。子供たちまでが、黒を好んで着ている。彼らは皆、差別心と支配・征服欲を全開に、人を不幸にさせたがっている。その様は、もはや、人間に戻れなくなってしまっていることの現れ。

 

23.LED照明が増えるにつれて覚え出したのは、人間が居なくなり出したということ。それまでは無かったLED照明は、それまでの人間の脳では適応できない次元のものであったため、それを可能とする脳へと、その質を変えてしま得る??な人間だけが、そこへと向かう。その数は余りに多い。

日用品や食物などではない、光という、人間の本質(生の原因)にまで影響を及ぼすその世界が(強力な磁気次元のそれに)変わるというのは、人間が大きく変わるということ。それは、それまでの人間が居なくなって、異様・異質とも形容される、全く新しい人間(?)が生み出されるということ。

LED空間から可能な限り自由で居る人たちによって、人間の本質は守られ続ける。そうではないなんて考えられないから、彼らはただ、いつものように、真の普通の時を連ね続ける。

 

24.虫(昆虫etc.)たちの脳は、それまでは無かったLED光に照らされて(入り込まれて)もうろう状態となり、繋ぐ力を無くして、やむ無く生命を終えていく。彼らの寄りどころの木々は、LED光によって生きる力を削がれ、異様な姿となって朽ちていく。LEDライトの悪影響の中でも分かりやすい、小動物や木々たちの悲惨さ(不自然な増殖や大量発生も生じている)。それは、見たくはなかった、人間の愚かさ(心の無さ)の具現。

 

25.脳内の感覚神経が鈍化(低下)すると、いろいろな色がもたらす印象や空気感に対し、反応しにくくなる。次第に色への好感は失くなり、色彩や色合いにも無感覚になる。そして、感覚に隠されていた本性がうごめき出し、色を嫌い出す。

小中学校の教室の照明がLEDに替わったことで、その傾向(弊害)は一気に加速する。多くの人が黒を好み、黒い服を着ているのは、脳神経がLED化したため(人間のそれではなくなったため)。そこに、LED照明が有るうちは、失われた感覚は戻らない。

 

26.誰も想像すらしなかった、LED照明による、人間の低次化。それは、本能の入れ替えのようにして進行していたから、その中に居る人は、そうであることも分からずに、在るべき人間の姿から遠のいていく。

そこにスマホが連れ添い出した時、完全に、人間は、非人間の域に入り込んでしまう。必要に応じて利用するという基本は簡単に崩れ、それ無しの時間は有り得ないというぐらい、質は壊れる(悪質化する)。

LED照明の怖さを、まだ従来の照明がたくさん有った頃から普通に知る人たちは、さらりと、次なる未来へと歩む。人としての責任は、さりげない。

 

27.LED照明が成し得た、感謝されるべく成果は、人間という形に隠れていた、人間ではない部分を顕にしてくれたこと。それは、単に住み分けをしてくれただけではなく、多数(数の力)の中に潜む共通の非人間性を、容易に知らしめる。

それを良しとする人がLED照明に浸ってしまうと、そこから出ることは至難の技だから、どこに、どんな性質の存在が居るかを、それは分かりやすく教える。それが、どれ程大事なことか…。LED照明には、感謝である。