若い頃、周りには同じような年代の子たちが沢山いた。一人の人と付き合ってなんの悩みも躊躇もなくそのままゴールインする人、新婚旅行で喧嘩になりそのまま離婚する人、沢山つきあってもなかなか結婚まで行かずパートナー交代を繰り返す人、全く恋愛なしでお見合い結婚する人・・・・。
昔のようにすべてをお見合いにしてしまえば、特に自力でなんとかするという能力を磨く必要もなかっただろうが、最近の風潮では結婚も、個人の能力が必要な分野になりつつあるように思う。そして自力で相手を見つけることができない場合、二次的にお見合い結婚・・・そんな流れだろうか。
それ以前の問題として、結婚するとしてもその相手と愛情関係を維持できるものか?それがとても重要だと私は当時考えた。そこでなにより自分の心がこんなにも変動するのに、どうやって一人の人と結婚し幸せに暮らせるだろうか?と疑問を抱えていた。そんな頃(結婚付)宗教に入り無事に(?)結婚し今に至ってはいるが。
当時(宗教する前)普通に恋愛もしてみた。でもそれはすべてがハズレだった。虚の境地。こんな空しいものなのかと。恋愛の行き先は100%不幸だった。一方仕事などで組んで一緒にひとつのことをやり遂げていくことなどには、ものすごい感動と生きがいのようなものを感じていた。恋愛より仕事のほうがずっと私を幸せにしてくれていたという事実。
自分も未熟だったし、20歳前後なら今思えばまだ成長の途中だったようにも思う。(昔はもう嫁いでいた年代だったろうが)その頃はまだ体の中心が上部にあるため、浮いたり沈んだりが激しいのも仕方ないこととも言う。年と共に深い部分で落ち着いて感じていけるものと思う。
当時お付き合いした彼たちの中に私を愛してくれた人は果たしていたのだろうか?そう思う理由はつきあってもほとんど疎通できなかった。そういう精神的交流ができないまま始まりあっという間に終わって行った。彼は彼の中の妄想の中で過ごし、私は私で何がなんだかわからないまま相手の願うことを叶えてあげて思いあたることをしてきただけ。そして二人に残ったのは心の傷だけだった。
一方、職場の同僚とは先にも書いたとおりとても疎通できる。精神的交流もできたし、いろんなことを教わった、仕事上のことも人生上のことも。今でも感謝してるしよい思い出だ。凄く楽しかった。だから極端に私が人間関係が難しいタイプというわけでもなく、男運が悪いんだ・・・くらいに理解してきた。
・・・だがこれはどうやら事件の根本が“衝動”か“情熱”かという違いが生み出した結果だったらしい。
『衝動と情熱は全く違う概念だ。衝動とは何か?私が統制することの出来ない、だからいつも中毒状態に至る力だ。私に大変な快楽をもたらしてくれもするが、その原因はいつも外部にある。それ故感度が高ければ高いほど、私は奴隷的に引っ張り回されるようになる。従って必然的に死への衝動と出会う他ない。アルコール、麻薬、ゲーム、賭博のようなものを連想すればよい。
情熱は正確にその反対の方向性を持つ。すなわちどんなに熱く燃えたとしても、生きようとする意志と連動している。故に決して中毒にはならない。衝動が存在全体を不安へと揺すぶるならば、情熱は“なんとも言えない平穏”を与えてくれる。数百度の熱の中で陶磁器が丈夫に焼かれるのと同じ理屈だ。』(コ・ミスク著“愛と恋愛の達人・愛の真髄”より)
女性の私にはよくわからないが、正直、20代前半の男性たちに、相手を真に愛し尊敬した故に求愛する・・・そんな余裕みたいなものがあるだろうか?それ以上湧き上がる衝動を止められないという感じだったし、そんな自分に自己嫌悪に陥ると告白する人もいた。みな自己の中に葛藤を抱えていたように思う。
ただし女性の場合は、好きな人ができて、相手を内外共に真に愛してから本格的に性欲が増すんであって(成田で立ち読みした、渡辺淳一著“男と女、なぜ別れるのか”にもこうあった、微妙に個人差はあると思うが)
・・・相手との間に深い部分での精神的疎通もない。だから当然そんな意欲も起きないどころか、無理やり犠牲の愛を実践するものだから枯れに枯れていく。完全にリズムが食い違っている状態。
みなさんそれぞれのタイプ、類型があるとは思うが、大体若い頃の形式としてはこんなタイプが多かったのではなかろうか?
不完全燃焼?ちゃんとかみ合わないまま終わるという感じ。
そういうことで“衝動の結末は破滅”だと実感する。
この衝動も宇宙的なもので、そこに人が勝てるわけないと思いのままに身を任せていては、道からも完全に離脱してしまう。中毒症状を起こしている仙人など見たことがない。修行する人はだから見ず聞かず思わずを実践するが、思いからは解放されることがまず無理な話。そしてまた葛藤と矛盾を抱えたまま集中できない修行を繰り返す・・・。以前から申し上げているように矛盾を抱えたままでの修行は不可能、これらの思いを禁ずるのではなく、この愛と道が私の中でひとつになることがここでのテーマだ。衝動の奴隷になるのではなく、その衝動も自分の中で平然と循環する、・・・そういうイメージになっていくだろう。(内容は後日別テーマで)
まずは自分に今なにが起こっているのかを正確に把握できることから。恋愛も真剣勝負、集中力を磨き、生をグレードアップしていく材料になり得るものだから。より深く宇宙と感応し豊かな人生を行くためにも、正面から向き合って行けたらいいと思った。