友情の教育(歩きながら問う1) | 東洋哲学・真髄探求ブログ

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自分が実体験してみて本当だったと確認出来た数々の出来事の記録と、物事の本当の真髄は何なのか?探求しています。
(2008年から書いてますが2019年にほとんど消して残すものだけ再掲載しましたので、年代があわないものが多いです、ご了承ください)

学校は義務だと今はほとんどの方々が認識していると思う。そこに行って教えられることを習わないといけない。

親がそういうから、もしくは自分の将来のために少なくともその学校を出ないと・・等々様々な動機はあるにせよ、婦人サークルのように、"自分が習いたいことがあるから行く"ところにはなっていない。

動機のない学生に授業することは教える側も大変なストレスになる。逆に真剣な生徒には疲れを感じるどころかむしろ教える側もよい刺激を受けるもの。

今の学校の機能に、根本的な変革が必要だと筆者も次のように考えている。

『空間は一種の政治的"機械"だ。その配置により縁起作用が変わっていく。その点で、おおよそすべての教育はまずもって教室の配置を変えることから始めなければならないだろう。少しずつ変化してきてはいるが、大部分の教室は高い教卓と壇上、一列に配列された机と椅子で構成されている。先生と学生の区別が はっきりと分けられているのだ。これは近代的啓蒙主義の空間的投射である。すなわち、教育とは専門的で人格的品性をそなえた師匠がまだ未成熟な人々を導いてくれるものだということ。

上から下へ、光ある場所から暗い場所へと!こういった前提がもとになっているために、当然、教育の内容はレディーメイド(既製服)を複製する性格を帯びざるをえない。独創性や個性、創発性などを強調するとしても、それは究極的に師匠が区画しておいた一定のバウンダリーを決して脱することはできない。

だからまずはこの区画と境界を横断する作業から始めなければならない。一体、 知の領域において師匠と弟子が、いかにして固定された線によって区画されることができようか?年上だとか学閥が良いとか、知力がすぐれているとかいうことは、ただ一つの特異性に過ぎない。なぜなら、知の世界にはその限界がないからだ。絶えず学び、教えるという知の流れだけがあるのみであり、明代末期の代表的な非主流思想家である李卓吾の次の言葉はその点で、本当に感動的だ。

"私は師と友は元々同じであると考える。この二つが別であるというのか?・・・・もし友だからといって礼を尽くして学業を伝授されることができないなら、必然的に彼とは友たりえない。師だからといって心中にある思いを打ちあけることが出来ないなら、 彼を師として仰ぐことはできない。"(李卓吾"焚書より)

彼によれば、東洋の師表として仰がれる孔子もまた、自身が悟った道を伝え討論する友を探し求め、天下を旅して回っただけであり、 誰にも自身に倣えと教えたことがないという。師匠でありながら友人であること、これを"友情の教育学"と呼んでみるのはどうか。 こういった関係のもとでは、教育の主体ではなく、 ただ知識が構成され流れる"力と力の力学"のみが作動するので、学問外的権威やヒエラルキーなど立つ瀬がない。その点において、 この構図は単に民主的で平等な"人間化教育"というヒューマニズム的な掛け声にはとどまらない。』(コ・ミスク著"歩きながら問う"46p~47pより)

孔子といえば論語。論語の生い立ちについては過去記事にもちょっとだけ出てきたことがある。

"・・・・論語とは何か、堅物の老人と利口な弟子たちがいかなる世を創るか論じあった記録だ。批判があったら存分に論じ合おうではないか。以上。"

沢山知ってる側から知らない側が伝授されるという形式もないとはいわないが、知らないもの同士だったとしても、考えながら真剣に対話していけば、答えは自然に導かれていく。二人が盛り上がっていくとそれぞれにアンテナが立ち、周波数が合えばインスピレーションが働く、新しいものは常に生み出されるということ。

筆者が度々指摘されるように、知には終わりがない。ここまで学んだから終わりとか、ゴールについたなんてことはあり得ない。それは学生もそうだが、教師や研究者も同じ。常に考えて学ぶことは永遠に終わらない。

そして教師には学生が、師匠には弟子が必要不可欠。

患者が医者を生かしも殺しもするように、学生が教師を生かしも殺しもする、相手方はたとえ学生でも自分の明暗を握っている重要な存在と私は考える。

この本は、自由に学びたい大人たちが作り出した研究室の試行錯誤やその全く新しい可能性が書かれていた。印象的な部分をメモしておきたいと思う。(つづく)